7章 昇る朝日

第36話 翠宮の町

 石畳の町角にから風が吹いて芥を押し流した。彼の都はこれまで知ったどんな町よりもうら淋しい。痩せた猫が餌をねだり、行きかう人々の目には色がなく活気など皆無。閉じた問屋が軒を連ねて、過疎化が進んでいた。


(これがあの翠宮だというの)


 想像のなかで麗しかったあの地をこのような在り様とは描いてもみなかったのだ。


「みんな貧困なのね」


 サクヤは考えあぐねてこぼした。八彩はそれに頷く。


「神社の政治体制が確立した際、翠宮の町は真っ先に犠牲になった。建立のための資金を絞り取られ、キメラの生き餌も未だにこの町から多く調達されている。ここはどこよりも苦しみぬいた町なんだ」


 カラスの鳴き声が平屋の屋根から乾いて響いた。


 業平のレジスタンスと合流して新生夜明けの鷹となった八十八名はルートを分散し翠宮へと入った。その何人かとは白梅神社で落ち合うことになっている。業平の親戚の空き家だそうだが、そこがサクヤたちのしばらくの潜伏先となる。




 業平とベルゲン、主要メンバーを中心にさっそく諸事の取り決めを始めた。その間するようなこともなく、サクヤは庭の白梅の枝ぶり眺めては不思議な気持ちになった。


「まだ、旧式の神社が残っていたなんて不思議ね」


 現在の神社体制が敷かれて以降、旧時代の神道は鳴りを潜めた。ほとんどは取り壊しのような無慈悲を受けて、住んでいた神職のほとんどがキメラの生き餌となった。反抗した者も大勢いたが暴力には対等しようもなく、終焉という末路をたどった。だから驚いたのだ。社に梅が残されていたことに。春になるとどんなに美しいだろう。幸せなど享受できない日々のなかで、命の芽吹きが人々の心を照らしてくれることが嬉しかったのだ。


 すっと気配がしてサクヤはそちらの方向を見ずに問いかけた。


「話進みそう?」

「堂々巡りだ」


 八彩が並び立ち縁側のガラス戸から庭を見た。おそらくベルゲンと業平の気質がぶつかっているのだろう。分かりあえないような二人ではないが、互いに別の意味で慎重だった。


「ベルゲンはデータを好む。業平は人を好む。どちらを大事にしたいかじゃないのか」

「上手くいくよ。目指したいものが同じなんだもの」


 翠宮の打倒。それを信じてここまできたのだから。サクヤは姿の映りこんだガラスを見つめながら、八彩と業平の方宮神社動乱のあとでの会話を思い出した。


「美桜さまをお連れできなかったこと、大変心苦しく思います」

「そうか」


 業平の失われた脚力を見て、何もいうことがなかった様子だった。


「雨のなか、あなたさまと別れたわたしは美桜さまを抱いて境内を走りました。途中キメラ憲兵と遭遇し、捕らえられ。治療してほしいと懇願しましたがどうなったかまでは」

「捨て置かれた可能性もあるのか」

「それも分かりません」


 業平が重たい沈黙に言葉を重ねた。


「わたしは謀反を起こしたと拷問されて、しばらくは言葉も失くしていましたが、やがて咎を受けたあと釈放されてこの方宮の地に流れ着きました」


 悔しげに足を叩くが、すでに感触すらないのだろう。長袖をまくると裂傷が見えた。


「ですが、むしろこれで良かったのです。神道を下ってみると世の現状は凄まじいものでした。理不尽がまかり通る世の中に悔しさを覚え、ようやく真実が見えてきたのです」


 彼が歩んできたのは辛苦の道だ。それでも彼はそれを悔いてはいなかった。


「死力でレジスタンスは組織しましたが、正直危ぶんでいました。破る自信がなかったのです。それにあなたは打ち勝った」

「破ったのはオレではない」


 失われた仲間の命はもう戻らない。みなが繋ぎとめてくれた一縷の望みだった。


「良くぞ、ここまで力を持ったな」


 業平は満足そうに頷いた。


「人は集まりました。組織としての力もあるのです。足りなかったのはわたしの決意一つだったかもしれません」

「そうだな」


 会話の記憶が次第に遠くなる。追慕を割るように白梅の枝から雀が飛び立った。


「業平さんは政治をやりたいのかしら」


 空には雪雲がかかっていた。八彩が去り際に言葉を残す。


「あいつはそういう男だ」


 分かり合っているのだなと思う。二人の間にはサクヤの知らない年月が流れている。



       ◇



 翠宮の美庭に霜が降りて朝日に厳かに輝く。神威の山にこれから厳しい冬がくる。庭には血のように赤い椿と新しい首。幻(げん)楊(よう)は手に入れたばかりの首をしきりに眺めるとため息をついた。昨日の昼の陽光の元では美しいと思ったが、今朝の輝く霜にまるで合わない。


「あまり好みでないな」


 そう吐き捨てるとそのまま首を処分させた。この頃庭に首を飾ることを好んでいる。庭にいくつもポールを立て先端に首を突き刺す。花も好きだが、首に花が寄り添うといっそう美しい。既に三十を超える首を庭に飾った。飾ると保存はできないけれど、一時の美しさがあった。儚い物に心を動かされる、この頃そんな風に風流を楽しんでいた。


「幻楊よ、あの生首は何とかならんか」


 帝がおびえながら苦言を呈した。


「私のたった一つの楽しみなのです。奪わないというお約束です」

「だが、あまりに……」


 帝はいおうとした言葉を飲んで続ける。


「とにかく、あれでは傍仕えどもがおびえて仕事にならんのだ」


 帝はズズッと茶を啜ると乱暴に茶器を置いた。何とかせよと吐いて茶室をあとにした。珍しく朝から訪れたと思えばそんなこと。人は些細なことを気にするものだと嘆息した


 濡カラスのように濃い美髪はこの冬ようやく腰元にまで届いた。オスとも思えぬ見返りの美しさは天より授かった彼の自慢だ。所作は柳がしなるように優雅で、静かに笑うと百合の花のように高貴な雰囲気をまとう。格調高い黒紫の羽織りを引いて庭に下りた。ふいの鳴き声に見上げると鷹が本殿の千木に休んでいた。鳴き声を聞くのは久しぶりだった。


「鷹とは不吉だな」


 射殺すような眼差しを叩きつける。鷹は威圧をかわすように空へ静かに消えていった。


「心の平安は美しいものがもたらす。醜い者を見たあとでは、なおのことそう思う」


 幻楊はこの頃、彼女に会いたくて仕方がなかった。トカゲも飽きた。ライオンも飽きた。ヒョウも飽きた。だから、花を摘んでよく研究所へ出かけた。


 末端のキメラとして過ごした鳥籠が蜃気楼に思える。セカンドキメラでありながら力なきがゆえに軽んじられた幼き日々。だが今の研究所に気安く声かけしてくる者はない。勿論境内を探してもどこにもだ。それが支配するということ、畏怖させるということ、君臨するということだ。運命はどう転ぶか分からない、だから価値があるのかと思考する。


 幻楊は心酔しきって姫のシリンダーにゆっくりと触れた。波打つ髪は見守り続けた三年でより長くなった。淡いピンクの唇と白い頬。目覚めればどんなに美しいだろう。にぎり締めていたクレマチスの首を床に捨て、感嘆したように呟く。


「さあ、目を開けてくれないか。美桜」

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