第34話 排水路

「空中戦ばかりでは不毛ではないか」

「お前の言葉に応じる気はない」


 八彩は水面に一撃を入れると素早く二撃目を打った。さらに続けて連撃。インパクトのたびに水面がはじけ飛び水深が浅くなっていく。五撃水面を叩くとようやくプールの底が見えた。瑪瑙が宝石の原野でヒレを折り、夜叉のような目つきで八彩を見上げていた。


「味なマネをする」


 八彩は躊躇せず瑪瑙に飛びかかると上体を押し倒してその背を鋭利なダイヤモンドの結晶へと打ちつけた。


「あがっ」


 瑪瑙の背が弓なりに反りかえり痛みに声を上げた。八彩は力いっぱい首を両手でつかんで体を結晶へと押しつけた。直接手合わせしたことで腕力ならば自身が上回っていると量った。抗う瑪瑙を強引に押さえつける。吹き飛ばした水がそろそろ押し寄せる頃だ。八彩はそれでもなお力を緩めない。


 抵抗する瑪瑙の喉を潰すほどの剛力を振るい、ダイヤモンドの先端が背肉にめりこんで血が流れた。力いっぱい押しつけて硬質なダイヤモンドが体を鮮やかに貫く。血飛沫が飛び八彩の顔を汚した瞬間、轟くような波音が聞こえた。ギリギリでプールサイドへ飛び退こうとしていた八彩の腕を瑪瑙が逃がすまいとがっしりつかむ。


「逃がさない」

「ちっ」


 剥がそうと手を引くがそれでも瑪瑙の力は緩まず、押し問答をしている隙に割れた水面が全周囲から一気に押し寄せて八彩は水に飲まれた。水の奔流に合わせて瑪瑙はダイヤモンドから身をはがし浮上すると血を漂わせながら苦悶の表情を浮かべた。腹の痛みは瑪瑙にこれまで感じたことのない恥辱を味わわせる。


 こんな無様な姿にさせた不届き者を生かしておけない。殺意が膨れあがり間違いなく喰い殺さなければ心が落ち着かないほどの怒りに満ちる。自身の腹から流れた血がサメの嗅覚を刺激した。理性を失い発奮すると水上へ浮上しようとする八彩へ迫った。


「ぶはっ」


 八彩は藻掻きながら何とか息を吸った。


「急げ、八彩」


 ベルゲンがプールサイドから呼びかけた。


「はあっ、はあっ」


 プールサイドへと全身で足掻く。早く離水しなければワニの餌食になると描いた直後、右足に激痛が走った。鋭い何かがふくらはぎに食いこんで水中へと引きずりこまれる。


 そこは光の海だった。一面の宝石が陽光を帯びて白、赤、緑、青、とりどりの輝きを放っている。一匹のワニが光のなかにたたずんで目に怒りを宿し喰いついている。引き剥がそうともう一方の足で蹴るがそれで外れるような生半可な力ではない。呼吸できなければ危うい。八彩は口内の息を吐きかぬよう唇を引き結ぶと体を折り曲げて拳を繰りだす。スクリューが顔面を叩くが瑪瑙はひるまない。水中ではやはり拳の威力が格段に落ちる。


 瑪瑙は獲物を捕らえたわにのように水中で全身を回転させた。自然界に生きる鰐はそうして獲物を引き千切る。渦潮を起こし激しく数回転し終えると八彩を放した。健脚が引き千切れそうになるほど痛んで口内から息がもれた。真皮を越して肉にまで歯が達したのだろう。大量の血が散る。八彩は血のモヤの中で患部を押さえた。神経はまだ生きている、だが痛みでまともに蹴りを繰り出すことができない。

瑪瑙がワニのあごで喰らいつく。右手のガードを押し破り歯牙を光らせた。


「くっ、ぐあっ」


 喉の骨に強烈な痛みが走った。血管を食い破るのではなく、喉そのものを噛み砕こうとしている。骨が軋み、意識が飛びそうなほどの眩暈を覚えた。苦しくなり口内のすべての空気を吐きだした。忘我に陥りダメかと諦めかけた時、一つの大きな泡が水底から浮きあがった。直後、地鳴りを感じて爆音とともに八彩と瑪瑙は激しい激流に吸いこまれた。




「何が起こったんだ」


 街中で戦況を見守っていた人々は粟立つように動揺した。爆発音の後、プールの底に大穴が開いた。水がすべて抜けて砕けた宝石が輝く。まとわりついた美しい露が光を散乱している。人々は矢庭に起こったことを理解できず、画面を食い入るように見つめた。



       ◇



 八彩は飲んだ水を吐きだしてごほごほと咳をすると、地についた手をにぎり無事を確認した。溺れて失ったはずの意識がまだある。喉の激痛を抑えるようにぐっと目を閉じて開いた。脈が波打つ。先ほどの煌びやかな世界とは一転、そこは暗く冷たいコンクリートに覆われた場所だった。


「地下か」


 八彩は状況を確認するように呟いた。プールの底に穴が開いて地下へと押し流されたようだ。とっさ仲間たちの顔が浮かぶ。誰かが穴を開けたに違いない。


「くっ、ああああ」


 水魚が丸底の排水路の真ん中で崩れた宝石の残骸を被り、打ちあげられた魚のように呻いていた。水魚は下半身の変態を解くと裸の女になった。バラバラに砕け散った宝石を悔しそうに握りつぶす。


「あたしのプールを破壊するなんて。あな憎し。ちくしょおおおおおお」


 瑪瑙が血だらけで四つん這いになり叫ぶ。足先から肌が黒緑のうろこに覆われていく。巨大な尾が生え、下半身がワニの姿になるとつんざくような獣の叫びを上げた。


「ヒギャアアアアアア」


 天に開いた大穴から後光が注いでいる。神秘の景色のなか、拳をぶつけ合う。ともに限界を超えた死闘だった。極限まで力を削りあう。瑪瑙の肌のゴムを殴るような感触が歯痒くてどんどん力を込めた。傷んでいるのは八彩の拳の方だった。瑪瑙のふりまわす尾の一撃が八彩のわき腹をへし折る。骨が軋み、体がそのままま横へ吹き飛んだ。


「殺すだけじゃ気が済まない。ゆっくり一本ずつ指をもいで骨まで全身しゃぶってやろう」

「やってみろ」


 八彩は瓦礫の上で半身を起こし吐き捨てる。満身創痍でそう嘲るのが精一杯だった。瑪瑙は全体重で圧しかかり口を吊り上げる。その時、破裂音がして銃弾が瑪瑙の尾を掠める。


「止まりなさい! 彼から離れて」


 サクヤが暗闇で強い瞳を輝かせ、決死の思いで銃をにぎり締め対峙していた。


「サクヤくるな」

「お前がそれ以上少しでも八彩に危害を加えるなら、残りの爆薬をすべてここで使う」


 サクヤの荒ぶりを瑪瑙がふふと笑う。


「そうか、お前が排水路を破壊したのか」


 瑪瑙は体の向きを変えると、ひたと一歩を踏み出した。静かに奏でる水音がサクヤの恐怖心を煽る。ワニの尾が排水を切り混ぜ、小さな水の筋が現れてスッと消えてゆく。


「近づくな私は爆弾を持っているんだぞ」

「本当に……」


 近づきながら瑪瑙がにたりと微笑む。強靭なあごに噛みつかれれば一溜りもない。


「……持っているのか」


 天井から落ちた水滴がサクヤの額を滑った。サクヤは焦りを感じて背負っていたカバンに手を突っつむとダイナマイトをにぎり締めた。瑪瑙は認めて静かに止まる。諦めてくれたと安堵するサクヤを強烈な痛みが襲った。気づいた時には瑪瑙が目前に迫り、尾をふりまわしていた。サクヤは激しく吹き飛んで気絶しそうな傷みに腹を抱えた。


「くっ、あああ」


 瑪瑙はサクヤの持っていたダイナマイトを奪い、それを足元の水に沈めた。


「お前はキメラの偉大な強さを知っているか。人の愚かな弱さを分かっているのか」


 瑪瑙がサクヤに迫る。逃げなくてはいけないのに傷みと恐怖で足が強張り立ち上がれない。


「走れ」


 八彩は無理やりサクヤを助け起こすと手をにぎり引っ張った。そのまま二人で駆け出す。瑪瑙はワニの尾を消すとウロコに包まれた足で排水路を走った。八彩が痛みに耐えながら走るサクヤに問いかけた。


「まだ持っているか」


 迫る瑪瑙に恐怖を覚えながらサクヤは頷き手渡した。八彩は反転して対峙すると全身のばねを使って瑪瑙に挑んだ。傷ついた足さえふりまわし、相手に反撃の隙を与えぬ怒涛の攻撃を繰り出す。


「余力を残さぬ戦い、嫌いではないが無鉄砲ではないか?」

「せいぜい大口を開けて喋れ」


 瑪瑙は防戦一方になりながらも、八彩の動きの癖を分析していた。隙間なく動かしてかなりの運動力がある。手足の流麗な動きは申し分ない。それでも。


 瑪瑙は八彩の拳に自身の拳をぶつけた。めりりと砕けたのは瑪瑙の拳の方だった。瑪瑙は強靭なあごをふり下ろそうと迫る。それを八彩は回避して首に上段蹴りを叩きこんだ。


 八彩は繰り出した勢いそのまま一回転し、もう一度首を強く蹴り、今度は排水路の丸い壁に瑪瑙の体を押し当てると、開いたワニの口に持っていたそれを乱暴に突っこんだ。


「サクヤ!」


 八彩の声が轟く。サクヤは起爆装置を作動させた。


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