第41話 桜の舞

 姫は散る桜のように美しく舞い降りた。裸足で吹きまけたシリンダーの水溜まりに着地すると強化ガラスの輝石を踏み鳴らした。怒りを宿し濡れたままの瞳で幻楊を見すえる。


「八彩さまに触れるな」


 鶯のように澄んだ声で激情を叩きつける。手をすっとかざすと幻楊の冷たい双眸を睨んだ。サクヤもベルゲンも起こっている事態に頭がついて行かず、混乱したまま銃をにぎり締めていた。怒りを含んだ瞳に幻楊はほうとため息をつくと「美しい」と呟いた。


「恥じろ」


 美桜は気に入らない様子で言を吐き捨てた。ますます嬉しそうなそぶりで幻楊は微笑む。


「何という美しき瞳だ。期待していた以上で安心した。心置きなく殺せる。そなたは一番大きな枝垂れ桜の下に飾ろう」


 幻楊は臨戦態勢を取った。美桜が歩きながら金の刺繍を施した打掛を脱ぎ棄て、白い着物のまま幻楊に向けて突進する。やられると目を伏せたサクヤの予想に反して、美桜が濡れた着物でままならないであろう足を厭わずふり上げた。


 渾身の蹴りを幻楊はかわしたが、それは勢いそのままに背後のシリンダーを激しくぶち破る。シリンダーが砕けて水が噴出し、中で死んでいたキメラの死骸が床へと垂れた。


「何という力」


 幻楊は肝が冷えた様子で恐れ慄いた。息をつく間もなく美桜の右拳が飛んできた。かわそうと避けるとそこに膝蹴りが飛んでくる。避けられず腹に直撃を受ける。内臓を突き上げるほどの力に体が歪み、幻楊はそのまま後ろへと吹き飛んだ。

仰向きに倒れた幻楊の顔面にすかさず足の裏が飛んでくる。それを幻楊は寸でのところでかわしたが、足は背後のコンクリートの床をバキバキに砕き割った。咄嗟に避けなければ確実に頭を潰されていた。舞う石埃を被り幻楊は驚きを隠せずにいる。


「ゾウの力がこれほどの物とは」


 戦闘を慈しむ余裕もなく圧倒されている。美しさの中に秘められた狂気を感じて言葉もない様子だ。美桜は倒れた幻楊の上に跨ると両拳を組んで渾身の力でふり下ろした。鉄球の一撃は肋骨を砕き内臓を破壊する。耐え切れず幻楊の口から血がこぼれた。


「すごい」


 サクヤは呆気に取られた。儚く美しい顔をしていながらとてつもない力を秘めている。あの華奢な体躯に秘められたがむしゃらな強さ、八彩を想う心がそうさせるのか。


「八彩、美桜さんが戦っているんだよ。あんたのために」


 八彩に声かけするも指一本動かさない。ベルゲンは心配そうにさすり続けている。


「ダメだ。まるで反応がない」


 ベルゲンが悔しく八彩の胸を叩いた。本当に魂を喰われてしまったのだろうか。こんなに綺麗な顔をして死んでいるのか。サクヤの瞳に涙がにじんだ。運命の巡りあわせに痛みを覚える。最愛の二人は言葉を交わすことさえできないでいる。


「あんな綺麗な人に何させているの。あんたが守らなきゃいけない人でしょ」


 涙がこぼれた。八彩の整った頬を伝い首筋へと流れる。いちいち泣くな。彼ならきっとそういうのだろう。でも、こんなに悲しいことがあるのに泣かずにいられない。


 濡れた瞳で戦況を見つめた。起きているすべてが信じられない。先ほどまで眠っていた少女が怒りを剥きだしに戦っていて、八彩は死んでいる。自分は泣きながら今ここで何をしているのだろう。


 妙の気配がした。劣勢の幻楊の体から黒炎が立ち上る。サクヤは恐ろしさに声を上げた。


「美桜さん気をつけて、あの炎に触れると体が重くなるの」


 美桜は即座に飛び退いてサクヤの傍に屈んで着地した。


「八彩さまは」

「生きている、でも動かないの。幻楊は魂を喰ったって」


 意味を少し考えるような仕草を見せたあと、美桜は想いをふり切るように告げた。


「八彩さまを頼みます」


 美桜は長い髪をふり乱して幻楊へと向かっていった。近接戦闘を避けて机の上に散乱したペンを纏めてつかむと放射状にスライドさせた。幻楊は顔面目がけて飛んできたペンを卓越した動体視力でつかむ。さらに銀色のトレーに山積みになっている注射器をダーツのように投げる。壁に刺さった注射器が幻楊の服を壁へとつなぎ止める。着物を破こうと身じろいだわずかの間に美桜が目前に迫っていた。


「炎の存在を知っていながら飛びこんでくるとは愚かな」

「愚かかどうかその目で見定めろ」


 嘲笑する幻楊の顔に重たい一撃がめりこむ。鼻の骨が折れて顔面が激しく軋んだ。次なる攻撃はさらに深く。金属で殴打されたかのような激しい痛みが幻楊を襲う。


「くっ、何という破壊力。だが……」


 あごを伝う血をぬぐって微笑んだ。黒炎が美桜を取り囲む。頭上で幾重もの鎖のようにクロスして、美桜の体が地面にめり込むように沈んだ。それでもなお彼女は立ち上がることをやめない。炎が地獄に美桜の手足を繋ぎとめる。


「美桜さん逃げて」


 美桜は力いっぱいもがきながら、それでも攻撃を繰り出そうとしている。幻楊は炎の鎖に拘束された美桜へと歩み寄る。渾身のストレートが幻楊の頬に触れた。


「素晴らしい精神力だ」


 ゾウの魂は黒炎の中で美しく暴れ、呪いをまといながら静かに昇華されていく。


「貴様だけは絶対に許さない」

「儚き愛であったな」


 幻楊が満悦の表情で手を伸ばした。

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