3章

現在 08


 インドの密度のある空気の中に降り立ったのは夜半のことだった。

 極秘任務と再三述べてきただけあって、入国手続きは国連所有の施設内で行われた。この間、ほとんど一方的に連れてこられたような私に出来ることはない。オルシーニが現地の監査官と話しているのをソファーに沈んで待ちながら、インド・サラセン建築の天井を眺めていた。

 破壊向きの『超能力』の特性上、その身一つで紛争地域や非合法組織への潜入任務などを請け負うこともあるサラ・ソウジュやエニシダとは違い、私は基本的に施設から出ることはない。施設に務めるドクターに苦言を呈されない程度に運動はするし、犬猫より元気な子ども達に付き合って鍛えられてはいるが、せいぜいがその程度だ。元々私のは精神系の『超能力』であるし、つまり、何を言いたいのかと言えば、この強行軍に早速疲労し始めていた。


「本当に笑っちゃうくらい普通の、いや、普通の人間よりもひ弱な方ですね」

「だから言ったでしょう。『超能力者』は普通の人間なんです」


 冷えたペットボトルの水とコカ・コーラという両極端な印象の飲み物を持って戻ってきたオルシーニが、どちらがいいですか、と聞いてくる。普段は水を選ぶが、頭をスッキリさせたくて黒い炭酸飲料を貰った。すぐに飲む前に冷えたペットボトルを額につけた私は、揶揄うような彼の言葉に機上でのやり取りを思い出す。


「そういえば、貴方達4人は全員アジア系の名前ですね」

「名前を決める時に日本語や中国語の辞書から引いたので」


 今からそのままインドへと向かうと告げられてからの世間話だった。正確には世間話のていを装って探りを入れられていることは理解できたが、ほとんどないも同然のプライバシーよりも非協力的と見なされた時のほうが問題に違いなかったので、私は素直に応じた。


「お顔を拝見すればなんとなくはわかりますが、そちらにルーツがあるからというわけではなく」

「はい。私達は大体孤児か、買われてきた足のつかない子どもだったので、自分達のルーツは正確には知りません」


 DNA検査などで辿れないわけではないが、わかったところで今更私達に『ホーム・スイート・ホーム』があるわけでもなかったので、たいして気にしたことはない。人種や国籍の問題以前の私達の命は、国連条約の下で保護されている。丁度、絶滅危惧種に指定された動物達を守るように。


「あれ、名前を決める? それは、ご自身達で名前を決めたということですか」


 一旦流しかけたオルシーニが、引っ掛かったように尋ねた。


「ええ、ご存知かと思いましたが」

「存じ上げませんでしたね」


 まぁ、割合とどうでもいい部類の情報だ。対象の趣味や生活パターンはプロファイルを作る際に有用だが、一般的には一方的に親から与えられる名付けにとりわけ注意を向けたりはしない。家庭の背景などを窺い知る一助とはなるだろうが、後ろに家庭がない人間についてならば尚更だ。


「ただ、4人とも珍しい名前なので興味はあったんですよね」

「そうですね。私達も当時は言語も意味もあまり深く考えていませんでした。候補が多すぎて全員煮詰まって、最終的にほとんど自棄になった状態で決めましたから」


 今振り返れば、一生を左右する名付けに対してあまりに適当というか不誠実であったかもしれないが、それから今日に至るまで全員その名を変えることはなかった。アジャセについてはどうだろうか。6年間の逃亡生活の中で、彼は人の社会に融け込んで偽名を使うこともあったのだろうか。現実的に考えればあっただろうと思うが、アジャセが人の中にいるという図が私には思い浮かばなかった。

 名付けるという行為は一個の人間として成り立つということだ。私達は自分の名前を得て人間として初めて真っ当になったような気がした。だが、大人になれたかどうかはいまだによくわからない。


「ご気分を害されたら申し訳ないのですが、実を言うと貴方と話して驚きました。まともに会話が叶うという事実に」

「え?」


 世間話から急な方向転換をされて目を瞬かせた。サングラス越しだが、なんとなく悪戯げに感じられるオルシーニの視線がこちらへ注がれている。


「超能力者ってヤツは、力と引き換えに全員人格破綻者ばかりかと思っていたので」

「ああ、なるほど。私の力がたいしたものではないからかもしれませんね。私も人格者ではありませんが、世の中には私(超能力者)よりもよほど能力を持った人はいるでしょうし」


 既に聞き慣れた話題だった。私のように力のない人間は、せめて聞き分けの良い振りくらいはしないとやっていけないということもある。


「ご自身に対して低い評価だ」

「客観的な意見ですよ。人格と引き換えに、能力に全振りした幼馴染み達を見てきましたから」


 冗談めかして言ったが、オルシーニが深く頷いたところを見ると、私の同期達の暴虐振りは伝え聞くところらしい。そもそも、その筆頭のアジャセを追う仕事についているのだからさもありなんというやつだ。

 アジャセのことを直接覚えているのは、今では私の他には2人しかいない。そしてその2人と比べれば、遙かに何の役にも立たないとはいえ、私を連れてきた選択には納得がいく。6年前からお世辞にも良いとは言えなかった男3人の仲が6年後になって急に良くなるとは思えないし、それにサラ・ソウジュもエニシダもどちらも制御するには骨が折れた。なにせ反抗するための力と社会におもねない研ぎ澄まされた牙を持っている。どちらも私が持ち得ないものだった。

 アジャセを捕まえることを第一目的としているならば、実際にできるかどうかはともかくとしても、出会い頭に殺し合いに発展しないとも限らない2人の同行にはいろいろと懸念があっただろう。


 そして今、インドのソファーに身を沈めながら、私が懸念しているのもまさにそこなのだ。

 アジャセのことを理解したり制御できたりした覚えはない。今も昔も。


「アジャセらしき者が現在潜伏している場所に目星がつきました。これからすぐに出発します」


 オルシーニの手の中で空になったペットボトルがべこりと潰れる。ここに至っても尚、状況に対する現実感は薄かった。流されるままここまで来て、連れて行かれるままに邂逅を果たしたとして、私がアジャセに何を言えるというのだろう。どうも久し振り、再会したばかりで悪いけど、きみの国際指名手配の件でちょっとお話が。これでは私自身が捜査官のようだ。為す術もなく協力している時点で、同罪と言えばそれはそうなのだが。

 罪。アジャセの罪。破壊テロによる大量殺人の罪。

 非合法である『超能力者』を人工的に生み出した罪。

 人の持たない力で人を傷つけるという罪。世界に沿わないことへの罪。自分を縛るものを許さなかった罪。生きているという罪。

 それらのどの程度が本当にアジャセの罪なのだろうか。

 私には判断できない。断ずることも裁くことも庇うことも。ただ、もしまた会えることがあるならば、アジャセと話したいと思っていたことはある。

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