第38話 神居の山の戦い

 ロープウェイは翠宮の中心部から外れた神威の山の中腹にある。建造の歴史は古く、前身の翠宮大社の時代に参拝者が登社するために利用された。現在は氏子が下界と行き来するための他、食料、物資補給のためにゴンドラが定期的に行き交う。


 用途を考慮すれば守護すら必要もないようなものだが、それでも肝入りのキメラを配しているということはやはり一番にこの筋からの流入を恐れているのだろう。山肌を見上げれば雲海が見える。翠宮神社は霧のなかでずいぶん寒いことが予想された。


 業平は精通するがゆえに暮れの人流の多さを選んだ。一見、不適の策のように感じるが、人の流れがないときに大勢が登るのは却って怪しい。むしろ時期をよく読んだ裁量だった。


 白衣を纏った一行は踊り場でゴンドラの到着を待つ。騒ぎにならぬよう一便の定員すべてを埋められるように配慮した。五十五名が赤いゴンドラに乗りこむ。残りはふもとに伏兵として待機し万が一に備える。


「気をつけろ」

「ああ、山頂に着いたらまた連絡する」


 扉が閉められて、落ち着くと菅笠を取った。サクヤの呼気が白く濁った。


「上手く乗りこめたわね」


 踊り場には乗車を待つ憲兵の姿もあったが、幸い気づいてはいないようだった。山頂まで八分。その間に露呈せねば無事たどり着ける。


「八分の間に何も起こらねばよいが」


 ベルゲンが警戒したまま景色を見下ろした。眼下に寒そうな山景が過ぎゆく。緊張し切った呼吸がそこここで聞こえる。武器の手入れをして勇んでいる者、目を閉じ精神を集中している者、これから最後の戦いへ向かうという覇気が満ちていた。


 たわみを抜けて二つ目の鉄塔を過ぎ、間もなく雲海へと突入した。外景は白霧に覆われて見通せない。眼は枯れ枝の森だろうがそれすらも気取れない。この刻に何かあれば。


 瞬刻、ゴンドラが雷に打たれたように波打って空にぐんと跳ね上がった。体が無重力を感じたあと、ひっぱり戻されて壁に落ちる。叩きつけられた勢いでガラスが砕け散り、仲間の数名が穴から雲海へと落下する。叫びすらない一瞬の出来事だった。


 ゴンドラが横向きのまま、大きな万力に捻りつぶされるかのようにぎりぎり音を立ててへこみ始める。そこで初めて一行はゴンドラを噛み砕くものの正体に気がついた。


「キメラ!」


 サクヤは手すりに掴まりながら叫んだ。キメラの怪鳥が空中を浮遊しながら大口で取りついている。神話の機械仕掛けの怪鳥の様相だった。


「これが業平さんのいってた、きゃっ」


 ガラスが再び視界に散った。牙が鉄鋼を貫く。このまま噛み砕くつもりでいる。八彩が手すりに飛びつくと上部のガラス窓を片手で開けた。冷たい外気が降りてくる。


「どうするつもりだ!」


 ベルゲンが叫んだ。彼もまた身動きが取れない様子だった。


「戦う。しっかり掴まっておけ」


 そういうと窓から身を乗り出して外へと出た。




 八彩は成体変化するとその全貌を見すえた。巨大な骨身が浮き彫りになった躯が羽ばたいている。空を掻くたびに軋みが聞こえてくるようなおどろおどろしさだった。 


 激しく一撃を打つと鋼のようなくちばしがゴンドラから離れた。ゴンドラは再び横揺れして大勢の叫び声が聞こえる。八彩は指先で外縁に取りついて何とか身を保った。


「お下がりください、八彩さま」

「流氷か」


 相手の姿を見すえて、八彩は手を薙いだ。烈風が黒羽を切り刻む。守護神は回避しながら雲海を突きぬけて遥か上方に羽ばたくと天に鳴き声を響かせた。


「ヒギャアアアアア」


 くちばしが上空から真っ直ぐ落ちてくる。衝撃波が襲ってゴンドラが縦回転した。


「きゃああああ」

「うわああああ」


 落下の旋風で竜巻が起きてダイヤモンドダストが起きる。守護者は旋回し空から注ぎこむ光芒を両翼で遮り高らかに鳴いた。超音波がビリビリと皮膚を刺激し鼓膜が震える。


「くそっ」

「ベルゲン!」


 ベルゲンは窓にライフルをかけて狙撃しようとするが大きなくちばしに阻まれた。


「ちっ」


 身をかわすと代わりに横ばさみにされた仲間が落ちてゆく。


「うわああああああ」


 八彩は宙を駆ると守護者に取りついた。そのままの勢いで胸元の羽をむしるように掴む。抵抗の羽ばたきが漆黒の髪を吹き荒らした。守護者はふり落とさんと激しく身悶えする。


「八彩!」


 潰れたゴンドラからサクヤは叫んだ。


 黒い喉へ爪を喰いこませると渋面を作った。なんと分厚い羽衣だろう。柔な打ちつけでは芯まで届かない。守護者は両翼でホバーリングしながら鉤爪で八彩の肢体を引き絞った。


「がああっ」


 体がめりりと引き裂かれるような音を上げる。筋肉が反発し合って爆発しそうな痛みに襲われ、爪を押し開こうとするがまるで通じない。サクヤがマシンガンを掲げた。


「やめろ、サクヤ。八彩に当たる!」


 遠慮なく弾が黒羽をえぐる。八彩はわずかに緩んだ爪を押し切り守護者の背に跨ると頸椎を鷲掴みにした。怪鳥の鳴き声が大天に伸びる。光芒を浴びながら八彩と守護者は回転落下して山肌を滑り落ちていった。


 枯れ枝を削りながら二人はもみくちゃになり血をまき散らした。変態が解けて互いに人の姿で殴り合う。背に走る激烈な痛みに耐えながら、八彩は渾身の力をこめた。四発、五発。馬乗りになって相手の命をもぎ取るようにくり返し殴る。ヘッドバッドで反撃されて、額が切れた。そのまま頭突きを返すと今度は相手を地に激しく打ちつけた。


「ごっ、ぐあ」


 骨が殴る度に破損していく。喉をぎりぎりと絞り上げ底力を奪う。ごきっという大きな音のあと、首の筋肉が脱力して景色が静かになった。血濡れた額をぬぐって粗く息をする。男は組み敷かれたまま死んでいた。八彩は伏したキメラの傍らで脱力すると粗く呼吸した。


 山際の冷たい風が熱風を吹き流していく。ゴンドラは朝陽に照り返った山腹をゆっくり昇っていた。垂れたロープに助けられる。半数は残った。そのことに少しばかり安堵した。


「大丈夫か」

「大丈夫じゃなかったらどうするんだ」

「皮肉がいえるならまだ大丈夫なんだろう」


 ベルゲンが頭をがしがしとなでた。深い目に涙が滲んでいたように思う。八彩は鬱陶しいと首を反らした。


「お前は本尊まで死ぬな。死なれちゃ困るんだ」

「分かってる」


 そういうとぷいっと外に顔を向けた。




 ゴンドラが駅に到着して降りると空気が乾いていた。感覚的に乾いているのではない、感情的に乾いているのだ。思っていた様相とまるで違う。何があったのだろう。


 異様なムードに包まれて一行は踊り場を離れた。潰れたゴンドラは一定時間停止したあと自動的に下へと向かい始める。見張りもいなければ、世話する者もいなかった。


「何が起きたというのだ」


 ベルゲンが異変を察して声を上げた。いない、誰もいないのだ。


 ロープウェイ乗り場から数分歩いて境内に到着すると、立派な古木の神明鳥居をくぐった。美しい境内のなかには緋翠の装飾が施されたいくつもの末社、拝殿、楼閣などの厳かで美しい建造物がある。その景色をキメラの死がいが埋め尽くしていた。

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