5章

現在 13

 幼い頃の私は確かに馬鹿だった。愚かと言ったほうがいいかもしれない。けれど、だからといって体が大きくなっても『大人』になれたかどうかはわからないように、今現在の精神が体に見合った成長を遂げたかどうかも私には確信が持てない。


 『人種』という言葉。人の種類。肌の違い。目の違い。血の違い。

 自分が普段生きている場所と違うところへ来ると、自分が『何者』なのか問う意識が鋭敏になる。

 ここでは自分は『余所者』なのだという意識が、それでは自分が余所者ではない場所とは、帰属する場所とはどこか、という疑問へと繋がる。殊更に『自分』というものを疑ったことがない人間は、問うまでもなく『自分』が自明視されているか、『自分』を明確にする必要がないのかもしれない。それはなんと恐ろしく、羨ましい生き方だろうか。


 バザールの通りを抜ける。夜も半ばに差し掛かり、露店は店じまいをして灯りは消えている。土埃と薄闇に包まれた通りにはちらほらとまばらに人がたむろしていたが、外国人は多い通りなのか、視線を向けられても絡まれるようなことはなかった。密度のある異国の空気に喘ぐように空を仰ぐ。ここまで近付けば流石に空路は使えない。ただ、オルシーニは何も言ってはいなかったが、当然周囲は見張らせているのだろう。私を護衛しているようにも、逃げ出さないよう目を光らせているようにも受け取れる護衛達もスーツの下に武装を固めている。それに引き換え私はといえば、正真正銘丸腰だったから、やはり交渉人よりも人質に認識を改めたほうがいいのかもしれなかった。拳銃であれスタンガンであれ催涙スプレーであれ、そんなものを持たされても意味も仕方もないと思っていたから何も言わなかったが。


「世間話をしませんか」


 下手を打ったらもう二度とできないかもしれませんから。茶化すような窺いを立ててきたオルシーニに、私はそうですねと相槌を打って返事をする。出会ってからまだ幾ばくも経っていないが、オルシーニに対する印象は目下のところ柔軟で弁が立ち抜け目がないというところに落ち着いてきている。さて彼は、これからアジャセと対峙するという状況で何を聞きたいのだろう。


「私、超能力者は全員人格破綻者だと思っていたってさっき言いましたよね。当事者として、そして当事者達の一番身近にいた者として、それについて貴方の見解をお聞かせ願いたい」

「そうですね。あながち根拠のない話でもなかったかと。以前論文を読んだ覚えがあります」


 過去のアジャセが言っていた『頭のネジが抜けている』状態。それは比喩ではあったが、『超能力』が脳神経の遺伝子欠陥に起因していることを思えば間違いでもない。超能力者の存在が公になってから発表された関連の論文でもそういったことが述べられていた。


「『超能力』ほど突飛な発見はなくとも、以前から人間の脳機能の可能性については様々な症例が示しています。思い出せる例だと、自閉症や認知症患者。その病のために脳のモジュール――例えば前頭葉や側頭葉、頭頂葉など――が変性し、それらの一部分だけ変性をまぬがれた機能にリソースが集中した結果、その変性をまぬがれた機能が美的調和を司っていたりすると芸術センスを得たりする。『超能力』の発現もそうした脳機能の欠如によって引き起こされているという主張」

「流石、お詳しいですね」

「一応当事者ですから」


 人の脳についてはまだ未解明なことも多い上に、ことこの件に関しては実験倫理上の問題からまともな政府なら研究制限がかかるため、定説はあくまで定説だ。覆される可能性もある。かえすがえすも『超能力』の存在が明らかになった時、既にその人権を無視した非合法実験によって得られた研究データのほとんどが施設と共に破壊されたことを惜しんだ研究者は多かっただろう。私達にとっては有り難いことだが、今では制限が多くて『超能力』に関する実験は国連の許可を受けているヤースナヤ・ボリャーナ以外では不可能だ。そのためにアングラな犯罪組織による非合法な『超能力』実験が日々検挙され、周り巡って私達も今こうしてインドの地を踏んでいるわけだが。

 つまり、人の脳には潜在的に『超能力』を発現できる可能性が備わっている。該当の脳機能が欠損していなくとも、その兆候を普通の人間に見て取ることもできるという主張もある。

 例を挙げるならば共感覚だろうか。言葉の単語に対して特定の『色』を感じ取るという人間は珍しくない。異なる音のアルファベット――「キキ(kiki)」と「プーバ (booba)」という単語と、二つの図形を用意する。一つはでこぼことした丸みのある形の図形で、もう一つは尖ったギザギザの図形。異なる図形のどちらが「キキ(kiki)」 で、どちらが「プーバ (booba)」なのかあくまで感覚のみで選ばせた結果、98%の人間がギザギザの図形が「キキ(kiki)」で丸みのある図形を 「プーバ (booba)」と答えたという。こうした一見すると直感的なセンスのように見える結果も、脳の聴覚皮質に表される音と対応した共感覚であるとする研究者はいる。これはアルファベットを用いない語族でも同じ結果を示すという。単にアルファベットと図形の見た目の類似点から見分けているのではと考えると眉唾物だが、音のみの実験とすれば幾分か説得力もある。


「脳の一部分の欠損によって他に振り分けられたリソースが『超能力』を発現させているとして、欠損により変性し、ほとんど機能を果たしていない脳のモジュール――つまり、『超能力』を得るために必然的に犠牲になる部分には、前頭葉と側頭葉の一部があります。これは殺人者の脳によく見受けられるパターンで、一般的には人の自制心や共感性などの制御に関係づけられている領域です。これらの領域の消失は、社会に課せられた行動規範としての道徳心や、衝動抑制能力の欠如を意味する」


 私達の会話と同じように、目的地に辿り着くための道として回り道と脇道を繰り返し、見慣れぬ異国の路地裏はどんどん姿を変えていく。ここで置いて行かれたら帰り道はわからないなと思った。もしそうなったらどうしようか。施設に戻ろうとせずに、この地で日銭を暮らして生きていくことは可能だろうか。結局、昔と同じで無菌さながらの施設での暮らししか知らない私が。常に自らの価値を示すことと引き換えに制限のある暮らしを当たり前のように享受している私が。

 きっとそれは難しい。アジャセのようには私はなれない。


「実際、サイコパシー・テストを『超能力者』に受けさせると、サイコパシー的特性が一般より高い結果が出たという話を聞いたことがあります。あれ、本当ですか?」


 国連の国際捜査官の権限が及ぶ範囲は広いんですね、と私が言うと、抱えている案件と関係していると思われる情報ならばまあ、とオルシーニは肩を竦めた。国連加盟国の各政府の捜査機関よりも上位権限を与えられていますから。

 人権問題に関わる情報を合法的に閲覧したことを認めた男に、私は天を仰ぐジェスチャーをしてから答える。


「PCL-R(Psychopathy Checklist, Revised)テストを受けられるほど『超能力者』達に社会的能力が育っているかどうかは疑わしいところだと思います。私も含め、今存在する『超能力者』は皆施設の箱入りで一般的な生活をしたことはありませんから」


 PCL-R、即ちサイコパシー・テストは社会におけるサイコパスを見分けるための医学的パラメータだ。被験者との面接セッションにおけるテストの結果だけではなく、被験者の社会での経歴――犯罪記録、司法記録、病院のカルテ、第三者からの証言――等も考慮して検査が行われる。自分も含めた『超能力者』に対して無条件に擁護しようというわけではないが、そもそも社会病質者になり得るには社会に生きていることが前提条件だ。家族というグループを最小単位の社会とみなす考えもあるが、『超能力者』にはそれもない。生きている以上、人との関わりは避けられないとはいっても個人的に親しくするわけでもなければ、多少性格に難があったところでそこまでの問題も起きない。狂人が隣の家に住んでいたら怖いが、テレビのニュースでその犯行を知るだけならば眉を顰めるだけで済む。流石にそんなことは言えなかったけれど。


「私も、なにも『超能力者』がすべからく人格破綻者であるのではと疑っているわけではありませんよ。いえ、貴方と話すまではそう思っていなくもなかったですが、まともに会話が叶う方もいると知れたのでね。ちょっとした興味です。これからまた別の『超能力者』に会いに行くところですし」

「アジャセに関してはPCL-Rによるサイコパス的特性にはかなり多く当てはまるでしょうね。私も、生育環境に社会的能力を育む機会が欠けていたからといって、だから『超能力者』が皆サイコパスではない、と言うわけではありません。遺伝子による生得的な因子は絶対ではありませんが、無視できるものでもないですから。確かにかなり多くの割合で、『超能力者』にはサイコパス的特性が確認される」


 つまり、私とオルシーニの間を取れば『超能力者はすべからくサイコパスというわけではないが、絶対にサイコパスではないわけでもない』というところか。ごく当たり前の結論だった。

 サイコパスの因子は四つのカテゴリーに分類され、それぞれの中で人格の特徴が挙げられる。対人関係因子の、浅薄、尊大、欺瞞。情動因子の、後悔のなさ、共感性欠如、自らの行動に対する責任の拒絶。行動因子の、衝動性、目標欠如、信頼性欠如。反社会的因子の、易怒性、非行歴、犯罪歴。並べてみて気まずくなる。いずれも私の幼馴染み達を表すのにしっくりくる言葉だった。アジャセに関しては、という言葉ではあまりにアジャセだけに人格破綻者の誹りを押しつけ過ぎだったかもしれない。

 とどのつまり、私が何を言いたいのかといえば、『超能力者は人格破綻者である』という言葉は一部の真理を突いているが、その人格破綻にも超能力を持つが故の生得的な要因があるということだ。


「超能力を発現した以上、ある程度は反社会的な人格を得ることも免れ得ない、ということですか」

「その傾向と可能性が高いのは確かです。だからといって善悪の判断能力がないわけでもないですし、破壊的行動が肯定されるわけではありませんが。でも、そう考えると超能力者はそういう病気か障害とも言えると思いませんか? 病気も障害も、社会に生きる上で問題のある状態を仕分けする言葉ですから」


 施設に残った私が、まだ幼い『超能力者』の子ども達の教育に特に熱を傾けているのも、『超能力者』の特性と、自分達を取り巻く状況を理解しているからだ。持っている力が強ければ強いほど、つまり超能力を発現させる脳の部位にリソースが集中している割合が高い『超能力者』ほど、人格の問題も大きい。けれど、私達の中でアジャセが犯罪者として追われる身である一方で、私達が大国の庇護を得て生命を保障されていることからわかるように、破綻した人格を破壊的衝動に向けない限りは、多少の人格の問題は目を瞑られる。サラ。ソウジュやエニシダのように。

 アジャセのようなことが再び起きないよう努めるには、まず何においても彼らの特性を判別し、理解し、環境を整え、導く必要がある。つまりは教育だ。私に出来ることは、数少ない私達の同類が、変えようのない自らの特性によって必要以上に世界から石を投げられることにならないよう、彼らの先生となることだった。


「『超能力者』に限らず、破壊的衝動に繋がる特性を生得的に持って生まれる人間はいます。ただ、私達は、それに厄介な力が付属しているから他より少し問題が大きい。鋏を持っている人間が狂人だと思えば、普通恐ろしいですから。だから、社会から排除されないために、私達は持っている鋏を普段はしまっておかなければならない。そのために彼らそれぞれに適した取り扱いを慎重に見極めなくてはならない」

「教育者の言葉ですね」

「一応、先生の資格は持っているんですよ」


 こんな返答で彼のお気に召したかもわからなかったが、オルシーニは「なるほど」と口端を吊り上げた。


「今子どもの『超能力者』は幸運だ。貴方のような先生が、子どもの頃の貴方達の傍にもいたらこんなことにはならなかったかもしれませんね」

「……どうでしょう。もしものことはわかりません。でも、『大人』のお手本があったのなら、私達も少しは今よりも『大人』らしく振る舞えていたのかもしれませんね」

「貴方は充分弁えている大人に思えますよ」

「では、私は偶然元から子どもらしくない子どもだったんでしょう。体以外は昔から成長している実感もありませんから」


 いつの間にか周囲には人通りがなくなっている。

 視線を持ち上げると、入り口に装飾の施された入り口が見える。建物の外なのだか中なのだかわからない路地を抜けた先に口を開けていた。天井の低い入り口を潜り抜けると、建物内に狭い回廊が続いている。灯りがなく、途端に暗闇に向かって足を進めることになったが、そう行かないうちに分かれ道が現れて、何度かそのようなことを繰り返した先で足を止めた。急に雰囲気が変わったと、その扉の前に立って思う。石造りの重たそうな扉の両端には、それぞれよくわからない神像らしきものが飾られている。埃を被った心臓歯、薄暗い端に追いやられてどことなく見窄らしく見えた。

 ――古代エジプトの沈黙の神ハルポクラテスと、古代ローマの沈黙の女神アングローナです。喉の奥で笑うような、潜めたオルシーニの声が届く。男女それぞれの沈黙の神。ここで起きたことを決して口外しないよう戒めるための神像。なるほど、ここは元々、いわゆる邪教の溜まり場として使われていたようですね。大方不貞や乱交の場として使用されていたんでしょう。

 官僚というものはやはり教養がなければならないのだろうか、と私はぼんやりと考える。この扉を開いた後の現実について考えることから逃れようとするかのように。


 ふと、隣の男は何故私をここに連れてきたのだろうと途方に暮れるような気持ちに駆られた。

 使う時、一瞬だけ赤く光る目。

 目の神経回路を通じて外部に力を発現させることができる超能力の、その副次的特徴。ただそれだけで、視力の問題も視界の色も、一般的な人間と何も変わらない。舌や喉があるから声を発することができるように、脳の指令に従って神経回路が動いている結果としての超能力。普通の人間とたいして変わり無い。

 機上で聞いた話を思い出す。赤い目と、宝石の目。どう考えたところで後者のほうが価値がありそうな響きだったが、オルシーニはそこに共通点を見出したのだろうか。だとしたら、彼はどう思ったのだろう。アジャセの感情を、どう考察したというのだろう。


 この扉の向こうに、アジャセは本当にいるのだろうか。

 かくして私は扉を押す。

 現れたのは真っ暗な闇だった。

 そう、かつてのアジャセの瞳の如く、空虚な闇。

 開いたままの視界が塗り潰され、次いで、呑み込まれ、反転する。

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