過去 15


 昔の記憶を振り返った時は往々にしてそうであるように、4人全員が揃っていた日々の詳しいことは覚えていない。そもそもアジャセがいて、まだ非人道的な実験施設として在った施設で、私達4人が『超能力者』として様子見されていた期間は短かった。生き残りをかけた実験以前の、もっと幼い頃の記憶のほうはもっと曖昧模糊としていたから、きちんと思い出せることのあるその期間はそれでも印象深かったほうなのだろう。


 私達が共に過ごした期間。

 たった4人しかいなくなった施設で、机を並べて、毎日同じ時間に採血をして薬を飲んで、能力値の検査をして、時々誰かが個別に連れて行かれて嫌そうな顔をして、何時間か何日か経ってから大人に連れられて戻ってきては同じようなルーティーンを繰り返す。残った4人は比較的同じように扱われた。それでもやはり、アジャセが『特別』だということには皆気づいていた。


「あれ、アジャセは?」

「連れてかれた。いつもの」

「この部屋の様子は?」

「アイツが抵抗して暴れた。いつものだろ」


 日課の採血からレクリエーションルームに戻ってくると、出てきた時にはいたアジャセがいなかった。施設の部屋は基本的にどこもセルフロック式になっていて、子ども達はどこへ行くにも施設の職員に監視される。自由に出歩くことはできない。サラ・ソウジュもエニシダも流石に得策ではないと理解していて職員に逆らうことは多くなかったが、アジャセはいつも反抗的だった。


「床と天井に罅、入ってる……」

「壁にも入っている」


 私が戻ってくるともたれかかっていたクッションから起き上がって傍に寄ってきたサラ・ソウジュが、無表情で指差して教えてくれる。離れたところで同じようにクッションにもたれかかっていたエニシダは、起き上がらないまま言った。


「一通り暴れて、強制的に意識オとされて行ったぜ。ざまあみろ……」

「エニシダ、なんでそんなに疲れてるの?」

「アイツが暴れたからに決まってんだろブス。バカアホブス。クソ忌々しい……オマエもいっぺん巻き添え食らってみろやァ……」

「お前の意識もオとしてやろうか」


 私の代わりに冷たい声で応戦したサラ・ソウジュに、いつものように憎まれ口を返すのも億劫だったのか、エニシダはそのまま黙った。サラ・ソウジュのほうは他の2人には自分から話しかけないので、そうなると会話がなくなる。ぴたりとくっ付いてくる、そう自分と背丈も変わらない男子に視線を向ける。


「サラは疲れてないの?」

「あいつが暴れ回ったせいで反射的に変身してしまったから、無事だがよく覚えていない」


 サラ・ソウジュの変身能力は彼の姿を獣に変えることができる他に例のない規格外の超能力だったが、引き換えに変身時には理性と思考力が落ちる問題を抱えていた。なるほど、エニシダが疲れているわけだと理解する。私が少し席を外している間にたくさんのことが起こっていたが、こうしたことは日常茶飯事でもあったので、大人達の対応も素早く手慣れていた。


「……オマエらさぁ、ベタベタベタベタ鬱陶しいんだケド」


 もたれかかったクッションに背を預けすぎて、逆さになったエニシダが半目でこちらを睨んでいた。機嫌が悪いのだろう。この頃にはエニシダの刺々しい態度もそういう性格として慣れていた私は気にならなかったが、サラ・ソウジュは気分を害したようだった。


「うるさい、話しかけるな」

「女に尻尾振って涎垂らしてるイヌヤロー、オマエが返事できるとは思ってねーよ。ワンとでも吠えとけ」

「エニシダはいろんな言葉を知ってるね。


 べ、と舌を出したエニシダに、サラ・ソウジュが言葉を呑み込んで理解する前に先手を打って言葉を挟む。正直エニシダの話す言葉は変わったスラングが多すぎて、彼のその露悪的で敵意のある態度から『悪い言葉』とはわかっても私もあまり実感を持って理解はできていなかった。サラ・ソウジュは特に、今までも規格外の力を持っていて遠巻きにされたり隔離されていることが多かったので、私以上に会話はあまり得意ではない。私と話さなければ、後は黙ってぼんやりとしていることが多かった。

 そんな中で、エニシダの豊富な語彙は珍しい。触れる言葉が厳選されるため、とても新鮮な響きがあった。


「……あのバケモンも似たようなもんだろーが」


 酷い言葉を吐いても普通に返されるとエニシダはいつも少し居心地悪そうにする。私以外の2人は応戦するか、『超能力』が返ってくるかだから、拍子抜けするのかもしれない。

 エニシダが『バケモン』と言うのはアジャセのこと以外にない。サラ・ソウジュのことは『イヌ』『イヌヤロー』と呼ぶし、私のことは今のところ『ブス』が一番多くて次に『バカ』とか『アホ』とか『落ちこぼれ』とか、とにかくそんなにすらすら出てくることに感心するくらいだ。


「アジャセもいろんな言葉を知ってるよね。どこで覚えるんだろう」

「他人の頭ン中グチャグチャにした時になんか覚える」


 疑問に返事が返されて、振り返るとアジャセがいた。その背後でピーと扉にロックのかかる電子音が響いた。日頃からところ構わず癇癪を起こすように暴れることがあるせいで、白い服の裾から覗く細い腕や脚にはいつも痣があったが、ついさっきまでなかったはずの生々しい傷も見えた。


「アジャセ、怪我したの。大丈夫?」

「さいっあく。あっちこっち痛ェよ。慰めてうさちゃ~ん」


 この部屋の惨状とアジャセの体を交互に見て、どちらの被害が大きかったのか考える。壁や床に痛みを感じる機能が備わっていたら可哀相だから、なければいいと思う。その点については痛いとアジャセは自己申告しているし、何はともあれ痛いのは辛いことだったので、私は寄りかかってきたアジャセの肩を抱き寄せた。アジャセは「そこも痛い」と言ったがそのまま体重をかけてきて、それに文句を言ったのはサラ・ソウジュだった。


「自分で暴れたからだろ。気持ち悪い奴。イムに近寄るな」

「あ~? 普段のおまえのがイムに対してキモいだろ」

「きも……?」


 最近はアジャセやエニシダの影響でサラ・ソウジュも豊富な語彙に触れる機会が多い。不可解そうに眉を顰めたサラ・ソウジュに、アジャセが「キショいってこと」と説明になっていない説明をして、案の定「きしょ……?」と混乱させていた。


「……おい、オマエ、さっきのなんだよ」

「あ?」


 なぜ彼らはいつもギスギスしているのだろうと思いながら視線を逸らすと、体勢を変えたエニシダがアジャセを睨んでいた。


「さっきのぉ?」

「人の頭ン中覗けるみてーなこと言ってたろ」

「ああ~、ウン、まあ~」


 疲れたのか単に眠いのか、目を瞑って気の抜けた返事をする。サラ・ソウジュはそんなアジャセを反対側の隣から睨んで、エニシダは苛立ったように言う。


「なんだソレ。オマエの能力ってなんなんだよ」


 その疑問に、私とサラ・ソウジュの視線もアジャセに向いた。確かにそれは気になることだった。大人達は特に個別の能力について説明をしてくれたりはしない。と言うよりも、彼らが自分達の要望以外のことを私達に告げることは滅多になかった。それが私達の疑問であれ、単なる挨拶であれ。


「アジャセはいろんなことが出来るもんね」

「何でもは出来ないけどね」


  “ゲーム”の時に私が彼に言った言葉への揶揄のように、アジャセが意地悪っぽく答える。私とアジャセの呑気なやり取りにイライラが増したのか、エニシダは更に機嫌が悪くなったようだった。


「だからなんなんだよ! テメーの能力はよぉ!」

「うるっせーな。なんだっていいだろ。スケベヤロー」

「ハァ!? おいブス!ソイツの顔面殴れ!」

「そんなことしたら痛いよ」

「は? 舐めんな。うさちゃんのパンチ程度じゃ痛くも痒くもないわ」

「私の手が痛いんだよ」

「ああそういう」


 あまり話すことが得意ではないサラ・ソウジュが除け者にされて無表情のままふて腐れかけているのを見て、話の軌道を元に戻す。「でも、本当に不思議だよね」


「アジャセの『超能力』、いろんな力がある。普通は皆、『超能力』は一つしか持ってないのに」


 例えば同じ『超能力』を持っているとしても、『念力』ならば、物を動かすことが得意な子もいれば、捻じ曲げたり吹き飛ばしたりするのが得意な子もいた。応用が利く能力は使い方に個人によって得意不得意がある。そうした能力の訓練を見ることもあったから、単一の『超能力』でも器用な真似ができないわけでもなかったが、アジャセは根本的に性質の異なる『超能力』をいくつも使えるように見えた。


「『N/A』」


 面倒くさそうにアジャセがつぶやいた一言を、私達が質問の答えとして理解するまでには時間がかかった。


「どういう意味?」

「『Not Applicable(該当なし)』」


 私達はまったく黙ってしまった。

 アジャセの口振りは、アジャセ自身が誰かに言われた言葉をそっくりそのまま繰り返したような他人事の響きがあった。誰かも何も大人達の言葉に決まっていたが、彼らの言葉を信じるならば、アジャセの能力は今までに類を見ないということになる。


「変身能力もあるのか?」


 サラ・ソウジュも興味を引かれたのか、珍しく自分から尋ねた。アジャセの答えはあっけらかんとしていた。


「さあ。わかんない。試したことないし」


 でも、とそこでようやく思い出したように視線を持ち上げる。真っ黒な黒目がエニシダを見据えた。


「念力はできるよ。人の背骨とか折れる。おまえと同じだね」

「……オマエみたいなバケモンと一緒にすんじゃねーよ」


 エニシダの憎まれ口は変わらなかったが、そう言って嫌そうに背けた顔色は悪かった。以前指の骨を折られた時のことを思い出したのかもしれない。指一本触れずに背骨さえも折れるなら、指一本は確かに手加減していたのだろう。なんともいえない沈黙が部屋の中に落ちた。恐らく、この時アジャセ以外の全員の思考には、多かれ少なかれアジャセの『力』について過った思考があった。

『超能力者』ならば誰でも理解していることだ。力にはその出力と比例した代償がある。

 サラ・ソウジュなどはわかりやすい例だった。体の形自体を変形させる変身能力は、本来『超能力』と呼ばれる力の範囲を超えている。体にかかる負担の実感や痛みは無理矢理投与される薬物が誤魔化しても、人間には限界がある。『変身能力』は貴重な事例として施設の大人達も慎重に扱っていたが、サラ・ソウジュの力は脳の部位を侵食して自我をすり減らす。他の『超能力』を持つ子ども達に関しても、生き残りをかけた実験の場にさえ至ることなく、ある日突然痙攣して、血を吐いて、冷たくなって、大人達に連れて行かれ、もう二度と見かけることのなくなった顔が幾つもあった。

 強い力を持てばそれが自分に仇なして、弱い力を持った子どもは淘汰される。

 私のような、時の運と偶然によって生き残っている子どもは、極めて幸運で稀な例だった。

 “ゲーム”の場で、私に対して怒りを露わにした子どもは間違っていない。八つ当たりだったとしても、確かに私は彼女らにとってとても理不尽な存在だったはずだ。

 私の存在。この場所における、場違いな私。私がここに残っている理由。

 それにはとりもなおさず、私とセットで扱われるサラ・ソウジュの存在が関わった。





「ヘエ。あの犬、もしかして今もうさちゃんにべったりなんだ?」


 ガチャンという乱暴に金属製の扉を叩きつける音が聞こえた。ほとんど同時に聞こえてきた声を、私は振り返られる記憶の中で発せられたものだと思った。たった今思い返していた昔の記憶。その中に出てくるせいぜいが15、6歳だった過去の私達。その頃とまったく同じ、声変わりしていない声が、けれど記憶にない言葉を発する。


「言ってやんなよ、いい加減自立しろってさ。どうせうさちゃんのことだからアイツのことこっぴどく扱ったことないんだろ。一回振ってやれば……あー、余計鬱陶しくなるかもな」


 気づけば、私は密閉空間にいた。昔の記憶を連想する白い部屋。プレゼントボックスではなく、中の貴重な物が盗まれたり足を生やして出て行ってしまわないよう厳重に鍵がかけられた金庫の内側のような部屋。白い無機質な壁に四方を囲まれて、窒息しそうな圧迫感のある部屋。記憶の中の施設の光景だった。


「よお、イム。5……6年振りだっけ? 久しぶりぃ、元気してた?」


 話している人物。声の主。大きな、けれど虚ろな黒目。吸い込まれそうな深淵の穴を思わせる引力のある目。どんな時でも平然としていた、あっけらかんとした態度。


「アジャセ」


 そこにいたのは、アジャセだった。

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