過去 11
「能力の出し方ァ?」
少年が怠そうに振り返る。施設の子どもらしい、几帳面に真っ直ぐに切り揃えられた白髪が揺れる。
「知らねーよ。考えて使ってないもん」
「そうなんだ」
『実験』が始まってから既に数日が経過していた。
不思議なもので、ずっと暮らしてきた施設内から出されてからそう時間も経っていないのに、既に施設での時間が遠い過去のような感覚があった。状況に適応してきたということなのだろうか。無菌室に近い清潔で潔癖な施設の白い壁の外は、不便で恐ろしくて刺激に満ちていた。
「あー、でも、アレだ」
「どれ?」
この数日、私と少年は結局ずっと一緒に行動していた。彼は気分屋ではあったが口数が少ないタイプではないらしく、よく言葉を投げかけてきた。しばらく共にいると最初よりも普通に会話もできるようになり、こうして私のほうから質問しても、背筋が粟立つような恐怖を覚えることは減っていた。
「生き残ってる面子を見ると、なんとなくわかるかもよ」
「なにが?」
「だァから、能力の出し方ぁ……っていうか、強さか」
齧っていたリンゴのヘタを投げ捨てながら、彼が言う。『実験』として用意された敷地内のフィールドには、施設の側からの食糧供給が既に数度落とされていた。感知能力などを持たない私一人では気づくこともなかったかもしれないが、少年のほうの能力は察知にも長けていた。
軌道を描いたヘタが地面に落ちるまでを見守っていた私は、一拍遅れて、前の話が続いていたことに気づいた。
「もう実験が開始してから何十時間も経ってるからね。そう広いフィールドでもないし、逃げ足の速いだけの奴も大分減ったから、今の時点で残ってる奴は大体まあまあ強い能力者」
「まあまあ」
「そ。でもやっぱおれより強いのはいなさそーだから、まあまあ」
数日共に過ごして、既に私も彼の言葉が驕りでないことは理解していた。やはり彼は施設の『虎の子』だったのだろう。最近辞書で見て覚えた言葉を脳内でつぶやいて、私はふと気づく。
「生き残ってる子ども……誰が残ってるのか、わかるの?」
「あ? いや、誰とかは知らないけど」
大体何人くらいかは、となんでもないことのように言葉を続ける。
友達とは、まだ会えていない。もっと言うと、彼と行動を共にしはじめてから、ほとんど子ども達と遭遇していなかった。
前者は不運だったが、後者は幸運だった。恐らく、状況を見るに、子ども達は意図的にこちらを避けているのだろう。こちら、というよりも、私と共に行動している少年を。
テレパスなどの内部発現型の超能力は、外部発現型の能力よりも数が多い。子ども達の中にも、本能的に危険を察知して避けている者が多いのだろうと思っていた。けれど、今の彼の話を聞くにもしかしたらもうほとんど子ども達も残っていないのかもしれない。
生きた子どもに遭遇することはなかったが、時折、その死体は見た。
施設の子ども達は、普段は各々の能力検査や測定のために出される時以外はガラス張りの各部屋のセクションで管理されている。よって、顔見知り以上の関係になることは滅多になかったが、それでもその死を目の当たりにすると悲しくなった。それと同時に、その倒れ伏した顔の中に友達の姿がないことを確認して安堵する、自分の残酷さも自覚する。
大人になるための実験。儀式。その言葉が何度も何度も頭の中に巡った。
他の誰かを蹴落とし、殺して、大人になる。
それが大人となるということならば、まだ誰も自分の手で殺していない私は、生き残っても大人にはなれないのだろう。
「生き残ってるのは大体、能力が強い奴。つまり、ネジが飛んでる奴だよ。頭のね」
「頭のネジ?」
「超能力は遺伝子の欠陥によって起こる異常。頭のこの辺がおかしいから、能力があるんだよ。それとも能力があるから頭がおかしいのかな。どっちでも同じか」
強い超能力を持つ者は、だから大抵、頭がおかしい。とんでもない発言だったが、なるほどそれなら目の前のこの少年の超能力が特別強いわけだ、と内心納得を覚える私もいた。
「……でも、じゃあ、生まれつきだから、強い能力の出し方のコツはないってことなのかな?」
「元々能力強いからわかんなーい」
にっこりと笑った彼に、私は肩を落とす。
自分の能力はいくら強いものを想定したところで限界がある。けれど、目の前の少年と時間を過ごすうちに、私にもできたらと思うことが増えた。彼の超能力は私の知っているどの能力とも違った。普通、超能力は人によって一種類のタイプしか使えないことがほとんどだ。けれど、彼はいろいろな超能力を自在に使い分けていた。
「いいじゃん。うさちゃんの能力、雑魚すぎて面白いし」
「それ、ぜんぜん、褒めてない……」
「褒めてるだろ。考えてもみなよ。おれくらいぶっ飛んで強いか、うさちゃんくらいぶっ飛んで弱いか以外の奴のこと。中途半端に“まあまあ”の能力があって、頭のネジが何本か飛んでる。だけど一番強くはなれないし、かといって頭のネジが飛んでるからマトモにもなれねぇ雑魚」
私は少し眉を寄せた。彼の言葉遣いはもともと『無菌』の施設暮らしとは思えないほど奔放で、ふんだんに毒を盛った言葉にも慣れてきたが、その声がいつもよりも大きかったからだ。まるで、誰かに聞かせようとしているかのように。
そう気づいた私がはっと振り返るのと、少年が虚ろな瞳を宙に向けるのは同時だった。
「ほおら、言ってるそばから。そんな雑魚が一、二、三、四」
空気が歪む感覚を肌で感じた。
風を切るように、捻れた力がジグザクに飛んでくる。私と、私の少し前で、とっくに範囲内に入った刺客の存在に気づいていた少年に向かって。
「――はずした!」
「ばか、何やってんの!」
私の目の前で、まるで見えない壁に阻まれてたように念力による攻撃は霧散した。どおっ、と地面を余波の風が舐めて、葉を吹き飛ばし、周囲の木々を抉った。念力によって曲げられた風は、刃物のような威力を持つ。
――カマイタチのようだ。
直撃していれば体は真っ二つになっただろう。
「ホントだよ、なにやってんの?」
青ざめた私の後ろから呆れたような声は、攻撃を仕掛けてきた子ども達に向けられていた。木々の上に紛れて遠方から奇襲をしかけるつもりだったのだろう。こちらを崖上の木上から見下ろしている子ども達とは大分距離が開いている。地の利を見れば明らかにこちらが不利な状況で、しかし、少年は鬱陶しげに首を傾ける程度の反応しかしなかった。
「頭のネジが飛んでるからってなにもクルクルパーって意味じゃなかったんだけど、やっっぱ半端な雑魚はバカだよなあ。何事も突き抜けてなきゃ面白くないよ」
先程の明らかな暴言は様子を窺っていた彼らを挑発するためだったのだろう。今もそうだ。とうとう恐れていたことが目の前で起ころうとしていることを予期して、私は咄嗟に口を開こうとする。
「おまえが一番頭のネジが飛んでるだろ……ッバケモノ!」
だが、恐怖か怒りの混じり合った怒鳴り声に、意識を取られる。叫ぶのと同時にまた念力による攻撃が飛んできて、思わず身を竦めた。直前で捻じ曲げられた念力が起こした風が、髪を舞い上がらせて、横の木に激突する。
どおん、と遅れて音が聞こえた。驚いて振り返った私の目に、倒れた巨木が映った。
「バケモノ……バケモンねぇ」
怒りと恐怖の根底にはっきりとした怯えのある視線。それをここにいる子ども達の誰もと変わらない薄く細い体の一身に受け止めている少年に、その投げつけられた棘は不発となるはずだった。だが、何度か自身でも口にしていたその言葉を口の中で転がして、彼はつと視線を持ち上げる。
「――バケモンはともかく。一番ネジが飛んでるのがおれっていうのはちがう」
「……は?」
「ああ、でも」
長い睫が縁取る、底なしの沼のような瞳は、彼らを一瞥しかしなかった。
「おまえらでもないね。こんなに弱いんだもん」
つまりはただのバカってことになるのか、と納得したようにつぶやく。過度に馬鹿にしたような色も、見下したような嘲笑もなく、単に事実を理解したような言い草は、だからこそ人の神経を逆撫でするものに違いなかった。当然だ。子ども達にとって、いや、ここにいる誰もにとって、能力とは命の価値なのだ。蔑ろにされることは、劣っているとされることは、自らの存在を否定されたにも等しい。
「うるさいッ! おまえなんか見たこともないっていうのに、何様なんだよ!」
ビリビリと肌に直に怒りの気配を感じた。それは実際比喩ではない。激情によって漏れ出た能力の発露は、地面に落ちた枝や葉や石を浮かび上がらせている。私は息を呑んだ。徒党を組んで行動していたとはいえ、数日生き残っていただけのことはあり、彼らは皆、一様に強い攻撃能力を持っている。
「さァ。名前なんてないし。おれさまじゃない?」
だが、能力差は呆気ないほどあまりにも明確で、残酷なまでに開いていた。もしかしたら、自分達でさえその能力差を正確には測れないほど。
超能力を発動する時に、多くの子ども達にある特徴的な前動作もなかった。ただそこに立っているだけの少年を基点に、地面がぐらりと震え、罅割れていく。崖上の子ども達のいた木が、轟音と共に根っこから掘り返された。体勢を崩して、子ども達は落ちて行く。
「っあ、あんなのっ、反則だろ……ッ!」
「っだから、ちゃんと罠に嵌めようって言ったじゃん!」
「そうだよ! 足手まといの赤目から狙えば……ッ」
なんとか地面に着地した子ども達の怒鳴りはここまで届いた。
ふうん、と少年がこちらへ横目を向けてくる。
「うさちゃん狙いだったんだ。ま、そうか。弱いんだもんね、おまえら」
唐突に、私は嫌な予感を察知した。棒のようになっていた足に力が戻る。少年の昏い瞳が、子ども達を見上げることもなく、けれど確かに殺意の焦点を彼らに合わせた。
「だから、仕方ないよ。手も足も出ずに負けたってさ」
瞬間、突発的な猛風が吹き荒れた。その刹那の瞬間より僅かに早く。咄嗟の無意識で動いていた私の足が、少年に向かって飛び込む。予想だにしていなかったのか、少年はぶつかってきた私に目を見開き、ろくな抵抗もしないまま地面に押し倒された。発動されかけていた能力が消える。
「殺しちゃだめ!」
「……は……?」
少年は何が起こったのかわからないかのように、ぽかんとしていた。子ども達も驚いたのか、一瞬戸惑ったような空気が流れる。
「――殺さないと終わらないよ?」
光を通さない昏い瞳が、何かを探るようにじっとこちらを見つめた。
彼の言うことはもっともだ。そもそも、彼と行動していることで助けられている私が、こんなことを言うのもはなはだお門違いだというのもわかっている。けれど今は、最初のように腰が抜けて動けないわけでも、彼のことを何も知らないわけでもなかった。だから、見なかったことにして、それでいいとは思えない。
「……逃げよう!」
「はあ?」
何を言っているんだというような顔で見られても、私は言い募った。
「人の命を終わらせたら、その人の命を背負うことになる!」
こんなことを言ったのは説教のためではなかった。
ただ、私が、ここまでただ彼の傍にいるというだけで生き残ってきた私が、ただ彼の行為を見守るわけにはいかないと思った。それはあまりに狡い行為だ。死にたくないから、相手から仕掛けてきたのだから、私がやるわけではないのだから、という直視に堪えない自己保身の感情を受け入れてはいけない。
「そんなの、おれは気にしないよ。人の命? 勝手におぶさってくるものなんて、払い落とせばいいだろ」
淡々とした反論をしながらも。少年は上に乗った私をどかすことはせずに、会話を続けていた。どかそうと思えばいつでも出来ることを知っていたから、そして今は相手方も様子を窺っているとはいえ奇襲をかけられた側として呑気に構えているわけにもいかなかったから、私は考えがまとまらないまま言葉を口にする。
「払い落とせないんだよ。たとえきみが気にしなくても……殺される子はきっと怖い。きみを恨むかもしれない。……そうしたら、そうしたら……上手く言えないけど、きみに向けられたその恐怖とか恨みは、相手が死んだとしても、ずっときみの背中に張り付いていく気がする」
それに、超能力を持つ者は滅多にいないらしいと聞いている。実用に使えるまでのレベルに達する者はさらに貴重になる。
この『実験』がどのような目的で始められたものかはわからないが、最初に少年が言っていたように、必ずしも最後に生き残った一人を目的としているわけではないはずだ。
「きみが殺す必要なんてない。わたしは役立たずだけど、きみと一緒に逃げるから」
ぽかんとした表情は長く続いた。
「……それって、ただの足手まといじゃ」
「足手まといもこうやって盾になることくらいはできる」
耳打ちした言葉に、少年が私の肩越しに視線を動かした。次の瞬間、バンッと間近で爆発音が響く。振り仰いだ先には、先程よりも距離を詰めた子ども達の姿があった。地面ごとひっくり返されたせいか、距離を取ることの無意味さを理解したらしい。能力の射程範囲は本来近ければ近いほどスパンが短く威力も高い。続けざまに放たれる念力による攻撃は、しかし、一つもこちらへは届かなかった。
「うるさい」
起き上がってもいない。私が上にいるから、視界もほとんど塞がれていたはずだ。だが、不快そうに眉を顰めた少年がそうつぶやいた途端、子ども達が停止した。
「今話してんだよ」
まるで、見えない何かに動きを封じられでもしたかのように、微動だにしない。ただ瞳だけを動かして、恐れと驚愕を表していた。
「な……」
人形のように凍りついた姿に、私も驚く。けれどすぐに死体としての硬直ではなく、能力によって動きを縛られているだけだと気づいた。息を落とす間もなく、私は急に前方に引っ張られる。再び驚いて振り返ると、こちらを凝視する底なしの虚ろがあった。
「うさちゃん」
「っ……!?」
ほんの間近。吐息が触れそうなほどの距離。呑み込まれそうな底なしの闇があった。
「じゃあ」
私は息を呑む。白髪の間から覗く瞳には、引き剥がせない引力があった。まるでその眼差し自体が、能力であるかのような逆らえない力強さ。
「おまえを殺したら、おれの背中にずっと張り付いててくれる?」
言葉の意味を、理解できなかった。
するりと首に手をかけられる。言葉の意味を咀嚼するまでに時間がかかったから、その仕草に反応するのも遅れた。
息が詰まる。力をこめられた手によって、気道が塞がれ、呼吸ができなくなる。
そこに至ってようやく、死んでしまう、と思った。視界に徐々に靄がかかる。死にたくない。死ぬわけにはいかない。まだ。必死に見開き続けた瞳が、ちり、と熱を持った。能力が発動する時の感覚だった。
「――」
恐らく、私の瞳は赤く光った。その時の私の感情――それが一体正確にはどのような感情だったのかまではわからない――を反映した眼差し。
それに気を取られたのか、首を掴んだ手の力が、僅かに緩む。
その時だった。
バキバキバキッ、と木々が倒される大きな衝撃音が耳を劈いた。
「っぁ……ぁああ!?」
「ギャ、あぁあ!!」
同時に複数の悲鳴が聞こえた。少年の能力によって拘束されている子達の悲鳴。続けざまに派手な飛沫の音がした。
そちらに意識が逸れた瞬間、横薙ぎに体が飛ぶ。首元にかかっていた手から引き剥がされ、少年がこちらを向く。
「っ……あ」
何が起こったかわからないなりに、体が宙を飛んだ時、吹き飛ばされて叩きつけられることを覚悟した。しかし、体に触れる温かい温度と息遣いに、はっとなって目を開く。
間近で、金色の目と視線が交錯した。その一瞬で、互いに互いを認識する。
獣の体毛。生温かい血の臭い。四足歩行の大きな獣。
私の、友達。
「085番!?」
――――そうして、私の胴体を咥えた獣は、猛烈な勢いで疾走した。
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