転校生s

固結びメレン子

転校生s

「誰のだこれ」

「オーイ、軍手が落ちてんぞ」

 

 教室のざわめきはかれこれ一時間以上続いている。

 教室だけではない。廊下から職員室まで、中庭から部室棟まで、学年も部活も入り乱れ、さまざまなお別れイベントが発生しては収束している。

 今こそ別れ目。

 離れてしまえば、ここの学生ではなくなる。

 つい先ほど卒業式が終わったところ。半端な身分の卒業生たちは、誰からも追い出されないのを良いことに、興奮しきった回遊魚のように歩き回る。

 泣いたり笑ったり約束したり告白したり振られたりと、大変忙しいのだ。

 

「アラマキカエデコのだろそれ」

 

 自分の名前がフルネームで聞こえてきたので、荒牧楓子はハーイと返事をした。

 

「あれ?誰かウチのこと呼んでんかった?」

 

 誰かと言いながらも楓子には見当がついていた。

 かったるそうな、それでいて意外によく通る声。

 逆流してくる人を数人掻き分けて、やっとのことで教壇の方へ移動すると、その声の主と鉢合わせした。

 

「アラマキカエデコ、軍手落とさなかったか?」

「あっ、やっぱ山中くんや。卒業おめでと」

「おまえも卒業生だろ」

「そう、あ、軍手」

「…………さっきまでそこにあった」

 

 ないやん。

 楓子は小さく「えー」と不満の声を上げ、教壇の下や黒板周りを探してみた。が、軍手はない。誰だかが届けに行くって言ってたよと誰だかが教えてくれた。

 

「山中くん、落とし物ってどこに届くん? そもそもウチ落としてないん。置いてあっただけなんよ。あ、そうだ合格もおめでと」

「おう。あそこだろ、学割証もらうとこ。事務室?」

「そうか、行ってみるわ。行ったことないねんけど」

「ないのかよ…」

 

 楓子は自転車通学だから学割証には縁がない。

 保健室の方やったよねと決めつけて歩き出すと、肘の辺りを軽く掴まれた。

 

「全然違うだろ。こっちだよ」

 

 山中は楓子の腕を放し、さっさと背を向け歩き出した。そうかそっちやったかと付いて行く。

 途中ですれ違った何人かに「打ち上げ行こうよ」と誘われたが、楓子はバイトがあるんよと断った。山中は気配を殺してそもそも誘われないようにしていた。

 軍手は届いておらず、事務員の人が「職員室経由で来るパターンだな」と教えてくれた。

 仰る通り、モノは職員室で見つかった。ごちゃごちゃと様々な落とし物が入った箱に、揃えた軍手が乗せてあった。

 

「普通の軍手だ」

「そうやけど…なに?」

「いや、わざわざ探すくらい大事だったのかと」

「折角届けてくれたしなあ。それにないと手え冷たいやん。ウチ自転車やもん」

 

 勝手に持ち去って良いものか迷って、楓子は近くにいた数学教師に声をかけた。

 

「三島センセ、この軍手もらうわ、ウチのだから」

「アー持ってけ持ってけ。いや待て、コレに名前書け」

「面倒くさ。そもそもウチは落とした覚えないのに」

「文句言うなら俺の軍手やるか?」

「イヤやそんな汚なそうなの」

 

 楓子はいきなり後頭部を押されて、グエと声が出た。


「すみません先生、ここですね。名前、と……」

「そうそこ。あとクラスと出席番号と…さっきまでのクラスでいい」

 

 楓子は山中に無理矢理頭を下げさせられ、その狭い視野の中でボールペンが動くのを見ていた。

「アラマキ、カエデ、コ…と」

 

 自分の名前が山中の達筆で形作られてゆく。声と手が、沿うように。こういうところがあるのだ。山中には。意味はないのに、意味深な匂いがするのだ。

 

「出席番号」

「2番」

「1番じゃないんだ。そうか前に明石がいたか」

 

 気のせいか、僅かに楽しげに聞こえる声。

 それから山中がいきなり頭を抑えていた手をのけたので、楓子は軽く仰け反った。

 

「そういやお前ら仲良かったよな。転校生同士で話が合ったんだろかね」

「いやセンセ、普通やよ」

「全く普通ですね」

「そうかそうか」

 

 三島は担任でも進路担当でもない。それでも小さな高校だからか、大概の生徒のことは把握しているらしい。楓子には家の近くに勤められて良かったなあと言い、山中にはS大は快挙だよなと言った。

 

「山中はいつ東京行くんだ?」

「来週です」

「前んとこに住むんか」

「いえ、実家はもうこっちにありますから、部屋借りて一人暮らしです」

「そうかそうか。まぁ土地勘があるんだから安心だよなぁ。あれ、お前らバスはどうした?」

「ウチは自転車」

「俺は…バスですけど」

「行っちまうぞ。見てみろ、みんな走ってる」

 

 三島が窓から校門の方を指差した。なるほどみんな走っている。ここからではもう絶対間に合わない。

 急に校内が静かになったのはそういうわけか。騒ぎながらもバスの時間はちゃんと把握しているのが田舎の高校生らしい。

 山中はこんな半端な時間に下校することはなかったので、バスの時間なぞ知らんと言う。

 

「知らんて…俺も知らんぞ。逃したら二時間以上は来ないんじゃないか?」

 

 三島が呆れたように言ったが、山中はさほど気にしていないようだった。

 

「まあ……歩きます」

「えっ!山中くん家って山越えるやん!」

「山じゃない。あれは小高い丘だ」

「あかんわ、そんな無理矢理な」

 

 言い合っているうちにうるさいお前らと職員室を追い出され、二人は言い合いながら廊下を歩いた。

 さっきまでとは打って変わって、閑散としている。

 

「見事にみんな帰ってしまった…それに引き換え都会の子はどん臭いんやな」

「そっちだって大阪だろ」

「だから、ウチはチャリだからバスは関係あらへん」

 

 東京と大阪から二人も転校生が来るなんて、この学校ではあまりないことだったらしい。

 山中はしばらく「おーい、転校生」などと悪気なく呼ばれていたし、楓子に至っては「おーいその2」と言われ大層むかついたりしたものだ。時期としては山中の方が一か月ほど早かった。だから楓子がその2になってしまったわけだけど。

 

「チャリさあ、あんまり手えが冷たいから手袋買ったんよ」

 

 楓子がいささか唐突に切り出したが、山中は動じなかった。

 

「その軍手か」

「いや、モフモフのやつ。これ」

 

 楓子がカバンから手袋を出すと、山中は「毛並みが良いな」と独特な感想を述べた。

 

「その毛並みのせいなんか、ハンドルがえらい滑って。すっぽ抜けて危なくってなぁ」

「それで軍手か」

「結局は機能性よ。でもかわいい手袋は山中くんに自慢できたから良しとする」

 

 なんとなく歩いて、なんとなく自転車置き場に寄って、その流れでバス停まで来た。

 

「ほんま! 次のバスまで二時間と……二十分や。エグい」

「平日の昼間はこんなもんなんだろ」

「あっ!」

「なんだよ」

「ボンヤリして普通に校門くぐってしもた。高校最後なのに」

「どんなくぐり方する気だったんだよ」

「どうするん? 山中くん」

「だから歩くよ。二時間待つより二時間歩いた方がましだろ。気分的に」

「ええー。お腹空くやん…行き倒れるやん…あっ!」

「だから、なんでいちいち叫ぶ」

「いいこと思いついた。ウチが途中まで乗っけてくわ! 二人乗りやけど、どうせ見つからんし。バイト先までになるけど、全部歩くよりだいぶマシやん?」

「バイト…あのうどん屋か」

「そうそう! ウチん家の近くなんやけど美味しいよ! ついでに食べてき」

 

 うどん屋は、道のり的には中間地点に届くか届かないかという辺り。山中はなんだか複雑そうな顔をしていたが、楓子は自分の案がベストだと確信していたので、さっさと自転車に跨がり、イェーイとばかりに親指を立てた。

 

「乗んなや、兄ちゃん!」

「なんでそうなる。軍手を寄越せ」

「え、ヤダ。手えがひやっこくなる!」

「毛並みが良いやつの方しとけ。おまえは後ろだ」

「なんで! 大丈夫だよ?」

「だから、なんでそうなる。アラマキカエデコ」

「なんでってなんで?」

 

 さっさと軍手を装着した山中は、楓子の言い分を無視してハンドルを奪い、自転車に乗った。こうなったら致し方なしと荷台に乗ろうとしたら「手袋」と言われ、モフモフのそれにモソモソと手を入れる。とてもぬくい。

 

「つかまれ」

「ひゃ?」

 

 ぐん、と首が後ろに反って、自転車は走り始めた。

 でも数十メートルくらい進んですぐ止まった。

 

「なに? 首やっちゃうよ」

「脇腹掴むな」

「あ、ゴメン。こちょばい?」

「めちゃくちゃこそばい」

 

 山中は楓子の両手首を取ると、腹の前まで誘導した。

 身体が前に引っ張っられ、背中に顔が当たる。

 

「鼻が、つぶれるやん」

「横向いとけ」

 

 自転車は再び走り出し、景色がゆっくりと流れた。

 

「卒業って、へんなかんじ。昨日まで毎日のように会うてた人らなのに」

「そうだな。もう一生会わない奴もいるだろうな」

「同窓会来なさそうなタイプとかなあ。山中くんみたいな」

「どうだかな」

「いかにもやん」

 

 道は谷を迂回し、うねっている。下の方に鹿が走っているのが見えた。

 

「鹿や」

「本当だ。風光明媚にもほどがあるな」

「まじでそう! 自然の圧や。嫌いやないけど最初はびびったよ」

「アラマキカエデコでもか」

「いかに荒牧楓子でもよ。ここってみんな昔からの知り合いやん?」

「ああ、他所者感が増すよな」

「友達にはなれるよ? でもこっから幼馴染にはなれんから、ちょっとさみしいような、あ、でも山中くんがいたから良かった」

「……始めからやたらと話しかけてきたのは、そういうわけか」

「え、ごめん? イヤやった?」

「───いや?学校遠いし、色々うんざりしてたけど、行けばアラマキカエデコが話しかけてくるから、そこは、なんか安心要素だった」

 

 楓子は面食らった。どんな顔でそういうことを言うのだろう。普段はこれっぽっちも愛想っ気がないのに。山中。意味深男オブジイヤー。

 どんな顔かと訝しんでも、この状態では背中しか見えない。楓子は「ほんなら、良かったわ」と答えながらも、こいつホントに山中なのかと疑っていた。背中を通して響く声は、確かに山中のものなのだが。

 

「ちょっとここ下がるけどいいか?」

「いいよ。どこ?」

「河原」

 

 山中は少し自転車を傾けて脇道を下った。急勾配で前の様子が全然分からなくなり、楓子の手には力が入った。

 

「なんで笑うん?」

「しがみつくから」

「なんでそれがおかしいん? どんな性癖なん? あっ……急に!」

 

 止まらんでと言う間もなく、キッと短くブレーキの音がした。楓子はほれとばかりに腕を外され、連行されるように川のそばまで来た。

 

「何するん、ここで殺す気なん?」

「まじで飽きない奴だな」

「それとも告白するん?」

「落ち着け。絶対その流れじゃないだろ」

「そうか。そうやね」

 

 山中はスマホを出し、撮ろうと言った。

 要するに、記念だからツーショットでも、ということだったらしい。

 

「画的に良いだろ。なにせ風光明媚だから」


 楓子は空を見て、川を見て、それから遠くの山並みを見てから深呼吸をした。

 

「そうやね。明媚があふれとるわ。そういやウチらツーショ撮ってなかったかも」

 

 日はもうすぐ中天に差し掛かる。水面の光が細かく砕けて、うろこ雲のような模様を作っていた。

 髪の毛を手櫛で直しながらふと見れば、山中がマスクを外していた。その仕草に楓子の目は釘付けになった。

 

「……………なに?」

「そんな顔やった?」

「誰と間違えてんだよ」

「いや、そうやなくて」

 

 山中の三白眼も、童顔も、造りそのものは楓子の知った顔だ。式のためなのか額を出しているので、一層頭が良さげに見えるが。

 

「俺のこと見てたって仕方ないだろ、ほら。撮るぞ」

「あ、うん」

「だから、何で見る」

「なんや大人っぽくなって」

「ここしばらくマスクしてたからだろ」

 

 山中はさほど拘りもなくあっさりと撮影し、画像はすぐに共有してくれた。

 

「やっぱり大人っぽくなってる」


 楓子はふたりが並んだ画像を眺めて、改めて言った。

 

「なに? 惚れた?」

「なんや……腹黒い役人みたいや」

「よく分からんが、惚れてはいないんだな」

 

 こんな軽口を叩く奴だったろうか? こんな、冗談を?

 

「この画像、のちのち誰よこれってことにならん? キャプションとかつけな 」

「なんだってそう顔覚えが悪いんだ」

「私とちゃうわ。あんたが…」

「俺は、忘れない」

「なんやそれは…やっぱ告白やん」

「どうとでも」

「投げやりやんけ……」

 

「腹減ったからうどん食わせて」

 

 山中はそう言うと、また軍手とマスクを装着した。

 食ったらまた、話そう。

 意味深な男はそう言って、荷台を指差した。

 

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