第35話 終息の雄たけび
激しい縦揺れがあった。サクヤは暗闇のなかで薄目を開ける。散乱した瓦礫の下には光さえも届かない。排水路が崩落したのだろう。水垢臭い。体は動かせず、力さえも入らない。身に被さるものがあった。八彩の体だ。とっさに庇ってくれたのだろう。動かそうとするが、動かせず呼気を吐いた。前後不覚の景色のなかで爆風に晒された体だけがはっきりとある輪郭を持っていた。死だ。みんなこうして死んでいったのだ。
あの時、ジェドが押し寄せた排水から身を呈し守ってくれた。トットがぶつかりそうになった体を庇ってくれた。みんなに守られて排水路の入り口付近まで流された時、立ち上がれたのはサクヤ一人だった。半数近くは行方が分からず、ともに流れついた数人もほとんどが息が無かった。ようやく気づいたジェドに駆け寄り、助けおこそうとするとジェドが薄眼を開けて微笑んだ。
「サク……無事……か。良かっ……」
ジェドは言葉をいい終えぬままこと切れた。心に非道な者たちへの怒りが湧いた瞬間だった。仲間のリュックを拾うと一人排水路へと戻った。
「……八彩」
呟くと血の味が口内に広がった。耳に空気が被さり、わんわんとしている。
「……八彩」
やっぱり聞こえないか。瑪瑙は倒せたのだろうか。ワニの鳴き声はない。そのことに少し安堵した。目を閉じると小さな流水音が聞こえる。気が遠くなりそうだった。呼気が苦しい。酸素も薄くなっている。呆けそうな頭で考えていた。
「ねえ、八彩。重いよ」
何がだろう。自分でいっていて考える。気持ちが、決意が? もしかすると背負った覚悟かもしれない。霧散しそうな意識の端にぱしゃぱしゃと水を蹴る無数の足音が聞こえた。
(憲兵か)
抗う気力などない。瑪瑙を倒せたこと、本懐だろう。瓦礫を掻き分ける音がしている。石粉がぱらぱらと落ちて、射しこんだ光芒に薄目を開ける。
「無事か!」
スーツ姿の男が骨ばった手を差し伸べていた。ネクタイを解いて腕まくりをして汗を浮かべている。背後をみると白んだ景色が色を持ち始めた。たくさんの人が群れて瓦礫を除けていた。抱き起こされると髪の長い女性に抱きしめられた。
「ごめんなさい」
鮮明な言葉だった。ぼやけた意識のなかで何がだろうと思った。額から血が伝う。くらくらしていた。
「キミは! 大丈夫か」
八彩が苦悶の表情を浮かべる。その傷つき伏した体を見て涙があふれた。
「生きてた」
サクヤは八彩の体に抱きつくとしきりに泣いた。嬉しくて堪らなかった。
「ベルゲンを助けないと」
立ちあがろうとする八彩をスーツ姿の男が制した。
「あとは我々に任せてくれないだろうか」
「我々? レジスタンスか」
「キミに会わせたい人がいるんだ」
二人は傷だらけの体の引きずり、彼らに誘われて方宮神社へと歩いた。鳥居のなかにもすでに戦力が押し入ったのだろう。御影石の階段に無数のキメラの遺体が打ち捨てられていた。これほどの戦力が一介のレジスタンスにあるとは思いにくい。
制圧された境内で助け出されたベルゲンと再会すると、彼は大勢のレジスタンスに囲まれながら鬼の形相をして泣き叫んだ。
「どうして助けにきた」
八彩の胸倉に掴みかかるようにすると組み敷いた。そのまま殴りつける。
「おれ一人のために組織を潰して何の意味がある!」
薄汚れたロングTシャツを掴み上げ、怒号を上げた。八彩は組み敷かれたまま、逆にベルゲンの胸倉を掴み返すと叫んだ。
「あんたの作戦だ!」
ベルゲンは言葉を詰まらせた。
「死力を尽くして、多くの人々の心を動かすこと。あんたの望んでいたことだろう。オレたちは勝ったんだ」
「勝っただと。これが……」
ベルゲンは体を折った。無数の死が涙の中へ消えていく。自分たちはとうとう失われた命の向こう側にきてしまった。サクヤはしゃがみこむと泣いた。
「ねえ、ベルゲン。苦しいんだよ、わたしも八彩も」
ベルゲンも肩を震わせ泣いていた。八彩も悔しげに瞳をゆがめていた。
事後処理をレジスタンスに任せ、水晶の鳥居を潜って御影石の階段を降りきると、車イスの初老の男性がいた。表現できぬ複雑な顔をしている。八彩の足が途中で止まった。
「八彩?」
ふり返り、顔を覗きこむと赤の瞳が潤み震えていた。唇をぎゅっと引き結ぶと、目を細め、喉を詰まらせた様子でその場にゆるゆるとしゃがみこみ頭を抱えた。心配になり腕に触れようとすると、八彩がくずおれたまま滲んだ声でついぞ名を呼んだ。
「業平」
使い古された懐かしい響きがあった。呼ばれた男もまた懐かしさに胸を打たれたようだった。西日に照らされて石段が朱色を帯びていた。無数の影が長く伸びる。彼らの間に何があったのだろう。サクヤはそれを知らない。たしかに知らないけれど、知りたいとは思った。八彩が戦い続ける理由がきっとそこにあるような気がしていた。
◇
方宮神社の本尊、瑪瑙の逝去は方宮の人々に勇気を与えた。新たな脅威はまた降るかもしれない。それでも戦えれば打ち勝つことができるという事実に町は活気づいた。どこか仕方のないことに思えていた理不尽な支配はもはや当たり前でなく、毅然とした態度で臨まなければいけないことを心に刻んだ。
ベルゲンは自身一人のために夜明けの鷹を捨てたと嘆いた。だが、この戦いにより得た物は一人の人間の命以上の価値があった。業平の組織するレジスタンスという新たなる力を得て、大翼を纏った鷹は再び飛び立つ。
崇高なる願いを胸に翠宮の空へ。決戦の地へ。
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