6章

過去 14



 名前を与えよう。好きな名を付けるといい。


「なあにが『与えよう』だよ。結局自分でつけるンじゃねーか」


 誰かの推測通り、生き残った私達に与えられた賞与は名前だった。

 それがどのくらいの価値を持っているのか、何の意味があるのか、自分達がどうなるのか、残った4人のうち誰も知らなかったし、口に出しもしなかった。代わりに、名前を決める課題に「ダリい」と不満を吐いたのは、私でも獣に変身する友達でも現在特別隔離されているあの黒目の印象的な少年でもなく、『実験』が終わってから顔を合わせた少年だ。女の子のように繊細な容姿をしているので、最初は同性かと思ったが口から出た低い声で少年だと知った。


「ブス。オマエは決めたの」

「ブスって名前じゃないよ」

「ハアー? そんなんわかってんだよブース」


 子どもっぽい。本気で受け止める気にもならない言動は彼の通常姿勢だった。彼も、そしてここにいない白髪黒目の少年も、どうしてこの制限された日々の中でそんな豊かな悪い言葉を覚えるのだろう。


「この子にそんな口を利くな。ぶち殺すぞお前」

「あ? オマエこそぶち殺すゾ」


 半ば感心している私の横から友達の彼が口を挟んで、それにまた少年が噛み付き返す。ここにいない1人も含めて、ここに残った子どもは私以外皆少年だったので、今後彼のことをなんと呼ぶべきかと考えている間に与えられたのが今回の『名付け』だった。


「二人とも、喧嘩はやめよう。大人がくるよ」

「チッ、指図すんなブス」

「私がブスかはともかく、人にブスって言うのはよくないよ」

「きみはブスじゃない」


 弟ができたような気持ちで窘める私に、少年は早々にそっぽを向いてしまい、代わりに友達が気遣わしげにそう言ってくれる。先程少年に向けたのとはまったく違う穏やかな声に、私は微笑んだ。


「ありがとう。でも、きみも『殺す』はよくないよ」

「ワンちゃん飼い主に叱られてンな」


 一応言っておかなければ、関係が拗れて万が一大喧嘩になってしまったら、無傷では済まないのがここにいる子ども達の特徴だった。バカにした少年に凍るような一瞥を向けた後、友達が打って変わって窺うような眼差しを私に向ける。


「でも、ありがとう。私のために怒ってくれて」

「……うん。僕が怒るのはきみのことだけだ」

「ケッ。きっもちわりぃ犬」


 肩に頭を擦りつけてきた友達を撫でる。彼は、おえ~と吐き気を表すように舌を出した少年をもう一瞥もしなかった。代わりに、私を上目がちに見上げて言う。


「きみも、怒ったっていい」

「うん。でも、怒ってないから大丈夫」

「……つっまんねェヤツ!」


 椅子を蹴り立って出て行こうとする少年の背に、「たぶんまだ扉開かないよ」とかけようとしていた声が、ガチャリと扉が解錠される音に半分で止まる。私だけではなく、部屋にいた全員――つまり、レクリエーションの課題として集められていた三人の視線が、そちらへ注がれた。


「……さっきブスとか聞こえたけど」


 そこにいたのは、あの実験の日以来姿を見ていなかった黒目の少年だった。

 その姿を視界に入れて、私は思わず絶句する。最後に姿を見た時、少年は無傷だった。だが、今目の前に現れた彼は、満身創痍で、至るところが包帯で覆われていた。


「だ、大丈夫?」

「ブスって言われたのお前?」

「え、あ、それよりその傷……」

「それで、言ったのはお前か、チビ」


 虚ろな黒目を向けられた少年が、思わずといったふうに肩を跳ねさせる。すぐに気圧されたことを恥じるように睨んだが、その華奢な体には緊張が漲っていた。その反応を肯定と取ったらしい彼が、おもむろに人差し指を立て、それをくの字に折つと、ボキリと嫌な音が聞こえた。


「覚えとけよチビ。うさちゃんにブスとか雑魚とかバカとか言っていいのはおれだけだぞ」

「お前も駄目に決まってるだろ」

「ッ……ッのヤロ……ッ」


 平然としている少年二人と、唐突に自分の片手の人差し指を押さえながら冷や汗を流す少年一人。先程聞こえた嫌な音が、手も触れずに指の骨を折った音だと気づいて、私は唖然とする。


「あ? おれはいいよね、うさちゃん?」

「よくない。この子はウサチャンでもない」


 なんでみんな仲良くしてくれないのだろう。

 顔色の悪い少年のもとへ近寄ると、彼は煩わしそうに私の肩を乱暴に押した。だが、痛みが酷いのか青い顔をしたまま何も言わない。扉を確認すると、もう鍵は閉まっていて、私達が数十分前にこの部屋に集められてからそうであるように、引いても押しても動かなかった。


「どうしよう。指、手当てしてもらわないと」

「ソイツ、念力サイコキネシスの能力でしょ。自分でくっつけられるだろ」

「え? そんなことできるの?」


 驚いた私が尋ねると、相変わらず酷い顔色の少年が「ふざけんな、やったことねーよ……」と吐き捨てた。それに対して、指を折ったほうの少年は「雑魚だな~」と言うだけで謝りもしない。


「お前また懲罰房に戻りたいのか」


 せっかく出てきたのに、と冷たい声で言ったのは私の友達だった。


「懲罰房?」


 指を折られた少年を椅子に座らせるため誘導していた私が振り返る。そうしてもう一度、包帯だらけの黒目の少年のほうを振り返った。

 あの実験日から数日経っていたが、生き残った4人の子ども達はしばらくそれぞれ別室に隔離されていた。私は早いうちに制限が解けたが、この口の悪い少年が出てきたのはその翌日だったし、友達が出てきたのはその三日後。そうして一週間経った今日、顔を見せた黒目の少年は傷だらけだった。


「どういうこと? 懲罰房、にいれられてたの?」


 尋ねても当の本人はうんともすんとも答えないので、友達に尋ねる。部屋が近かった、と端的に答えた友達も、実験後しばらく変身能力の暴走によって隔離されていたのだが、もしかしたらそれも懲罰房だったのだろうか。


「その怪我は……大人にされたの?」

「ばぁか。奴らがおれに触れるわけないだろ」

「しらないけども」

「これは……あー、自分でやった」

「自分で……?」


 理解できずにぽかんとする。だが、それ以上は少年は教えてくれなかった。傷だらけの少年も気になるが、一応は手当てがしてあるらしい彼は置いておいても、骨の折れた少年は気になる。私は、部屋の天井の隅にあるカメラの下まで行ってそれに話しかけた。


「すみません、彼の指が折れてしまったので、手当てのために彼を連れていってもらえませんか」

「……余計なことすんじゃねーよ! これくらい、自分で」

「無理だよ。名前決めるまで扉開かないって」


 空いた椅子に足を投げ出した黒目の少年の言葉に、私は驚いた。確かに自分達の名前を決めるように言われたが、いろいろな言語の辞書だけが置かれたこの部屋にいれられた時、そんなことは一言も言われなかった。


「それはお前だけなんじゃないのか」

「シラネ。でもおまえらも名前つけろって言われたんだろ」

「そ……それがわかってて指を折ったの?」

「なんか悪い?」


 私は途方に暮れたような顔をしてしまった。確かに持てど暮らせど扉は開かない。悪びれる様子もない黒目の少年と、痛みのためか口数少なになりつつも殺気立っている少年と、それから友達を交互に見て、溜息をついた。


「みんな怪我してるね」

「……ハッ。人を使ってテメーだけお綺麗な女以外だろ」


 確かに、私は実験終了時にほとんど怪我をしていなかった。実質黒目の少年に守ってもらっていたような状況だったのは事実だったから何も言えない。代わりのように、ぼーっと天井を見ている黒目の少年が、目を向けないまま言う。


「イキってんじゃねーよチビ。もいっぽんいっとくか」

「きみ。僕の傷はもう痛まないから。気にするな」


 二人の少年のやり取りを気にすることなく、友達が私に言う。それを聞いて、私は痛ましい気持ちになった。目の前の、色を失った友達の片目を見つめる。

 実験の終盤、迎えにきてくれた友達は血塗れだったが、その時点ではそこまで傷は負っていなかった。だが、施設に戻ってから会った彼は痣だらけで、片目の視力を失っていた。麻酔銃の効果が切れた後、一時的に我を失い暴走した彼を止めるため、大人達がそうしたらしい。

 元々色素の薄い金眼だから失明した事実はぱっと見ではわかりにくい。一見、白銀の瞳になったようにも見える。だが、もう見えていない瞳の下をなぞりながら、私はどうしようもない気持ちになった。友達が私の手に顔を擦り寄せる。


「僕は悲しくない。きみが悲しんでくれるなら、この目は充分役割を果たした」

「……キッショ!犬が!きもちわりぃ」

「今おれも思ったよ。はじめて気があったな、チビ」

「一生合わねぇよ話しかけんな! つーかテメェは謝れよまず!」

「話しかけんなって言われたから無理ー」


 溜息をつく。

 結局このまとまりも協調性もない4人全員の名前が決まるまでには、これから一晩かかった。この日は皆同じ部屋の固い床で眠りについた後、一晩中折られた指の痛みで寝付けなかったらしい少年がなんとか自力で指の骨を戻せるようになった次の日になって、辞書から目についた言葉を引いてようやく全員の名前が決まった。


 黒目の少年は『アジャセ』、友達は『サラ・ソウジュ』、口の悪い少年は『エニシダ』。

 そうして私は、この日から『イム』になった。

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