4章
過去 09
これはゲームだ。
同じ被検体の誰かがそう呟いた時、私達の誰もが納得した。
ここにいる子達は皆、物心ついた頃から『超能力』を持つという共通点がある。
超能力とは、もとは、遺伝子の欠損なのだという。
母体の胎内で命となる時に特定の遺伝子が欠損し、脳神経の回路が一部分変形する。その結果として、微弱な電波信号を脳の内外に発することができるようになった者が、『超能力者』と呼ばれる。
下は赤子から上は十五歳辺りまで。実年齢は検査の歳に数値として出されるから、皆自分がどのくらいの歳なのかは知っていた。
『超能力』を研究している『施設』は、いくつかの
見たところ、前を歩く彼も、年の頃は私とそう変わらないように見える。だが、特徴的な白髪と黒目に見覚えはなかった。
同じセクション内で管理されていても、必ず顔を合わせるわけではない。だが、先程少年が見せた『能力』は、今まで見てきたどの超能力よりも強力だった。
強い『超能力』を持っている子は、暴走の危険性と特別な研究のため、どのセクションとも異なる特別房で管理されていると前に子ども達の噂で聞いたことがあった。今まで見たことがないということは、彼もきっとその類いの子なのだろう。
「あーあ、やっと外に出られたと思ったらこんな居心地悪い森の中なんて。舐めてるよなぁ。さっさと終わんねーかな。うさちゃんもそう思わない?」
施設の子ども達に揃いの、上下共に白い清潔な服装。暗い森の中にあると明らかに浮いている服を着た少年が、退屈そうにつぶやく。
「……うさちゃんって、もしかして、私のこと?」
「おまえ以外にだれがいんの」
端的な返事を返して、私を見やる。
「番号で呼ばれたい?」
「……ううん」
戸惑いつつも首を横に振れば、あっさりと視線は外れる。
『施設』で暮らす子どもは、皆番号で呼ばれる。
だから、私にも、私の友達にも、目の前の怖い少年にも名前はない。
名前がないことは当たり前だったから、最初から聞くような発想もなかった。
だが、共に行動するならば、確かに呼びかける名がないと不便だろうということに気がつく。子ども達は皆、大抵は検査時以外には顔を合わせることがなかったから、そんなことを気にする必要に直面したことはなかった。
「あの、あなたのことは、なんて呼べばいい?」
「おれ?」
私の唯一の友達は少し特殊で――この場に『特殊』でない人間がいたらという話ではあるが――訳あって言葉での交流は限られていたから、そういう意味でも困ったことはなかった。
「――思いつかない。名前ってどういうの?」
「私も持ってないから……」
だよね、と少年は軽く相槌を打つ。いまいち感情の揺れ方はわからなかったが、会話が成り立っている時は驚くほど普通に思えた。
『名前』は、人間として認められて初めてつけられるものだと学んだ。『超能力者』は普通の人間ではないから、名前はない。子どもから大人になれた時、初めて名前がもらえるらしいと子ども達の間ではまことしやかに囁かれていたものだった。
「――このゲームで生き残ったら、名前、もらえるのかもね」
「ウン? なんで?」
そんな話されたっけ?と首を傾げる。ぽっかりと木に空いた虚のような黒目に見据えられると、やましいことはなくとも落ち着かない気分になった。たぶん、私がまだ彼のことを何も知らずに、その能力の強さだけを目の当たりにしてしまったからということもあるのだろう。
「さっきの子達に最初に会った時……そう言ってた。このゲームに勝ったら、大人になれるかもしれない、どの道勝たないと大人にはなれない、だから」
だから殺す、と本来その後に続いた言葉を、口に出す気にはなれなかった。血を流して倒れた彼らが瞼の裏に蘇る。彼らとは、友達ではなかったが、顔見知りだった。死んでしまったのだ、と考えると、居たたまれないような辛い気持ちになった。
――これはゲームだ、と誰かが言った。
たぶん、それは本当なのだろう。
この『実験』が始まる前に、子ども達が大人から告げられたのは端的な事実だった。
『これから『実験』を行う。これは普段の検査とは異なるが、結果は能力測定の参考にされる。今からあなた達をこの森の中に放つ。五日間の期限の間に、各自自分の能力を示すこと。ある一定数まで『勝者』が決まったら、実験は終了する。尚、最後の一人になったら、その時点で期限を待たずに実験は終了だ。それでは、頑張ってね』
いつもの検査の時のように、誰も「なんで」とは聞かなかった。
そういうものだとわかっていた。
「あいつらにもらわないといけない名前なんて欲しくないよ」
物思いに沈むように俯いていた顔をはっと上げる。少年の様子は変わらず、昏い瞳も表情も動いてはいなかったが、その言葉は本心だとわかった。
「てかさぁ、アイツらに言われたこと本気で信じてんの?」
「……」
「一定数の勝者ぁ? 最後の一人ぃ? あんなの絶対適当だよ。ぶち壊してやったらすぐルール変えると思うよ。能力見たいってのだけでしょ、本当なのは」
五日間という長めの期限は、期間を短くすると、破壊能力を持つ子どもに有利なパワー勝負に持ち込まれるから。持続力はないが瞬間的な破壊力のある能力を持つ超能力者は、子ども達の中にもそれなりにいた。
大人達の考えはわからない。だが、普段の検査と実験で埋め尽くされた毎日を思えば、これもまたその一巻であるとしても不思議はなかった。あるいは、最終試験のようなものなのかもしれない。能力が大人達にとって実用に足るかどうか見るための。
欠伸混じりで言う少年の言葉は、言われて見ると理に適っているように感じた。
「じゃあ、最後の一人にならなくても生き残れるってこと?」
「さぁ。良い能力持ってて、終わるまで死んでなきゃ、平気なんじゃない。うさちゃんはダメそうだね」
まったく雰囲気にそぐわない言葉と共に笑いかけられて、私は眉を下げたが何も言えなかった。私の能力が何の役にも立たないことは先程もうバレてしまっている。それなのにまだ殺されていないのは予想外だったが、それは正直とても有り難かった。死にたいわけがない。それに。
「―――
私の問いに、少年が止まる。あまり背は変わらなかったが、上りの傾斜側に立っているせいで、しげしげと見下ろされることになる。
「何? ほんとにウサギになれるわけ?」
「え? わたしじゃないよ……友達の能力なの」
「トモダチ?」
興味を引かれたのか、完全に足が止まる。カタコトで繰り返した少年は、何ソレ、とでも言いたげな表情をしていた。不思議そうというよりも、何故か少し不快そうな、そんな表情だった。彼の感情の起伏がわからず、私は戸惑ったが、相手はこちらの言葉を待っている。
「さっきまで一緒だったんだけど、さっきの……あの子達に追いかけられてるうちにはぐれてしまって」
――手を離してしまった。
最後に見た瞳には、絶望が映っていた。それを思い出す度堪らなく不安な気持ちになる。彼一人ならば、早々誰かに殺されることはないだろうとは思っている。他の子ども達の能力をすべて把握しているわけではないが、彼の検査時にも特別に居合わせる許可が降りていた私は、その能力が他と比べて突出しているという大人たちの言葉を聞いたことがあった。
――『だが代わりに……理性……失……あれじゃ本当にただの獣……』
聞き耳を立てた大人達の、途切れ途切れの声。脳裏に蘇ったそれを、再び奥底に押しやる。
「あの子は強いから、簡単にやられたりしないと思うけど、でも」
その続きを口に出すことはできなかった。
黙り込んでしまった私を、しばらく少年が見ている気配があった。だが、彼は不意にその鋭すぎる眼光を逸らすと、顔を上げる。その顔に今度ははっきりと嫌そうな色が滲んだ。それにつられて、私も顔を上げる。
――ポツリ。
「これ、雨?」
「さいっあく」
心底うんざりしたような声だった。その言葉の意図は、間もなく察せた。
すぐに本降りに変わった雨がしとしとと木々の間を縫って落ちてくる。それが服や靴に染み込んで、あっという間に体から体温を奪っていった。雨を遮る大きく枝を伸ばした木の下に入り込むと、濡れない場所を求めて自然と身を寄せ合うように近くなる。ついでに服が濡れて寒かったので、体温を分け合うという意味では丁度良く、彼のほうでもそう思ったのか文句を言わなかった。
「……本当に空から水が降ってくるんだね、雨って」
驚いた様子もなく、どころかすぐに不快そうにした様子を見るに、少年のほうは雨を体感したことがあるのだろう。優秀な子どもはごく稀に外出することがあるらしいから、そのためだろうか。
大抵の子ども達は、ほとんど外に出る機会もないまま窓のない施設内で暮らす。外の世界の知識は、言語活動に甚だしい制限を来たさないよう与えられた、制限されたメディアからのみ知る。私の知る雨も、常に一定の温度と湿度を保った施設内では無用の、天気予報というニュースから知った知識だった。
「……こういう時、超能力ってあってもあんまり役に立たないね」
「役に立たない能力しか持ってないからだろ、おまえが」
「じゃあ、この状況で何かできるの? 雨止められる? 寒いのどうにかできる?」
問いかけると、無表情だが明らかに険のある眼差しを返された。できないらしい。
あまり彼の機嫌を損ねるのも得策ではないと思ったので――というのも、この時の彼の印象は初対面の人間を躊躇なく手にかけられる人間だったのだ――私はその辺で黙った。
けれど、黙る直前。鬱陶しげに雨の降る曇天を見ている隣の少年に、聞こうかどうか少し迷った。
――私は、本当に一緒にいていいの?
――本当に殺さないでいてくれる?
結局、その問いを口に出すことはなかった。
私の口を噤ませたものが、強い超能力者である少年に対する本能的な恐怖だったのか、それともこの場をやり過ごそうという自己保身だったのか、どちらでもあるような気がしたし、どちらとも違う感情が混じっているようにも感じた。
わかるのは、隣にいる少年と濡れそぼった身を寄せ合って、寒さの中でその体温に奇妙にも安堵を覚えていたことだ。彼は自分とほとんど変わらない細身の体をしていた。同じ形をしているものには親しみを覚える。例えその内側にとぐろを巻く力が、同じ人間と思えないほどに強いものであることがわかっていたとしても、人の心は複雑にも単純だった。
「――……そういえば、きみは、ウサギが好きなの?」
「ウン? ……好き?」
私の赤く光る瞳をウサギのようだと彼は言ったが、施設の大人達は誰もそんなふうに形容したことはなかった。だから、ウサギと咄嗟に出てきた彼は、好きなのだろうかとそう思って。しかし、尋ねた私の質問に、彼はふと目を瞬くと考え込むように俯いた。
「……好きなら、なんで好きなのかなって、ちょっと思って」
ただそれだけの会話の切り口のような質問だったのだが、予想外に少年は眉を寄せていた。そんなに考え込むようなことだろうか、と思ったが私は黙っている。雨が打ち付ける音が聞こえていた。寒くないだろうか、と離ればなれになってしまった友達を心配に思う。
「――――ウサギ……確か、何か、前に……」
前に。テレビででも見たのだろうか。
施設にはテレビモニターのある部屋があって、たまにそこで映像を見た。映像はいつも大抵決まったジャンルのものしか流れなかったが、外の知識に飢えた子ども達には人気だった。子ども達の知る外の知識は、逆を言えばそこからしか得られなかった。
「昔…………なんだっけ?」
体が濡れたせいか、木の下で身を寄せ合っているうちに、私の瞼は徐々に下がり始めていた。隣の少年がぼんやりとした様子で頭を捻っているのを横目に、微睡みに引き摺り込まれていく。少年はずっと虚空に視線を向けて、なにかをじっと見つめているようだった。
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