過去 07
「……え?」
ぴちょん、とどこか間の抜けたような音が聞こえた。それが、立ったまま頭部を切り落とされた子の、首の断面から落ちた血の音だと気づくのにも時間がかかった。自分の頭部がなくなったことに気づいていないように、一瞬腕を彷徨わせて、バタン、と地面に倒れ伏す。首をもがれた人形のような姿は、現実味がなさすぎて、幻覚を見せる超能力かと疑った。
だが、呆然とする私の上に、人影が落ちた時。
これは現実だ、と何故か理由もなく直感した。
「うさぎにもちゃんと爪はあるんだね。これから死ぬって時にあんな目が見られるなんて思わなかった」
奇妙に感情の窺えない、平坦な声音だった。それなのに何故か、嬉しそうに聞こえた。
私はゆっくりと視線を持ち上げる。まず爪先が見えた。自分達が身に付けているのと同じ靴、同じ服。それで、彼もこの『実験』に参加している一人だと把握する。
やはり、少年だった。余分な肉のついていない、細身の体。外見年齢と合わない、真っ白な白髪。無造作に伸びて真ん中で分けられた前髪の間から、黒目が覗いていた。
昏い目だと思った。光を吸い取るような、一切の光がない、見ていると不安になる黒さだった。
「ねえ」
声をかけられたのが自分だと、気がつくまでにも一拍かかった。周囲に動く者は自分と彼以外いなかったから、自分で間違ってはいないだろうに、反応が遅れる。
「さっきの、目が赤くなるやつ。おまえの力? もっかいやって見せてよ」
ぽかんとしてしまい、何の言葉も返せなかった。それよりももっと他に何か――それが何だったのかは私にもわからなかったが――言うべきことがあるのではないかと思ったが、感情が混乱していて言葉にできない。
「……聞いてる? 力と引き換えに頭イっちゃうタイプ?」
「……さっきの、って……」
怪訝そうな声色を聞き取って、ようやく声を絞り出すと、少年はぱちりと瞳を見開いた。大きな瞳だった。零れ落ちそうなくらいで、睫が長く、眼力が強い。気圧されかけたが、なんとか疑問を口にした。
「力を使った時に目が赤くなること? もう一回やるって……」
「ああ、やっぱりそうなんだ? ウン、やってみせて」
私は今度こそ本気で戸惑った。それでも、そのような状況ではないというのに、逆に不釣り合いな状況過ぎたせいか、投げかけられた言葉に素直に返事をしてしまう。
「でも、一応能力だから……見るってことは、あなたに能力をかけることに」
「ウン? ああ、そっか。別にいいよ」
「え?」
「特別に許したげる。おれが頼んだんだから、いいよ。殺さない」
なんてことのないような口調で言われた言葉に、忘れかけていた死の恐怖を思い出す。だが、そういうことではなくて、と青い顔をしつつも首を横に振った。
「あなたに影響が……」
「ウン?」
「……なんでもない、わかった」
言いかけてやめたのは、自分の能力を思い出して、買い被り過ぎだと思ったからだ。目の前の少年の能力が何かはわからなかったが、自分より強い力を持っていることは確かだった。強い超能力を持つ者は、比例するように他者からの能力による干渉にも強いということは、この『実験』に参加している者ならば皆知っている。
初めて見た顔で、彼のことは何も知らなかったが、周囲の惨状こそが彼の力を物語っている。彼にとってはきっと、私の能力など、何の意味もなさないだろうと理解できた。
「わたしの目を見て」
彼が自分をどうするつもりなのかはわからなかった。殺さないという言葉を信頼したわけでもなかった。同じ『施設』にいる子達のことをそう多く知っているわけではないが、能力を持つ子は不安定だ。目の前にいる彼からも、その危うい印象は感じ取れた。
「――あかい」
――だから、力を発動しながら、努めて心に平静を保った。
彼に自分の能力は恐らく効かないだろう。そしてやはり、効いた素振りはなく、少年はただ赤く光った瞳を食い入るように見つめていた。その顔が、もっと瞳を近くで見ようと近付いてくる。近付く。近付く。近付く。ピタリ、とその縮まる距離が止まった時、少年は僅かに驚いたように目を瞬かせて、次いで、不満そうな顔をした。接近を止めたのが、彼の意志ではなく、その両頬を挟んだ手だったからだろう。
「もっと見せて。気に入った」
「近いよ……!」
「近づかないとよく見れないだろ」
「も、もう力切れるから!」
「もう? 一瞬じゃん。弱すぎない?」
「弱いんだって!」
「そういやそっか。さっき殺されそうになってたしね」
あっさりと納得したような言葉に、いつから見ていたのかと背筋にひやりとした感覚が走る。殺されそうになっていた。それを知っているということは、彼は随分前からあの状況を見ていたということだ。
「で、おまえの能力ってなんなの?」
かけられてもわからなかった、と少年は言う。予想通りだったがいつも通りの落胆を覚えた。
少年は、瞳がもう赤く明滅していない私から顔を離す。だが、まだ興味は薄れていないのか、立ち去る様子もこちらを害することもなく会話を続けた。凍りついていた私は、その言葉に我に返って戸惑う。
「……すごい弱い力だよ」
「ウン」
「……聞いても面白くないよ」
「ウン」
「……が、がっかりすると思う」
「いいから話せよ」
真顔で詰められて、私は諦めた。能力は、自らの存在価値そのものだ。それを弱いとか役立たずとか自分で言うのは、大人達が検査の数値を見て『ダメだな』という感情のこもらない顔をする時と同じように悲しい気持ちになったが、事実は変わらない。私の能力は本当に弱いし、役にも立たなかった。
「…………自分の感情を、目を合わせた人と同調する能力」
「…………は?」
「分類的には精神系の
「……感情を、同調? それだけ?」
「……うん」
彼は黙りこくった。昏い目が、私を凝視している。光を吸い取ったように黒い瞳からは感情が読み取れない。呆れているようにも、真偽を見定めようとしているようにも見えたが、たぶん前者だと直感した。
気詰まりな沈黙が続いた。私は激しく動き回る心臓の音を聞きながら、なるべく存在感を消すように息を凝らしていた。やがて、判決を待つ罪人のような心持ちの私の耳に、小さな声が落ちた。
「オモロ」
「……へ?」
聞こえてきた言葉に耳を疑って、顔を上げた時だった。唐突に、目の前にいた少年の雰囲気が変わった。
それは、肌が粟立つような変化だった。一瞬で心臓を握り潰されたかのように、激しい恐怖が突き上げる。
ヒュン、と顔の横を風が切った間隔があった。遅れてはらりと数本髪が落ちるほど速く、鋭い風。瞬きの間の後、背後から「ぐうっ……!」と苦悶の声が上がった。
驚いて振り返った先に、腹から血を流している少年がいた。先程ちらりと見た顔だ。全員やられたと思い込んでいたが、生き残っていた子がいたのか。
「おまえの能力はなに?」
前方にいたはずの存在が、いつの間にか背後にいた。腹部から血を流す少年をいとも容易く指一本動かさずに地面に転がすと、その顔を覗き込むように見下ろす。
静かな質問は、先程自分が受けたものと同じだ。それなのに、先程は感じなかった怖気のようなものを感じ取って、思わず震える。
「て、
「――おまえはつまんねーから死んでいいよ」
ぐちゃりと果実を潰すような音が聞こえた。
もうずっとへたり込んだままだったが、元々腰が抜けていなくても、今ので完全に腰を抜かしただろうと思った。少年の脚の隙間から、文字通り潰れた頭が見えた。あまりの光景に声も出ない。
振り返った少年の、黒目と目が合った。
「なに? ひでーとか思ってる?」
「……」
私は何も答えられなかった。酷いという憤りよりも、現実味のなさが奇妙に恐怖を麻痺させていて、ほとんど放心状態だったというほうが正しい。彼は大きく顔を傾けて、私の顔を覗き込んだ。真ん中で分けられた白髪の前髪は長く、吸い取られるような黒目に少しかかっている。
「ほっときゃ自分が殺されるだけだよ。それでいーならいいかもだけどね」
――彼の言うことは正しい。
殺さなければ、殺されるだけ。それはこの場でこれ以上ないほど正しい真実だった。
私は途方に暮れたような心地になって、周囲を見回す。
目の前には死体がある。何人もの死体。
友人とは言えないまでも時々顔を合わせては見知っていた顔達が、血の海に突っ伏して虚ろな瞳を虚空に向けている。
その血の海の中で座り込みながら、しかし、唯一まだ息をしている私。被検体の中でもあまり見所のないと言われていたことを思い出させるように、命のかかっている時だというのに頭は麻痺したように動かない。
何が起きたのか理解してはいても、把握して、動けるまでになるまでには時間がかかった。それは、正確に言えばたかだか数秒の話だったのかもしれない。
たかが数秒。されど数秒。
それは、この場において、容易く命運を分ける数秒だった。
「にしても、あっけなぁ。ま、徒党を組んで一人を襲う奴らなんてこんなもんか」
欠伸でも混じっているような、気怠げな声。
たぶん、その声を最初に聞いた時。私はすぐに我に返ってこの場から逃げるべきだったのだろう。こんなところで、呑気にお喋りに興じている場合ではなかった。なにがなんでも、それこそ先程大勢に追いかけられていた時より無我夢中で、逃れようと努力すべきだった。だって、彼は、見かけた子ども達の中で一等異質だ。
けれど、血の海にへたり込んだままの私の足は萎えたままで、相変わらず立ち上がることもできないのだった。
「結局、他はなんの能力持ちだったのかもわかんなかったね。……どうでもいっか」
軽い足音。こちらへと近付いてくる音。背中に感じる気配に我知らず体がぶるりと震える。
顔を上げるには、今更ながらに勇気がいった。目の前に倒れ伏している死体を作ったのは、他でもない、その声の主なのだから当然だった。恐怖で呼吸が浅くなり、血を浴びた服が重たく肌に張り付く感触が、厭に鮮明になる。けれど結局、振り返る必要はなかった。
「やっほい。ぼーっとしてるけど、起きてる?」
唐突に目の前に割り込んできた顔に、心臓が跳ね上がる。
「……なん、で」
「ン?」
喉から絞り出した声は、情けなくも震えていた。あからさまに恐怖が滲む声音に気分を害した目の前の彼に害されるかもしれない――そう、今さっき殺された子達と同じに――という不安はあったが、震えを呑み込むことはできなかった。
「なんで、わたしを助け……」
もっと早くに聞くべきことだったのだろう。だが、一度目助けられた際は考える間もなく、だからこそ二度目の時は、ゆっくりと恐怖の実感が身に染みていった。
少年は、無表情のまま顔を傾ける。何を聞かれたのかよくわからなかったような様子にも、聞き取れなかったことを示しているようにも、どちらとも取れる曖昧な仕草だった。けれど別に、言葉の意味がわからないわけでも聞こえなかったわけでもなかったことは、次いで発された声ですぐわかった。
「おれも今考えてたとこ」
「……」
「おれからしたらこっちもあっちも同じだし。まとめて殺してもよかったんだけどね。ただ、おまえ、うさぎみたいだったからさ。さっき」
「うさぎ……?」
「ウン。見たことある? 白くて、目が赤いの、いっしょでしょ。小さいけど、足が速くて、結構凶暴らしい」
少年が何を言っているのかわからなかった。
私がうさぎに似ていて、だから、なんだというのだろう。確かになんの役にも立たない能力の中、力を発揮する時に見えるこの赤目は特徴的だったが、それさえも大人達からはかえって能力についてあからさますぎて良くないと評価は悪かったというのに。
この赤目を食い入るように見つめたのは、目の前の少年と、そして、はぐれてしまった彼だけだ。そうだ。私は彼を探さないと――。
「それで、どうする? 死にたい?」
「え?」
明日の天気、くらいの軽い調子で言葉を投げかけられた。どっと急に冷や汗が流れ出る中、そちらへ錆び付いたような動作で視線を向ける。少年はこちらを見てもいなかった。ぼんやりと暗闇の広がる鬱蒼とした茂みの中に、視線を投げかけている。どことなく眠そうだった。
「なんか成り行きで助けちゃったけど、死にたいなら殺してあげてもいいよ」
「えっ」
「あ、死ぬんだったらその目はもらっていい? その色が変わる目、欲しい」
「うええ!?」
恐怖も動揺も飛び越えて素っ頓狂な声が出た。少年は真顔でこちらを振り返る。冗談を言っている素振りはない。自然と、血の海の地面に目がいく。先程だって、『面白くないから死んでいい』なんてあんまりな言葉の直後に、本当に実行に移した。恐らく本気だろう。
「…………この目は、わたしが死んだら、もう、光らないよ」
たぶん。恐らく。確信はない。死んだことはないし、そもそも目が光るのは能力のおまけなのだ。だが、そう答えなければ自分の命が危うかった。
「ええー、それはヤだなぁ」
案の定、彼の中で天秤が『殺さない』ほうに少し傾いたようだった。それに安堵を覚える間もなく、ふと思いついたように「あ」と口を開く。何故だかわからないが、ろくなことを言われない嫌な予感がした。
「そだ。おれらも組む?」
「え?」
そいつらみたいに、と無造作に指を指した先にある夥しい血の海。その中に自分が沈む光景を想像してまたぞっと背筋が震え上がったが、彼は対照的にはじめてそこで微笑んだ。
「じゃなきゃうさちゃん、すぐに死にそうだし」
最後の最後になるまでは、その目をちゃんと守ってあげる。
無邪気に笑った少年に、私は、今は黒い瞳を極限まで見開いた。
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