現在 23


 子宮なしで子どもを作ることは不可能だ、と目覚めた男は言った。


「今やクローン技術や遺伝子操作によって子どもを作るのは法とコストとの折り合いさえつけば簡単なことだが、それでも人間は試験管からではよく育たない。だから、そのために体を貸してくれる女性が必要になるのは、何も作るのが『超能力者』に限ったことではない」


 目覚めたヤクモ・アキグサの状況把握は早かった。

 目が痛くなるような白さの部屋の中。緊急手術の後にもかかわらず、既にベッドに上半身を起こした男は、尋問を持ち出されるより先に自ら進んで口を開いた。もとは相当優秀な研究者として知られていた人物であったとはオルシーニからの情報だったが、そうして相対してみると、何故彼が恵まれた環境を捨ててまでアジャセに近づいたのかその理由も漠然と理解できた。

 仮にも複数の重大ない人権侵害犯罪への嫌疑がかけられている立場だというのに、それに少しも忖度する素振りもない、少々行き過ぎた頭脳を持つ者特有の饒舌さで話した。得てしてお喋りが過ぎる者は命知らずとして扱われるが、彼の現在の状況を振り返れば、まさにその通りだったと言える。


「つまり、代理母?」

「まさしく。そして代理母という言葉から連想するものと言えば何がある?」

「クイズに付き合うつもりはないんですけどね」


 溜息と共にうんざりしたような声を吐き出したオルシーニは、目が覚めて早々に対面した男に「お。僕を撃ったのは君だね。おかげさまでモルヒネが効いていなきゃ泣き出したいくらい体が痛くて堪らないよ。ところで、気を失う前に君の目を見た覚えがあるんだが、もしかして君の眼球も特別製? ちょっとそのサングラス取ってくれない?」と研究心溢れる様子で話しかけられて以後、地雷を踏まれたように少し離れたところに立っている。彼の職務上、立ち会わないわけにはいかないのだろうが、問うより先に口を開く相手の饒舌さに辟易しているようだった。


 施設ヤースナヤ・ボリャーナに戻ってきてからの時間は慌ただしかった。

 ほとんど拉致紛いに国連の人間に連れて行かれた職員が、出て行く時には同行していなかった同僚の超能力者と、新しい『特殊な事情の子ども』、それから今にも死にそう血塗れの急患を連れて戻ってきたという混雑振りだ。見えるものといえば一面の雪ばかりの静かな施設が、にわかに混乱に忙しくなったのも致し方がない。しかし結局、どこまで情報開示が行われているのか不明な事情や事のあらましについては国連から派遣されてきたオルシーニの領分であったため、そう長く拘束されることもなかった。

 外部からの帰還時に義務付けられたチェックが終わると、メンタルチェックの項目で投薬の上で隔離が必要と判断されたサラ・ソウジュとは違い、私の場合は比較的すぐに解放された。

 私が戻ってきたことを知り、すぐに駆けてきたアイリスとユウジュに連れて戻った『ユディト』を紹介し、彼らと共に新しい子どもに接する傍ら、施設の他の職員とユディトの検査にここ数日は時間を傾けていた。

 アジャセの暗示が解け、施設に着いて小一時間程で目覚めたユディトと名付けられた少女は、確かに『宝石の瞳』を持っていた。

 皆が待ち望む中、震える瞼が持ち上がり、その下からゆっくりと瞳が現れた。

 超能力とは、字が語る通り『能力』のことを指しているように思われるが、現実においては必ずしもそうであるとは限らない。サイエンスフィクションの中で語られるような、人の身では不可能を可能にする能力こそが一般的に超能力として想像されるが、実際に存在する『超能力社』を対象にその能力の研究を行うこの施設では、超能力の定義を便宜上、脳の欠損によって引き起こされた遺伝子疾患の結果として発現した『力』の発露と定めていた。その定義に当てはまるものを、『超能力者』と呼ぶのなら、その眼球一つで数十億の価値をつける者もいるだろう希少な瞳を持つ少女は、確かに超能力者と言えた。


「これに比べたら、俺のは石ころみたいなもんですね」


 特に慰めを欲している様子でもなく、しみじみとした感想をこぼしたのはオルシーニだ。

 角度だけでなく、ユディトの感情の起伏や体の具合によって、様々な色合いに変化する瞳はまさに宝玉もかくやという姿で、ユディトは目下のところ施設内で一番の関心の的だった。自分達以外の子どもがいない環境で育ってきたアイリスとユウジュも今や絶滅危惧種に等しい『同類』が気になるのか、よく見に行っている。サラ・ソウジュはまだ隔離部屋から出て来られる状態ではなかった。

 そのため、ヤクモ・アキグサが目覚めた時、オルシーニが彼への尋問の場に私も同席するよう求めてきたことにも、何ら不都合はなかった。


「代理母を求める一般的な動機の一つは、自らの遺伝子を継いだ子どもを作ることですね。超能力は脳の遺伝子欠陥から生じます。貴方も『超能力者』をご自身で一から作り出す研究をしていたと聞きましたが、それと何か関係が?」

「正確には、僕がしていた研究は『超能力者』を作ることというよりも、超能力が発現する条件についての研究だったんだけど、まあ、同じことか。あの子を作る際には、確かにクライアントアジャセの要望に従っていろいろと助言もしたし」


 今回私が表向きには『超能力者』の先達として『宝石の瞳の子ども』の保護にあたって召集されたように、相手が乗り気なせいでほとんど形ばかりとなっている尋問もその件から始まった。

 非合法組織によって人工的に作られた『超能力者』という点ではこの施設の『超能力者』達と同じ境遇ではあるが、彼女にはその出生にアジャセが関わっている疑惑がある。実際にこうしてアジャセに協力していたという研究者が言うからには、それは最早疑惑ではなく真実なのだろう。


「いちいち話を脇道に逸らすのやめてもらえませんかねぇ? さっきから一向に話が進まないんですけど」


 既に大分うんざりしていた様子のオルシーニの声は苛立っていた。元々彼自身、眼のことがある割には職務と割り切った態度を貼り付けていたが、今の彼は誤ってヤクモ・アキグサを撃ったついでにきちんと命まで奪っておけばよかったと思っていそうだった。


「こいつは失敬。それじゃあ話を戻すとだね、」


 一方、ヤクモ・アキグサのほうは今後の身の安全の保障もわからない状況で、ふてぶてしいほどなんら気にする素振りもない。

 そんなヤクモ・アキグサを眺めていると彼の背景の壁も目に入り、同時に、私達を取り囲んでいる部屋の壁にも意識がいった。壁。部屋を取り囲む色。この部屋は、まさに病室のように何もかもが白い。正しくは、この施設は内も外もほとんどが清潔な白に埋め尽くされていた。

 白は汚れが目立つ。そのため清潔を第一とする病院施設には適した色だが、こと心理的な面で言えば、鮮明に網膜に焼き付くような白は、目に痛い。一般の病院施設では暖色系を基調とした病院も増えているという。この施設ヤースナヤ・ボリャーナは病院ではないが、外観も内観も病院施設をイメージさせる造りが対外的にカモフラージュとしての役目を果たしている。あるいは、この施設の主な研究目的である『超能力者』を先天的疾患として扱うならば、その認識も決して間違いではないのかもしれない。

 だが、やはり、清潔過ぎるほど清潔なイメージを保つことは、かえってその異常さを浮き彫りにさせる。部屋の明度を下げると気持ちが落ち着き、心理負担を下げる効果があるため、精神病者の部屋などは興奮を収めるために明度が高い色は避けるというが、『超能力者』を精神病者のカテゴリーに入れるならこの施設は悪くはなくとも最善でもないのだろう。

 視界が明滅するような感覚を抱くほどの白い部屋。窓の外に見える景色さえ明度が高く白い。

 ここは、私達にとって唯一の安住の地でもあり、檻の中でもある。

 人を襲わず、見世物になる限り、安全は保障されているが、それを破った時にはその限りではない。

 ここにいるのが精神病者達なら、この施設はその精神を狂わせるためにあるような場所だった。

 それでもここ以外に行く場所は私達にはない。


「代理母を求める動機の一つは、自らの遺伝子を継いだ子どもを残すこと。イム、この場合、まさに君の考えは正しい」


 アジャセと共にいた彼が私のことを知っていることを不思議には思わなかったが、突然名を呼ばれて私は僅かに瞠目した。

 私は少し考えた後、それは、と口に出した。


「アジャセはまさか、自分の遺伝子を継いだ子を作ろうと?」


 宝石の瞳を持つ子ども―――『ユディト』の非合法組織への製造注文には依頼主からの細かい指定があったという。それが意味するところは、その指定には『製作材料』も含まれていたのではないか。

 ヤクモ・アキグサは、眼を弓なりにして笑んだ。

 結果から言うと、私の質問に彼は否と答えた。


「いいや。アジャセには生殖能力はない」


 その言葉に、私は我知れず息を呑んだ。


 あの姿を見れば予想もついたかもしれないが、彼の体の成長は彼がこの施設を出た頃で止まっている。恐らくは彼の超能力が彼自身の脳を常に恒常に保つよう働いているんだろうというのが僕の予想だ。強すぎる力の副作用とも言えるが。僕は彼の健康面のサポートもしてきた。だから、アジャセの体を看る機会もあった。


「皮肉なものだね。ここの……君達の生みの親である母体となった非合法組織の施設は、いわゆる『完璧な人間』、今いる人間のワンランク上の次世代の人間を作り出すことを目的にしていたんだろう? 恐らく研究至上アジャセはもっともその理念に近づいた個体だったんだろうが、個として完成され過ぎると、もう他者が介入する余地もなくなる。つまり、次世代に種を残す必要もなくなるわけだ」


 私達はかつての幼い頃から常に様々な実験や投薬の影響にあった。そちらの可能性もあるのではないかとやっとのことで口を開いて言った私に、ヤクモ・アキグサはさらに衝撃的なことを告げた。


「そうかもしれない。だが、少なくとも生殖能力がないのは君達の中ではアジャセだけだったよ。実際、あの子どもはちゃんと育っているだろう?」


 今度こそ言葉を失う。彼が何を言おうとしているのか、それを察してしまった私は、信じられない気持ちで半分口を開けていた。


「なるほど。あの子どもを作る際には、確かに代理母を使った。金さえ積めば体を貸してくれる存在を見つけるのは容易い。借り腹には、アジャセはこだわらなかった。産みの親以外にも、生物学的な親であることはできるからね」

「つまり、どういうことなんです?」


 歌うようなヤクモ・アキグサの声に、焦れたようにオルシーニが結論を急かした。

 私は咄嗟に腰を浮かせて、気づけばその先を遮ろうと手を伸ばしかけていたが、そんな動作はただ自分の混乱を突き付けただけで何の意味もなかった。

 死にかけてさえよく口の回る男は、笑んだまま私を見て言った。


「アジャセが使ったのは、君の遺伝子さ」


 勿論、ここに来た時にあの子の検査は済ませているだろう。そろそろDNAやらなんやらの一通りの検査結果は揃うことなんじゃないかな。

 ごく親切な明るい口調で、ヤクモ・アキグサはそれらと照らし合わせて見るように提案した。そうして、自らそう言っておきながら、親切にもはっきりとした答えまで与えてくれた。


「正真正銘、君の子だよ」

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