過去 10
はぐれた友達のことを気にする私を、行動を共にすることになった少年は馬鹿にするふうでもなく――だからこそ余計に酷いのだが――言った。
「そいつがどんな能力者だか知らないけど、おまえよりは生きる見込みはあるんじゃない?」
自分の能力が他の子と比べてもまったくもって『役立たず』であることを理解していた私は、返す言葉もなく黙り込んだ。
木の下で雨宿りをしているうちに眠りに落ちていたらしく、目覚めた時には雨は上がっていた。
目が覚めて、自分がどこにいるのかわからずに一瞬混乱した私は、慌てて周囲を見回そうとして隣の少年と視線が合って固まった。私が眠っていたのがほんの僅かな時間だったのか、それとも眠っている私をずっと起きて見つめてでもしていたのか――後者だったら怖いので前者だったら良いと私は願った――少年がじっと大きな瞳をこちらへ向けていたのである。
目が覚めた私は仰天した。吸い込まれそうな真っ黒な瞳を見て、一瞬で状況を思い出し、しかし驚きが行き過ぎて硬直した。目覚めた私があからさまにびっくりしたように瞳を見開いていても、少年はしばらくじっと動かなかった。
「いつもはホントに黒目なんだ」
その言葉に、何故かこの少年が能力を使った時に赤くなる瞳を気に入っていたことも思い出す。ゆるゆると思考に状況が流れこんでくると、私は一度大きく深呼吸をしてから、ほっと息を吐いた。この状況がまだ夢なのではないかと疑いたい気持ちと、自分がまだ生きていることへの安堵という、翻ってこの状況を受け入れている認識との間で複雑な感情からだった。
私が心を落ち着かせている間にも、彼はまだこちらを見ていた。小さな顔には不釣り合いに思えるほど大きな瞳、長い瞼に縁取られたぽっかりとした闇からは、思考を読み取ることはできない。もっとも、私はそのような超能力はもとから持っていなかったから、わからないのも当然だと思った。少年は、やがて森に陽が差して、辺りが明るくなって鳥や虫や木々の囀りがはっきりとした喧騒になる頃にふらりと立ち上がった。
「おいで、うさちゃん」
「……どこかへ行くの?」
本当にウサギでも呼び寄せるかのような言葉は、少し弾んでいた。不安げな私の問いに、少年はごく当たり前のことを聞かれたように首を傾げる。
「もちろん、殺しに行くんだよ。それ以外になんかある? 他の奴らもそのつもりだろ」
幸いなことに、他の子どもの痕跡は容易く見つけられなかった。普段完全に施設内で暮らしているため、今回自分達が放たれたこの実験区画のセクションがどのくらいの敷地なのかはわからない。だが、子どもの足でも数時間歩き通して樹海から抜けられていないことから、それだけ広いのだろうとは察しがついた。
風に乗って聞こえてくる、木々がざわめく葉擦れの音は、人の囁きのようにも感じられる。気にかかると何もかもがそれらしく聞こえるのだとわかってはいても、意識は逸れた。その度に「もしかしたら」と友達のことを思い出して立ち止まって耳を澄ませる私に、ふとした時に少年がこちらを見つめていることに気づく。
「うさちゃん、弱いんだから他人より自分の心配すれば?」
「でも、心配だから」
「変身能力だっけ? なら外のほうが動きやすいだろ」
「……」
変身能力と言っても本当は種類がいろいろあるらしいから、全員が全員外のほうが動きやすいということもないような気がしたが、人間が人間以外に変身するならば確かに候補は動物だ。それに実際、彼の言う通り、友達の変身した姿は動物の姿だった。外のほうが動きやすそうなのも知っている。
私の心配事は友達についてだったが、こと友達のこととなると口を噤まざるをえなかった。この少年相手に、どこまで事情を話していいかもわからない。自分以外の子ども達を殺しに行くと言っている相手に――しかも確かにその能力を持っている相手に――友達の能力について話すのは危険に思えた。
「――自分より強い力持ってる奴心配するのってどういう気持ちなの?」
沈黙してしまった私の上に、ふと声が降る。
「そんなに気にするってことは、どうせソイツ能力上手く使えないんだろ。かわいそ~って哀れんでるの? 能力って強ければ強いほど、暴走も酷いもんね。うさちゃんからしてみたら、そんな能力持ってる奴なんて、バケモンみたいなもんでしょ」
バケモン――バケモノ――化物。
頭の中で言葉が変換される。危うく木の根に躓いて転びそうになった私は、動揺を残したまま瞳を上げた。少年の底なしの穴のような瞳と目が合う。
少年と出会って間もなかったが、この時、一番彼のことを怖いと思った。
「――化物なんて、そんなことない。それに、関係ないよ。友達だから、死んでほしくないから、心配なだけ」
「友達じゃなければ死んでも構わないの? おれが殺した奴らには同情しない? 友達じゃないから?」
嫌な感じだと思った。最初に会った場面と同じで、一挙一動の何かを間違えたら即座に命が絶たれるような本能的な恐怖が背筋をのぼってくる。肌が粟立つような感覚を抑えこみながら、私は答える。
「可哀相だとは思う。何も悪いこと、してないのに」
「殺されそうになってたくせにそんなこと言っちゃうんだ」
軽蔑されたように言われてもそれは私の本心だった。殺された子たちは誰もまだ何も悪いことはしていなかった。確かに私を殺そうとしたかもしれないが、その前に殺された彼らは、その死によって完全に被害者になった。そんな彼らのことを可哀相だと思うのは、まだ生きている者の傲慢なのかもしれなくても、やるせない気持ちがある。
「きみだって、同じだよ」
「ハァ?」
自分に矛先が向くと思っていなかったのか、振り絞った私の言葉に、少年は動きを止めた。
「みんな何も悪いことはしてないのに、こんなことさせられて」
大きな瞳が、不思議そうに瞬く。
「俺のしたことが悪いことじゃないって?」
「したことは悪いことかもしれないけど、悪いことをしないといけないようにされてるんだよ、わたしたち」
そもそも、私達は確固たる善悪の基準を持つほど大人ではなかった。
厳選されたテレビの番組や雑誌の情報から、外の価値観を学ぶことはあっても、それを実感として理解できるほどには大人ではない。だから、私の善悪の判断もまたしっかりとしたものではなかった。ただ、命というものは自分であり、自分を失うということはとても恐ろしいことだということを、いつ何時捨てられるかわからない私達はいつも実感していた。
「殺さないでも生き残れるなら、殺したくなんてないよ。でも、死ぬのは怖いから、みんなその怖い気持ちから逃げたいんだ」
「俺は違う。怖くはないよ。だって強いからね。うさちゃんとは違うバケモンだから」
徐々に強くなる少年の語気に、彼はそう大人達に言われてきたのだろうかと思った。他の子ども達が真似するほどに、大人達が私を『役立たずの能力』と呼ぶことが当たり前だったように。私の友達が、『獣』として恐れられていたように。
「バケモノなんかじゃないよ」
「バケモンだろ」
「人間だよ。わたしも、わたしの友達も、きみも」
言い終えた瞬間、私はあっと息を呑んだ。
こちらを凝視していた少年の瞳に、傷ついたような色がよぎったからだった。すぐに視線が逸らされて、少年は無視したように再び足を動かし始めたが、それは確かに見間違いではなかった。
少し狼狽して、躊躇いながらも私は後に続いて彼を追いかける。その自分とほとんど変わらない薄い背中を窺いながら、私は頭の中で自分が彼を傷つけてしまったのかもしれないことを考えていた。
「……ごめんなさい」
重苦しく感じられる沈黙をたっぷりと味わった後に、もうこれ以上は無理だというところで、意を決してそう言った。少年は、僅かに間を置いた。ちらりと肩越しにこちらを見やった顔には、薄い笑みが浮かんでいる。
「なんで謝んの?」
子どもらしからぬ、大人のような笑みだった。大人達が、子どもを上手く使いたい時に、必要があって浮かべるような、あまり感情の窺えない笑み。その笑みを見て、何故か私はより一層の罪悪感に駆られた。
「傷つけた、から……」
「おれを? 傷ついてなんかないよ。誤魔化すなよ」
胸中の動揺が外に出たのだろうか。目敏い発言に、私は僅かに息を呑む。
穴のような瞳からは、感情が窺えない。けれど、何故か、彼には嘘は通じないのだと本能的に悟った。
「なんで謝るの? 自分が間違ってると思ったから? そんなわけないよね。うさちゃんは言いたいこと言ったんだもんね? おれに殺されたくないからとりあえず謝ったの?」
「…………ほんとうは」
「ホントは?」
声音は静かで怒りの気配はなかったが、怒濤の追及に私は観念して口を開く。私には彼が怒っているかそうでないかの判断はつかなかった。けれど、私の発言が何かしら彼の意識を引いたのだということはわかったから、きちんと答えなければならないと思った。
「……傷つけたなら、悪かったと思うのは本当。でも、謝った理由は……嫌われるのが怖かったから」
「……なんで? あ、おれに嫌われたら終わりだからか」
「それはそうだろうけど、そうじゃなくて」
思っていることに、相応しい言葉を頭の中の辞書をひっくり返して探す。けれど、結局、考えて考えて出てきた言葉は、子どもっぽくて情けないものだった。
「今傍にいてくれるたった一人なのに、嫌われたくないよ……」
それは紛れもない、私の本心だった。
彼の機嫌を損ねた時に殺されるかもしれないという恐れも勿論あったが、どの道、この状況ではいつどこで状況が転ぶかもわからない。彼に殺されずとも、私の能力ではこの状況で生き残ることが難しいことはわかりきっていた。だから、先のことはあまり考えないようにする。今はただ、友達とはいえずとも彼と普通に話がしたいと思っている。
「わたしも聞いていい?」
無言でこちらをじっと見ている少年に、私も尋ねる。彼はしばらく私を眺めていたが、何、と短く質問を許可した。
「強い能力を持ってるって、どういう気持ち?」
意趣返しのつもりではなく、本当に聞いてみたかった。私には持ち得ない力。強い能力を持つ子どもは、施設の中でもいつも特別視されていた。私は彼のことを見たことがなかったが、彼はきっと、本当に特別だから隠されていたのだろうと思った。施設の中で、能力の強さは命の価値だった。だから、簡単に同じ子どもを殺した彼を恐ろしく思いながら、私は彼の傲慢さにはそれほど驚きはしなかったのだ。
「――さぁ。弱い能力を持ったことがないから、わかんないよ」
少年は、少し考えるように黙った後で。
つまらなさそうに、ぽつりとつぶやいた。
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