第27話 ヤタガラス

 八彩の言葉と同時に烈風が舞った。掘っ建て小屋は、嵐に巻かれゴミのようにメリメリと音を立て空に舞い上がった。周囲の家々のガラス窓がすべて割れる。あちこちに木材が飛散したあと、濡れカラスのような狡猾なキメラが八羽舞い降りてニタリと笑った。崩れた木材の間から八彩が顔を出す。シャノンは八彩に守られ無事だった。


 ベルゲンは仲間とともに工場から駆けつけて、蒼白でシャノンに走り寄った。


「大丈夫か、怪我はないか」


 娘の頭や体に触れて無事を確認すると、彼女を片手で抱えて隣接するアジトへ走った。


「パパどこへ行くの」

「舌をかむ。黙りなさい」


 一番安全な地下室へと駆ける。部屋に押しこむと念を押すようにいい聞かせる。


「絶対に出るんじゃない、いいんだね絶対出るんじゃない」

「パパ。でも、パパ」


 ベルゲンはアジトの壁に掛かるライフルを持って納屋のあった場所へと走った。戻ると八彩とヤタガラスが納屋の残骸の上で睨みあっていた。


「八彩さま翠宮より帰還命令が出てます。ワタクシどもとともに翠宮へと戻りましょう」


 漆黒の羽が陽光にしっとりと輝いている。ベルゲンは八匹で迎えにきたことに脅威を感じた。翠宮神社はそれだけ八彩の力を懸念しているということだ。八彩は足を開き、両拳に力をこめると手錠を引き千切った。ベルゲンは金属の千切れる音に目を剥く。その気になればいつでも逃げられた、手錠など大した枷にもなっていなかったのだ。


 八彩が腕を払うと一瞬で空気が変わった。背筋が凍りつくような恐ろしさに震える。ベルゲンは抱えたライフルを地に落とし、ひざまずいて身を震わせた。冷や汗がだくだくと流れて止まらない。


「これが翠宮の本尊の力」


 一匹のカラスが態勢低くひと鳴きした。周囲のカラスが応えるように鳴いていく。鳴き声は重複すると波紋となって耳の最奥に届く。


「うぐっ」


 ひどい目眩がベルゲンを襲った。八彩は苦痛一つ見せずに静かにたたずんでいる。カラスはひと頻鳴き終えると羽を演舞させながら八彩へと迫った。八彩は三匹の同時攻撃を鮮やかにかわして、抜きざま首元へと手刀を叩きこむ。カラスどもは地にくずおれた仲間を見て奮迅する。八彩は八匹すべてに相対しながら自身の立場を優位に持っていく。


 五分もせぬ間にすべてのカラスを打倒して静かに腕を下ろした。


「すげえ、あいつすげぇんだ」 


 観衆から声が上がった。強すぎるキメラの戦いぶりに発奮して銃器をかかげ、カラスを皆殺しにしようとみな目を輝かせた。


「やるぞ、ベルゲン」

「あ、ああ」


 だがベルゲンはライフルを握り締めるもその覚悟ができずにいた。神社に反抗するのか。本当に反抗するのか。反意を向けたと認知されれば以降戻りできなくなる。手負いのキメラをこっそり処分するのと観衆の前でキメラに立ちむかうのとではわけが違う。


 いずれくる日。でも、それが今日なのか。本当に準備は万全か。


 銃口がガタガタと震えて色々な思いがあふれた。失った妻子とまだ失っていない大切なシャノンの命。何に変えても復讐すると誓ったがシャノンにもしもの危害が及んだら。決意が惑い、狙い定めるのを止めた。


「くそおっ」


 なぜ決意できぬ。悔し涙が地面に吸いこまれて消えた。数人の撃った銃弾はカラスに到達したがそれでもよろめきながら立ち上がった。


「どうして死なないんだ」

「脆弱な武器をかかげ、戦う哀れな者たちよ。その命無残に削いでくれる」


 人々の焦りを凌駕してキメラは奮い立つ。両手を水平にかかげ祈るように目を瞑ると残像を残しながら、キメラの体が一つずつスライドし重なっていく。


「何が始まるんだ」


 カラスは人々の戸惑いを嘲るように一匹の巨塊となった。


「逃げろ!」

「うわあああ」


 伝説のヤタガラスが降臨したがごときおぞましいその姿。大きな翼と三本の脚、巨大な体躯はもはや化け物の領域だった。八彩の三倍ほどの背丈の怪物に、無理と判断した人々が逃げ惑う。


「これが成体変化」


 ベルゲンがポツリ呟く。


「さあ、八彩さま帰りましょう」

「それで強くなったつもりか」


 応じて八彩の体が波打ち始めた。キメラの本来の姿へと変化する。翼こそなくとも獣人の立派なその立ち姿に吐息した。


「素晴らしい。ですが、処分できれば連れ帰らなくてもよいといわれております」


 跳ねあがる語尾に嬉しさがにじんでいる。ヤタガラスは高くひと鳴きして漆黒の翼を広げた。




 彼の敵の破壊力は凄まじい物があった。大きな翼で一つ空気をかくたびに巻きおこる烈風が周囲の家々を揺さぶる。三かきでアジトのコンクリート屋根がすべて吹き飛んだ。レジスタンスの面々は傍に寄れず、烈風を凌ぎながら戦況を見守った。力は同等かもしくは八彩が押している。みな、華奢な体躯にどうしてこれほどの力があるのかと目を疑った。


「あいつ大丈夫なのか」

「キメラはみなして化け物と聞くが。これほどとは」


 至近距離で拳を撃ちあわせるたびに空気が震える。繰り返される鈍音が地面をも揺さぶる。両者が手を組んで力比べを始めた。覇気が満ちて、衝撃波が周囲に飛ぶ。


「何て覇気だ」


 人々は竦んで威圧に耐えた。八彩が力比べに押し勝ち、ヤタガラスの手を握り潰すようにひねり上げた。


「ヒギャアアア」


 ヤタガラスが奇声を上げて羽を散らす。


 八彩の拳が腹をえぐった。相手は苦しんで吐きだすようなモーションをしたあとふらついて倒れ、八つに分裂すると気を失った。八彩は倒れたカラスの一匹に近づくと羽をもいだ。カラスの痛烈な鳴き声が響く。不快な鳴き声がベルゲンの心をかき混ぜる。自身は力のある者の残虐を憎んでいるから闘おうとしたのではないかと。八彩の行おうとしているのはまさにそれに値するのではないのかと。


「殺す必要はない」


 すがるようなベルゲンの言に八彩がふり向いた。真っすぐ見定め心を射ぬくような瞳にベルゲンは息を飲む。


「あんたには戦う決意が足りない」


 八彩は一匹のカラスの顔面を潰し蹴り殺すと残りも同じように処した。始終千切れるような声がしていたがベルゲンは脱力してそれを見守った。すべてが終えたあと、八彩は静かに残骸となったカラスを見下ろした。ベルゲンは恐れを抱きながら八彩に寄る。正直強すぎる彼が怖かった。


「あんたたちと目的は同じだ。だからともに戦ってもいい」


 最後の切り札が手に入った瞬間だった。この強さがあれば天を変えられるかもしれない。だが信じてもいいのだろうか、これほどのキメラを。


「一人ではきっと彼女を救えないんだ」


 八彩はそういって空を見た。見上げる先に彼の地、翠宮がある。彼は自身がふりおとされた都を見上げていた。真っすぐなその姿に疑うべき余地はない。きっと大切な物が自分たちと一緒なのだ。戦いぬける強さが欲しい、ゆるがない強さが欲しい、ベルゲンはそう願って拳をにぎり締める。


 降り始めた雨が地を洗った。八彩の頬に流れる涙に気づいた。彼は心を痛めながら闘っているのだと。ベルゲンが八彩を信じた最初の瞬間であった。



       ◇



「おい、起きろ」


 憲兵がうなだれたベルゲンの髪をつかんだ。ひどく懐かしい過去を思い出していた。思えばあの頃はまだただの一匹もキメラを殺したことがなかったように思う。軟な決意は戦うごとに強く硬質な物へと変化した。今はもう何があろうとも折れるつもりはない。迫る死さえも恐怖の対象ですらない。


 ずいぶんと故郷を離れて方宮にまでたどり着いた。長い戦いだった。愛する者を故郷に残してきた己の決意に驚かされる。あれほど大切だったシャノンを捨てた。いや、捨てたのではない、守ったのだ。思考が揺らぐのは恐らく心身ともに限界だからだろう。頭の片隅で来宮はどうなったのかとふと案ずる。八彩がいるのだから心配していないが。


 ベルゲンたちが鎮守の森で拘束されて既に三日が経とうとしていた。この頃のベルゲンを襲っていたのは激しい飢餓だ。ろくな食事を与えられず罪人として生かされている。極限の状態で待っているのは公開処刑だ。歯向かえばこうなると、人々の心に恐怖を植え付けるための見せしめとなる。


 憲兵が格子の向こうで無残に散れと笑う。自身の死を乗り越えてなお人々には信ずるもののために戦って欲しい。気が遠くなりそうな頭で静かにそう願った。 

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