現在 03
「子ども達に慕われているんですね」
機上から離陸して離れていく施設を見下ろすと、雪の中に溶け込むような白い施設はあっという間に見えなくなった。機上に乗り込むまでは縫い閉じられたように口を開かなかった訪問者達は、施設を離れるとめいめいの仕事に忙しく動き回り始める。その中でかけられた声に、私は一拍置いてから自分に話しかけられたのだと気づく。
声の主は、応接室で話を主導していた男だった。他のいかにも訓練を受けた軍人勢とした男達とは異なり、線が細く、黒いスーツで身体を覆っている。SF映画に出てきそうないかにもな黒いサングラス越しの瞳は見えなかったが、その口角は親しげに上がっていた。
「貴方を害すると思われたんでしょう」
先程の子ども達の話がもう報告されている。何気ない世間話のように振られた言葉に、私も何気ない振りを装った。離陸してしばらく経ったが、まだ彼らからは何の説明も聞いていない。何を目的として自分を連れ出したかわからない以上、どのような話題にも下手な返答はできなかった。
「子ども達の“やんちゃ”をお詫びします。普段は聞き分けの良い子達なのですが、何分まだ子どもなので、感情の表し方が直情的なのです」
「瞬く間に貴方がその場を収めたと聞きました。手綱をよく握っていられるようだ」
「赤子の時から見ていますから。彼らも慣れています」
「同じ『超能力者』でもありますしね」
「子ども達は皆、私よりも余程優秀です」
「と言うと?」
「能力の制御を欠くことのある能力者は、それだけ強い能力を持っているということですから」
私の能力は暴走もない代わりに、地味でぱっとしないものです。
付け足した皮肉に、男は僅かに笑んだ。その表情のほとんどが見えないが、声や姿の雰囲気からして若々しい。もしや私と同じくらいか、それ以上に若い青年では、と内心で考えながら次のカードを切る。
「監査官さん方には、私しか居合わせていなくて申し訳がないくらいです」
「どうぞ私のことはオルシーニとお呼びください。ラストネームですが」
「Mr.オルシーニ。タイミングが悪かったですね。もう少しお早い訪れでしたら、私などではなく、サラ・ソウジュやエニシダなどの『能力者』を同行させられたのに」
最初から私に拒否権限はなかったが、数は少ないとはいえ『超能力者』は他にもいる。子ども達を連れて行かれるよりは遙かに良かったが、私よりも私の同期二人のほうが『超能力者』として役に立つ。せいぜい他より多少勘が良い程度の私の実力について、まさか知らないわけもないだろうが、と考えた私はふと気づいた。
「……いえ、もしかして、逆にタイミングが良すぎた? サラ・ソウジュもエニシダもいない時を見計らって訪問されたのですか」
しかし、何のために。
眉根を寄せた私から、まさか私が目的ではあるまいに、と訝しく思う感情が読み取れたのだろう。こちらを窺うように黙っている男の様子に、まさか、という感情が意外さと共に確信に繋がっていく。
「まさか、本当に私が目的で?」
「サラ・ソウジュさんの仕事の予定を急遽詰めさせてもらいました。まさか、あの激務のスケジュールの合間を縫って戻られているとは思わず、危うく鉢合わせるところだったと知ってヒヤヒヤしましたよ」
私はいよいよもって困惑した。オルシーニの返答は肯定も同然だった。予想外の展開に私は一瞬まごついて、あまり実の無いことを聞いてしまう。
「なぜサラを離したのですか」
「彼がいると、貴方とお話もできなさそうなので」
なるほどその慧眼は正しかったと言える。サラ・ソウジュが施設に残っていれば、確かにこのような問答無用の拉致紛いの行為を許しはしなかっただろう。
そう思った後、私は深く息を吐いて、お手上げというポーズを取った。
「そろそろよろしいですか」
「何をでしょう?」
「からかうのはやめてください。機上でご説明くださるとお約束したじゃないですか」
オルシーニは忍び笑いをこぼした。施設で顔を合わせた時の態度は完全に事務的なそれだったのだとわかる。高圧的な雰囲気が抜けて、どこか気安げになった男は弁明した。
「時間がなかったのは本当ですよ。ただ、どうしてもあそこでは出来ない話だったので。機密保持の観点上、ね。ご理解いただけますと」
「施設の人間に聞かれたくないと」
「なにせ今回の件はごく小部隊での極秘の国際犯罪捜査ですから。どこに耳があるかわからない状況では迂闊に話はできかねます。責任問題は勘弁してほしい」
「極秘の国際犯罪捜査?」
機上のお世辞にも座り心地が良いとは言えない椅子の上で、二重の意味で居心地悪く脚を組み替える。一昔前はオカルトとして信じられていた『超能力』の実在が公の場に晒された今、国連を通じて『超能力』を当て込んだ依頼が舞い込んでくるのは珍しいことではなかったが、そうしたことを目的とするならば私の能力は明らかな人選ミスだ。こちらの内心の戸惑いを察したように、目の前にタブレットが差し出される。映し出された画面は応接室で見せられた指令とは違うものだった。
「これは?」
「今回の極秘任務の詳細です」
内容よりも先に視界に飛び込んできた主要国の印に眉を寄せる。普段辺鄙な施設に引き籠もって暮らしているだけあって政治には明るいほうではないが、国連に加盟しているほぼすべての首脳陣の印とは物々しい。
「その国際犯罪捜査の?」
「ええ。中身を見てもらえばわかると思いますが、貴方にお願いしたいのは人捜しです」
書類をめくろうとした手が直感に従って一旦止まるには、その言葉は些か遅すぎた。
新たに視界に入ってきた紙の上に、少年の写真があった。まだ15、6歳程に見える。幼さを残した輪郭と薄い身体。そうした子どもの特徴と相反して、吸い込まれるような大きな瞳は底なしに暗い。その、真っ黒な瞳を私はよく知っていた。
「貴方もよく知っている人物でしょう」
そう。私は彼を、よく知っている。
ただしそれは、紙に焼き付けられた写真の頃の彼のことだ。
私とサラ・ソウジュとエニシダ、そして彼。4人の同期の最後の1人。私達の幼馴染み。
「6年前、貴方達の研究所の母体となった施設を半壊させ、研究員達を皆殺しにして出奔した少年。行方をくらました直後に彼が起こしたとされるウォール街のビルディング崩落テロ事件によって、『超能力者』の存在を公にしたのと同時に、姿を眩ました未成年としては異例の国際指名手配犯罪者」
まだ生きているならば、私と同じく21にはなっているはずだ。
施設が抱えていた虎の子。誰よりも強い『超能力』を持っていた規格外の子ども。私は彼が成長した姿を思い浮かべることができない。私の中で、彼は姿を消した6年前の姿のまま時を止めている。
「彼には6年前の事件以外にも、その後世界各地で確認された重大犯罪に対する嫌疑が述べ数十件はかけられています。しかし噂は聞こえども姿形は一切見せなかったその彼の尻尾を、我々はようやく掴んだ。国連の合同捜査局は、なんとしてでも彼を捕まえたい」
オルシーニは、一呼吸で言い切ってから厳かに告げた。
まるでその名前が、何か特大級の威力を持っているかのように。
そうしてそれは実際、私にとってはとても大きな威力を持っているのだった。
「最悪の超能力者、彼の名は『アジャセ』」
――――『アジャセ』。
その名を胸中で呼ぶ私を見透かしたように、サングラス越しの視線が突き刺さる。
「貴方には、奴を誘き出す餌になってもらいます」
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