第31話 チェックメイト
レジスタンスは朝焼けの街を速やかに移動した。ベルゲンが今日処刑される。午後からテレビ放映が決まっていたが、それまでにプールの下部へと到達し崩落させなくてはいけない。爆薬をセットしたあと、排水路から脱出して遠隔操作で吹き飛ばす。排水路は単純な構造で数分進めばたどり着く。
「問題は地上の戦闘がすべて八彩に任せきりになる」
サクヤは作戦会議で何度目になるか分からないジェドの懸念を思い出した。
「安心しろ。元よりそのつもりだ」
「お前の強さは信頼しているさ。それでも、万が一があれば助けることすらできない」
あの堅城な来宮を打倒した実力、それをもってしても方宮の攻略は難しい。
「ベルゲンならば、この作戦に同意するだろうか」
「いない者のことを思案するのは今はよそう」
少数精鋭でできる精一杯の作戦だ。来宮のときのような人手はない。八彩は方宮の街で別れて、一人方宮神社へ。サクヤたちは市中の排水路へと向かう。
「気をつけてね」
「心配するな、本尊以外とは戦わない」
八彩はどこかでキメラ憲兵を捕まえて入れ替わり方宮神社に潜入する算段でいる。潜入は成功するかもしれない。けれど四面楚歌になってしまったら。助けられなくなってしまったら。その時はオレと人質を見捨て逃走して次のチャンスに備えろと八彩は切り捨てた。
一行はしばらくして町外れへと到達する。河川敷にある暗くて巨大な排水路だった。
「臭いな」
「足元に気をつけろ」
緑のヘドロが纏わりついて、水苔特有の不快な臭いがする。方宮神社の生活排水を集積しているのだろうが、今は微々たる汚水が流れているだけだった。
「気持ち悪いな」
「寒い」
ひやりとした空気が肌をなでた。ジェドが隊列の真ん中を歩きながら懐中電灯をつける。コウモリが居ついていそうだった。声が反響すると水滴が落ちて髪を濡らす。
「まさかキメラはいないよな」
「それも分からない」
「もし作戦が上手くいかなかったら」
白く吐息した。ひたすらな歩みが不安となって漏れた。仲間が厳かな声で答えた。
「八彩のいうように退去するしかない」
「……でも、彼の」
「止めろサクヤ」
気を裂くようなことをいうなと、ジェドの言葉に押し切られて口を噤んだ。いいたいはずの言葉がまだ二、三あったがそれは飲みこんだ。仲間二人の背負ったリュックの中には二分してダイナマイトが入っている。硬質なダイヤモンドでさえ破壊できる十分な量だ。湿気らないようにあらかじめ厳重に袋で覆っているが濡らすと爆発しなくなる。転ばぬように彼らの足運びは極めて慎重になる。
仲間が途中ヘドロで滑って転んだ。尻を水に浸し、冷てえと叫ぶ。
(八彩を失いたくはないからよ)
それでも頼るしかない、組織としての力が今はない。転んだ彼に手を差し伸べると再び歩を進めた。
八彩は希望の翼の面々と別れて方宮神社を目指した。町中で憲兵を見つけて人がいないのを確認すると腹を殴って失神させた。寝転がせて白衣を剥ぐ。
「もう着ることはないと思っていたが」
久しぶりに袖を通した着物は、錦でこそないが肌に馴染んだ。着用も手慣れた物だ。憲兵を酔っ払いのようにベンチへ寝かせて自身は彼に成り済ます。白いグローブをはめると境内の方角を見た。常勤と夜勤が入れ替わる時間帯、警戒はそれほど厳しくないだろう。だが、万が一にでもボロを出せば面倒になる。最短ルートを選択して方宮神社を目指した。
神明鳥居は驚くことに水晶でできていた。建造費用が心配になるほど立派なものだった。上る階段は御影石でカツカツと小気味いい音がする。この石段を繰りかえし上がるうちに氏子どもは自身が選ばれた一握りの人間であると誤送する。選ばれた一握りの人間だと。
(すべてがくだらない)
本当の幸せは贅を尽くした暮らしの中にないのだ。
石段を上り切ると憲兵が見えた。通常、衣で見分ける以外に人とキメラを区別する方法はない。だが八彩の優れた嗅覚はその微細な違いを嗅ぎとること。キメラ憲兵は変態する前であっても微かに獣の臭いがする。微量の息や放つ体臭にそれが混じっているのだ。
(キメラはやはり少ない)
対面から歩いてきた憲兵の階級章で高位の者と判断し、道を譲ると境内の奥を目指した。
慎重に時間をかけて境内の中央付近へたどり着くと面食らった。
「設計図にはなかったな」
プールの周囲を朱色の回廊が取り囲んでいた。境内を取り囲む大きな回廊の中に、さらにプールを囲う小さな回廊がある二重構造になっていた。プールへとたどり着くには回廊に隣接する寝殿に入って順路を進むしかない。脚力に優れた八彩に回廊の屋根に飛び乗り侵入することなど容易いが、そうなると侵入者であることが露呈する。
(手間であるが寝殿を通るしかないだろう)
八彩は速やかに寝殿を目指した。
「侵入者が地点へと到着しました」
分析官が境内の外れの警備局で現状報告をする。あえて許した侵入者たちの動向はすべて赤外線カメラで追っている。上氏がぎこちなく進む十三の影を見て頃合いだと頷く。上氏はふりかざした手を払い「やれ」と号令をかけた。
サクヤたちは排水路の真ん中で立ち止まった。後ろを進むトットが不審がる。
「どうしたサクヤ」
「ねえ、何か聞こえない」
「何も聞こえないが」
ジェドが不意に足元を見下ろした。足元の流量が微かに増えている。やがて、渦巻く地鳴りが聞こえ始めた。背筋を恐怖が駆けあがり、頭に過る言葉をとっさに叫ぶ。
「放水だ!」
ジェドの叫びは突然流れてきた大量の排水にかき消された。
八彩は不意に自身の名を呼ぶ声が聞こえた気がして空を仰いだ。憲兵が問いかける。
「どうされました」
「いや、なんでもない。空耳だ」
「お疲れかもしれません。少しお休みください」
「そうしよう」
憲兵に別れを告げると寝殿の中に侵入した。寝殿の見取り図は用がないと思ってほとんど見ていなかった。広い平屋であることは記憶しているが、間取りが分からない。
(翠宮とはずいぶん違うな)
本尊はメスのキメラと聞いた。ずいぶん趣味がいい、飾りたてることを好むか。寝殿の廊下の随所に宝石の塊が飾られて、すれ違う巫女の服も大変華美である。巫女が通過するたびに傾ぐ。羽織った白衣の袂に三本のラインが入っているから良かった。三本線は中上氏を意味する。狙って捕まえたわけでないが、運が味方した。
(どこかに恐らく本尊の居室がある。出会えばその場で戦闘になることも考えられるが。ベルゲンの居所がつかめていない以上あまり得策でないないな)
計画ではベルゲンを処刑場にまで連れてこさせ、水を抜いたプールで決戦にもつれこむつもりだった。サクヤが囲まれることを懸念していたが恐らく心配ない。翠宮の本尊という立場にいたからこそ察せるのだ。本尊の戦いに割りこんで助力を申し出る馬鹿はない。
一向に内部構造が分からず、尋ねるわけにもいかないので不審を気取られないよう歩いた。プールへはどうすればたどり着けるのか。方向音痴ではないが進んでいるうちに建物を突きぬけてしまい引き返す。来た道を引き返していると背後で、あなたと声がした。
ふり向くと少女が微笑んで立っていた。八彩とは年の頃が変わらないだろうか。
「プールを探しているのではなくて」
水の精のようにふわりとした風体をしている。だがとてもいい匂いに混じり微かにキメラの臭いがしていた。八彩は突然の問いかけに警戒して心中で身構えた。
「いらっしゃい、プールにはあたしの部屋からしか行けないの」
彼女は寝殿の奥へと歩いて行く。着いて行くべきか迷ったが、彼女の真意を図るべきと判断してついていく。一度素通りした部屋の前をいくつも通りすぎ、角を折れたところに彫刻を丹念に施した大理石の扉の前があった。少女が立ち止まると両側にいた憲兵が力をかけて重厚な扉をゆっくり開く。
視界に入った光景に目を奪われた。南向きの壁がすべて取り払われ、その向こうにはひたひたに満ちた水面が輝いていた。
「満……水……」
八彩は驚きのあまり言葉をこぼした。仲間たちの計画が機能してればプールは今頃空になっているはずだ。少女が信じられぬという面持ちの八彩に微笑みかける。
「朝放水して、丁度注水が終わったところよ」
「放水?」
「このプールの排水システムは特別でね、一気に百トン近く排水できる設計になっているの。排水路に入ったネズミを押し流すための仕組みよ」
脳裏に仲間たちの顔が浮かんだ。貯水をすべて流したとなると排水路のみなは今頃。
「あたしは瑪瑙。方宮神社の本尊よ。さあ、侵入者さん。あなたも名乗って」
瑪瑙は薄いピンクの唇で月を描くと悪戯猫のように瞳を輝かせた。
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