現在 22


「アジャセが人の『目』に執着しているというのは、アジャセを追う者にはよく知られた話でしてね。大規模テロ以降、ぱったりと足取りを消したアジャセをなんとか追跡できたのもその繋がりからです。流石に眉唾物の真偽は不確かな噂ですが、人とは違う珍しい色を持った眼球を、自身のクンストカメラKunstkamera――つまり、『希少なコレクション』として集めていたって話も聞いたほどです。実際に対面した印象で言えば、そんな手間暇を一人で負うような地道な奴には思えませんでしたが、アジャセには協力者もいたからそちらに任せていたのかもしれませんね」


 行きと同じ輸送機の中、オルシーニの言葉に「協力者」と私は繰り返した。


「先程あなたが撃った男のことですか」


 そう、とオルシーニは顎を引く。

 サラ・ソウジュは私の隣にほとんど隙間なく密着して、先程から顔を伏せて動かない。両腕で子どもを抱き抱えている私には寄りかかってくる彼の体が多少邪魔だったが、意図せずその体が子どもの盾になっていることから好きにさせていた。サラ・ソウジュが傷ついてもいいというわけではないが、いざという時にまだほんの赤子と変わらない子どもよりはまだ私やサラ・ソウジュのほうが生命力はある。


「奴はヤクモ――ヤクモ・アキグサという名の、元は脳神経内科学の研究者です。アジャセはまあ、ご覧の通り見た目は子どもですから、あの能力で金を得るのは容易くても、他人に紛れて過ごすために必要な諸々についてはあの男が世話をしていたようで。見返りは資金提供ですね、研究の。アジャセの興味のある人体の『目』についてと、彼自身はアジャセに対して興味があったのでしょう」


 確かに、アジャセはおよそ人間には不可能だとされることの多くができたが、施設にいた頃から人としてのまともな生活の経験はない。足りない生活能力を補うために人を置いていたというのは納得できた。


「でも、置いて行きましたね。その研究者を」

「こちらとしては有り難いですけどね。上への申し開きにもなる。アジャセにとっては、もう用済みなのか、それとも単にあの場で面倒になったのか。自分の傷は治せても、普通の人間はそうではないですから。逃げるんだったら一人のほうがいいから見捨てたんですかね。今後のことについては、考えているのかいないのか」

「アジャセの考えは読めません。今も、昔も」


 気分だけで行動しているのかと思えば、時々どきりとするほど多くを見ているような気もした。それさえこちらの勝手な錯覚で、私が知るアジャセはほんの一欠片に過ぎないのかもしれない。6年も経っているのだ。

 知らず知らずのうちに沈痛に表情が陰る。


「そうですか? 確かに見た目のまま、子どものような暴虐と理不尽と気紛れだとは思いますけど、『目』に関しては、彼の動機は明らかじゃないですか」


 オルシーニを見返すと、彼は僅かに口角を上げていた。その目が笑っているのかそうではないのか、色の濃いサングラス越しではわからない。けれど、こちらを真っ直ぐに射貫いているのは感じた。


「アジャセの『目』に対する執着は、あなたへの執着ですよ。かつて共に暮らしていた頃から、能力を使う際に赤くなるその目を気に入っていたのでしょう? 少なくとも、自分で手を入れた子どもを作り出そうとするほどの眼球への関心は、あなたの目が発端になっている」


 そうだ。アジャセはおよそ物事に執着を見せたことはなかったが、私のこの目は気に入っていた。それは確かなことだ。だが、6年も昔のことなのに。零れ落ちた声を拾って、オルシーニが言う。


「6年なんて、僅かな間ですよ。当時の感情も記憶も昨日のことのように思い出せるくらいには。ましてや、6年前から時が止まっているなら尚更」


 そう。そうだ。私は顔を上げる。アジャセはまるであの時から何一つ変わっていなかった。私も、隣にいるサラ・ソウジュも、ここにいないエニシダも全員変わったのに、アジャセだけが少年のまま。



「どうしてアジャセは子どものままなんですか」

「さあ。こっちが知りたいくらいですよ。不老不死の神にでもなったんですかね」


 おどけたような揶揄だったが、疲れていた私は半ば自棄な気持ちで、無用な問答に応じた。


「私も、このサラ・ソウジュも、貴方達の一般的な社会の中にいなければ普通の人間です。もちろんアジャセも、私の知る限りではそうでした。だけど、神を人が作り出したものと定義するなら、その考えも間違いではなくなるのかもしれませんね」


 実際、かつて私達を実験体として超能力の研究をしていた施設の大人の中には、超能力者を一般的な人間を超える上位の種族のように考えていた者もいる。私が見ている前でアジャセに殺された大人の最後の言葉は、最高傑作であるアジャセの中に神を見ていたかのようだった。


「ユニコーンやドラゴン、ピクシーなどのお伽噺の存在も、いろいろな動物の部位を繋ぎ合わせて生み出されたキメラです。天使や神のイメージの多くも、人間と鳥などのキメラとして想像される。ならば超能力者もまた、人間の姿をモデルに、その頭に電極を差し込んで、神経にメスを入れて電気信号で刺激された「神」ということでしょうか。普通の人間にも同じことをしたら、その人も「神」であって最早普通の人間ではなくなるのですかね」

「イムさん、苛立ってます?」

「少し」


 視線を逸らして、溜息を吐く。我ながら八つ当たり染みた嫌味を言っていることはわかっていたので、「すみません、いろいろなことがあって少し疲れたもので」と続けると、承知しているというようにオルシーニは片手をひらひらと振った。


「まあ、今は元の施設に戻って、今後のことは生きていればあの研究者を尋問して決めましょう。というか、生きていてもらわないと困る。ご丁寧にもアジャセはあの研究者の頭にヒントを残していってくれたらしいですし。そう考えるとなにか、全部アジャセの思う通りに動いたみたいですね。奴の目的は貴方でしょうし、俺がヤクモを撃って奴がこっちの手に落ちることも最初から想定済みだったのか。やっぱり未来視も出来るんですかね?」

「どうでしょう。少なくとも、そういう超能力の成功例は聞いたことはありません」


 だが、アジャセならば出来ても可笑しくはないかもしれないと思える。アジャセは唯一分類不可能として『N/A』を与えられていた。


「未来視なんて、頼まれても見たくありませんけどね。今死んだほうがよっぽどマシ、みたいな未来でも見たらと思うとぞっとしない」


 私はオルシーニの顔を眺めて、尋ねた。


「それが、あなたがこの子を殺そうとした理由ですか? 同じ境遇の者として、未来に同情を?」


 膝の上で、子どもは規則正しい寝息を立てている。

 先程まではじっくりと眺める余裕もなかった。今こうして見てみると、幼いながら目鼻立ちが整って、いずれ美人になるだろう顔立ちをしている。生まれついてのものか、髪は白い。だが、老人のように艶のないアジャセの白髪とは違い、それは白金の、どちらかといえば隣にいるサラ・ソウジュの色に近かった。

 『宝石の瞳』は、いまだ瞼の下に隠されて眠っている。そっと頭を撫でると、何故か自分もというようにサラ・ソウジュが肩口に顔を埋めてきた。


「……そうして見ると、親子みたいですねぇ」


 感心したようにも、呆れたようにも聞こえる呟きだったが、本心から零れたような気の抜けた雰囲気も纏っていた。見ると、すっかり毒気を抜かれたような表情をしたオルシーニが、一つ吐息を落として、サングラスを外す。


「まあ、そういうことです。その子のほうが俺より随分上等でしょうが、普通と違って良いことなんて、そうあるもんじゃないさ」


 露わになった目元を、私は正面から見つめる。

 オルシーニの目。右目がまるで、ガラスを埋め込んだように透明だった。

 黒目も何もない。純然たる透明。まるで眼孔の先が見えるように澄んだその色を眺めながら、私は尋ねる。


「それも、アジャセが?」

「直接的な原因ではないですが、まあ、遠因ではありますね。超能力者なんて存在が公にならなければ、ソイツがド派手にビル群を吹っ飛ばしてその強大な力を見せつけたりしなければ、多くの非合法組織に頭を切り開かれて使い潰される子ども達はいなかっただろうし、その超能力者が『特別な目』に執着しているという断片的な情報から俺がこんな目にされることもなかった。ハイ、全部アジャセのせい。チャンチャン、で済んだらいいんですけどねえ」


 両手を軽く打ち鳴らし、オルシーニは色の違う両眼をこちらへ向けた。

 それで済んだらよかった。その言葉の裏にあるのは、それで済ますには彼もその地位に上り詰めるまでに様々な情報を見聞きしたということだろう。アジャセと邂逅した際の怒声は本物だったが、かつてのアジャセもまた、彼が受けた凄惨な仕打ちと変わらない目に遭っていることを、その詳細の断片を、恐らくオルシーニは知っている。勿論それがアジャセの反社会的な加害行為を正当化するようなものにはならなかったが、すべての元凶と糾弾するにも、あの頃のアジャセは充分幼かった。

 そこでふと、私はあることが気になった。


「Mr.オルシーニ。あなた何歳ですか」

「突然なんですか? 十九ですよ」

「は、……?」

「十九ですってば」


 流石に困惑も露わに首を傾げてしまったが、オルシーニは撤回しなかった。

 たっぷり数十秒の沈黙の中、私は「嘘でしょう?」とまた反対方向に首を傾げる。


「本当ですよ。なんですか、そんなに俺は老けて見えます?」

「随分大人びてはいますが……いえ、そうではなく、だってこんな仕事を任されるくらいだから」

「アジャセに関する仕事はまー殉職率が高くてね。おかげで俺みたいな若輩にもお鉢が回ってきます。後は俺のこの特殊な境遇と、まあ、優秀さも買ってもらったということで」


 今度こそ数十秒以上沈黙した。

 十九。先入観と容姿から年上だと思い込んでいた。

 つまり、6年前は十三だ。充分子ども、という言葉が再び頭の中に浮かぶ。考えるより先に、l私の口を咄嗟に言葉が突いて出た。


「その目は何歳の時に」

「アジャセがビルを大爆発させたすぐ後くらいですかね。俺の場合は神経回路を弄くられても超能力は発現せず、代わりに右目だけがこんなになりましたが、まあ、かなりマシなほうではありましたね。頭開かれて、廃人にもならず、無事に生き残ってるんですから。俺は『ぽい』成功例の一つってわけです」


 とうことは、おおよそ十三の頃だろうか。

 ふと、額に刺青の入った子ども達の写真を思い出す。二重の黒丸の入った刺青を額に入れられた廃棄される子ども達。

 お伽噺に惹かれるのは決して子どもばかりではない。大人こそ、荒唐無稽と信じてきたことが現実に叶うと知った途端、目の色を変えて手を伸ばす。子どもではないから、その手段もまた選ばない。


 アジャセ。その名を胸中で口にして、一度目を瞑る。

 アジャセの目的。特別な瞳。眼球の収集。けれど、自ら望んで作った『宝石の瞳』の子をこうもあっさりと置いて行く。わざと尻尾を掴ませて、煙に巻く。まるで、追いかけられることを望んでいるように。

 アジャセが私のこの目に執着しているというなら、では、何故今なのか。

 瞼の裏に浮かぶアジャセの姿は、やはりあの頃と何一つ変わらない。

 目への執着と、変わらない姿。

 それが一つの形に繋がる時、私は再び、アジャセに会える。

 そんな根拠のない予感がしていた。超能力者らしい直感だ。


 目を開けると、オルシーニと目が合った。


「そういえば、さっき俺が説得に応じずその子を撃ち殺そうとしたらどうするつもりだったんですか?」


 あの時そんなことが気になっていたのだろうか。そんなことにはならなかっただろうという確信はあったが、と前置きをしてから私は答えた。


「こちらには、このサラ・ソウジュもいましたから。危険な仕事に当たった現場の人員が全滅しても、そこまで不審なことではないでしょう」

「……虫も殺せない顔をして、そんなことを考えていたんですか? 貴方自身はアジャセにもう人を殺すなって言ってませんでしたっけ? それに、いくら貴方方が国際法の下に保護された超能力者だからってそんな危険性を誇示するようなことをしたら、今のあるかなしかの自由もここぞとばかりに剥奪されることになるのに?」

「もちろん、そんなことにはならないだろうとは思っていました。貴方はきっと受け入れてくださるとだろうと確信がありましたから。でも、万が一そのようなことがあっても、あそこにいたのはアジャセです。目撃者が全員口が利けなくなっていたところで、不思議なことではないでしょう」

「アジャセに罪を擦り付けるつもりだったんですか」


 もちろん人を殺すことは悪だ。

 他人は自分ではないのだから、勝手にその選択を未来永劫奪うようなことは悪としか言えない。

 だが、私は既に人殺しだった。


「アジャセの罪は私の罪です。それなら、私の罪もまた、アジャセの罪としてもいいでしょう」


 人間が多くの同胞をいずれ救うであろう医療薬品の開発のために実験用のマウスを殺すような命の優先順位をつけるように、私もまた、超能力者として生きるしかない少ない同胞達を大切にしたい。

 そのために他者を害する行いが、どんなにか罪深いとしても。

 大量の人を殺したアジャセの罪を分かつ以上、それでも生きたいと願った以上、私もまた人殺しでしか有り得ないのだから。




 そして、輸送機から降りて施設へと戻った私達は、アジャセに協力していた研究者――――『ヤクモ・アキグサ』が一命を取り留めて意識を取り戻した後、思いもよらぬ事実を彼の口から聞くこととなる。

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