6章 水神の戦い
第28話 公開処刑
北国、
南に翠宮を拝する土地柄だろう。都落ちした者が流れ着く。ほとんどは偲ぶように身を隠すが、いくらかはレジスタンス活動に参加し国へと反意を向ける。数年前の一斉解雇の際も多くの氏子がやってきてレジスタンスへ参加した。来宮のような荒ぶりはないが辛抱強く強かである。夜明けの鷹が来宮の本尊を狩った事実も吉報としてすでに届いていた。
表面上は非常に均された町で反目していることはうかがえない。
それでもたまのサイレンは異端者の存在を知らしめる。サクヤは高く響いたサイレンに顔を上げた。スクランブル交差点に設置された政府専用パネルに巨大なプールが映る。
(またか)
小雪の舞うなかの公開処刑は寒々しいものがあった。命が散る苦い映像のあと、政見放送が流されて来宮で捕らえた族の処刑を行うという方宮神社の方針が伝えられた。翠宮からのお達しである。立ちどまり政見放送を見上げる者は少なく、人々にとっては自身とはおよそ関わりのない誰かのよくある悲劇なのかもしれなかった。
(たぶん、みんな同じことを思っているのよ)
過ぎればまた日常に戻る。それを思うと悲しみでしかない。褒めてほしい訳じゃない。でも、一緒に戦えないの。みんなでやればきっと上手くいく。その考えもきっと愚かでしかないのだろう。
ベルゲンは来宮の革命を通じて国が変わると宣言した。でも実際は変わらなかった。
死力を尽くして来宮は討ったけれど、失った物のほうが遥かに大きい。大切な仲間たち、心の支柱ともいえるベルゲンの存在。パネルを見てその思いが募る。彼らが囚われているのは恐らく方宮の地下独房だ。すべての仲間の命の保証などなかった。
救出しようにも圧倒的に人員が足りない。相手取るほどの体力は今はないのだ。サクヤは荷物を抱えると潜伏先のアパートへと戻った。
狭い部屋には急ごしらえの電脳室がある。電波を盗聴しながら動向を監視していた。
「食糧調達してきたよ」
サクヤの声に仲間の一人がサンキュー、と答える。安全策として同じアパートの離れ部屋を二つ借り、半数ずつ潜伏している。手狭で羽も伸ばせないが贅沢はいえなかった。
「もういいの?」
「問題ない」
八彩が腰かけて包帯を外していた。来宮で負った裂傷や火傷はすでに治りかけていた。
「いつ処刑されるんだ」
「処刑される何ていわないで」
八彩は、はあっとため息を吐くといいなおす。
「いつ処刑される予定なんだ」
「どっちでも一緒だろ」
仲間がパソコンに向き合い苦笑する。
「一緒じゃない」
一番年配のジェドがサクヤに苦言を呈した。
「サクヤ、みなストレスが溜まってるんだ。そう喧々するな」
「だって、だってベルゲン今とっても苦しんでるのよ」
「案外ステーキ食ってるかもしれないぞ」
「冗談はやめて」
八彩は馬鹿いってろと立ち上がるとベランダへ出た。風に当たるのだろう。面倒臭そうな素ぶりが余計に腹立つ。それならばいっそ押しかけてやろうと、サクヤもベランダに出た。八彩はすっきりとした表情で夜景を眺めていた。サクヤは途端に悲しくなる。
「ベルゲンには頑張って生きて欲しい」
「それはベルゲンにいえ」
そうかもしれないとサクヤは涙をこらえ黙りこむ。サクヤはみんなが命を懸け戦った来宮の戦いで何もできなかった。できたのは足手まといになることだけ。でも、誰も咎めなかった。だから少しは叱って欲しい気持ちがある。先日八彩に吐露したところ、こう返ってきた。
(甘えるな)
誰もが必死で戦っている、泣き言を聞く余裕などないのだ。
「ねえ、八彩。みんなはベルゲンを助けに行くつもりなの」
ずっと溜めていた言葉だった。返ってくる言葉が恐ろしくて語尾が細る。ベルゲンは希望の翼の精神的支柱で、でも彼を助けるために命を投げ打つようなことは彼の理念に反していたから。
「助けにいくことで戦況は不利になるかもしれない。でも、私は」
あの髭面に思った以上に決意を支えられている。そう思うと涙が出た。
「心配するな。みんなを信じろ」
サクヤは力強い言葉が嬉しくてベランダでうずくまると、ありがとうと涙した。
◇
「むさい男を殺すなんてやーよ」
「そうは仰られましてもこれは仕事です、族は処刑していただかないと」
恐縮して進言する神主の言葉に金平糖をカリッと噛んでふくれっ面になる。
「あたしは美しい女を殺したいの。だってとっても綺麗でしょう。捕らえた中に女はいて?」
「残念ながら」
「ほらやっぱり」
瑪瑙はオーガンジーの薄いピンク色の着物を大胆に翻すと花のように笑った。長い黒髪を頭頂部でリボンのように結わえその末端が肩を滑り落ち優雅な曲線を描いている。悪戯猫のような緑の瞳と長いまつげに魅了される者も多く、陰で、方宮の宝玉と称する者も多かった。ただ宝玉は猫のようにきまぐれで御しがたい。
立ちあがると着物を翻し、素足でひたひたと白い大理石の床を歩いた。
「今日は気分がいいの。だから、殺さないでいてあげる」
傍仕えが脱ぎすてる着物を拾い集めながらあとをついていく。金屏風の前で立ちどまるとヒダが畳まれた。穏やかな初冬の光が室内へ注ぎこむ。眩しさを浴びながら目前に広がる水景を見て瑪瑙は夢心地になった。緑の瞳をよりいっそう柔和にすると水に惹きつけられて大理石の階段を下りる。クレープのように薄いすべての着物を脱ぎ棄て、すらりと伸びた白魚の美脚をそっと水に浸した。
「この瞬間を感じたいためにあたしは生きているのね」
方宮神社の境内にある巨大な貯水池は瑪瑙一人のための極光のプールだ。瑪瑙はその真価を水の中に置いて最大に発揮する。
サメの嗅覚、ワニのあご、シャチの尾ヒレ、イルカの泳力。水に触れた部位から順に体が変化していく。漆黒の人魚のような半身が水にそよいだ。全身を変態させると静かに頭まで潜る。水中での華美な姿は水神が降臨したかのように尊い。
水中で一呼吸した。エラが静かに水をろ過し肺に酸素が満ちる。活力を満たして喜びのまま尾ひれで蹴った。一呼吸の間に瑪瑙は十メートル泳ぐ、次の一呼吸は加速して二十メートル泳ぐ。瑪瑙に水中で勝る者はない。美しき水神は空中でイルカのように一回転した。
神主はいつ見ても美麗だと感嘆する。深く潜ると瑪瑙の目前に光が煌めく。水深五メートルのプールの底には宝石の海が広がっている。ダイヤ、エメラルド、ルビー、サファイヤ、アメジスト、ガーネット、色とりどりの宝石が陽光を受けて万華鏡のように反射している。すべて人を殺す度に配下に少しずつ献上させた思い入れのあるもの。
瑪瑙はそれらを愛でるように眼差しを送る。たった一人きりの世界に浸れる心地よさを抱きしめて。美しい物に満たされた時だけ瑪瑙の心は至高の喜びに満ちる。一番気に入りの瞬間だ。私だけの宝物と微笑むと水上へ浮かび上がった。
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