5章 飛翔
第25話 舞い降りた神
赤い稲光が彼岸花のように夜空に咲いた。愛する妻と息子を失い早五年が経つ。いつもは気丈に振るまうけれど命日だけはどうしても上手くいかない。心があの日の悲しみでいっぱいになるのだ。息子の気に入っていた電車の模型を手に外の景色をぼうっと眺める。
「お父さん」
頭の中で笑顔と声が反響した。模型はベルゲンが息子の五歳の誕生日に贈ったものだった。将来は電車の運転手になると語ったあのあどけない笑顔を思いだす。長く生きられなかった無念と彼の純真さを考えると心が張り裂けそうだった。
妻子は買い物に出かけた先のバラックで暴走したキメラに裂き殺された。有無を言わせぬ理不尽な死だった。粗末な診療所の安置室で顔の判別さえできぬ無残な死体を眼に焼きつけた。決して忘れまいと心に誓って。
「ベルゲン、空がそんなに珍しいか」
「いや、懐かしいと思って」
二歳下の仲間がベルゲンの言葉に首を傾げる。量りかねている様子だった。
「五年前、丁度あの赤い空の元を走った。死んだなんて何かの間違いだと思った」
「一番無念なのは奥さんと息子さんだろうな」
「オレは絶対翠宮を許さない。アイツらを完膚なきまで打ち砕く」
「でも、今のおれたちには力が無い」
仲間の言葉はもっともだった。レジスタンスを発足させ二年経つが大した成果も出せず、それに飽いて離脱する者も多かった。弱者の足掻きと笑う者もいる。それでもベルゲンの心には戯れで無い決意がみなぎっていた。必ずや人々を神道の支配から解放する。
空がまた鳴いた。今夜の慟哭は人々の目覚める朝まで続くかもしれぬ。
人々が馬車馬のように働いて得た給金から法外な税金を搾りとり、たとえ盗みのような軽罪であっても重罪とする神社のやり方には腹立たしいものがある。どうして悪政に抗えぬのか。ベルゲンはキメラが憎くてたまらなかった。幸せを奪った悪魔だ。
「何故、異形の者がこの世に存在する。真の神は自身の名を騙る偽物の神に天罰を下さぬ」
憎しみが募り、それが凝固したのがレジスタンスという武装組織だ。それぞれに神道への怨恨を抱いている。身命を賭して変えたい世界のために闘っている。
赤く割れる空を見上げると雷鳴がまた一つ。過った大きな影にベルゲンは目を疑った。
(鳥、いや、あれは)
電車の模型を置くと有孔ボードを張った壁に走る。備えてあったライフルを一丁抱えて一目散に駆けた。
「おい、ベルゲンどこに行く」
仲間の呼び止める声が背後で聞こえたがそれを無視して外へ飛び出した。雨がしとしと降る中、アジトの裏手にある畑へと向かった。夜毎の雨のせいで作物は根腐れし、ほとんど育っていない。ぬかるんだ泥に一歩一歩が重たく沈みこむ。跳ね上げた泥が飛ぶのも構わず畑の畝を越えた。畑の真ん中に倒れ伏したそれを見さげて戦慄する。やはり。
「キメラ……」
追ってきた仲間がおびえたように口にした。姿容はまるで人。だが、背に生えた猛禽類の強靭な翼は正しくキメラの物だ。気絶しているようだが近寄るのさえ危ぶまれた。ベルゲンはライフルを向ける。だが、相手はまったく動かない。冷たい雨が降りそそいでいた。
「死んでるのか」
ベルゲンは仲間の言葉に慎重になった。生きているのであれば危険、それなりの対処をしなくてはならない。だが。ベルゲンは険しい顔つきで考えこむとぽつりと呟く。
「運ぶぞ」
「でも」
肢体を抱えると仲間が動揺する。危険なキメラは近寄らず即座に処分すべきだ。
「いいから運ぶぞ」
ベルゲンは静かに怒るようにキメラの体を抱えた。
アジトの横の納屋に運びこむとキメラの体を手近にあった一番太いロープで手と体を拘束した。ギリギリと締め上げる。濡れた着物が体温を徐々に奪っていた。本来なら体をふいて即座に温めるべきだが、敵にかける温情など持ちあわせてはいない。血がにじんだ胸元を静かに見つめ身分を考慮した。
「上等な着物だ」
「ああ、そうだ。違いない」
纏える者の身分など想像がつく。だがどうしてこの地に、妻子の命日になぜ。
「どこかの神社で動乱があったのかもしれないな」
「こいつにそのことを確かめなければならない、が」
青い顔で微かに息するキメラを見た。これではもたないかもしれない。
事切れる前にとベルゲンは仲間へ招集をかけた。集まった十四人の仲間たちはキメラの姿を見ると驚いていた。生け捕りを喜ぶ者、天の歪みで無いかと不安がる者、それぞれが一様に口を揃えていう。殺してしまおう、と。ベルゲンも思いは同じだった。
「気がついたか」
ベルゲンは目覚めたキメラへ話しかける。キメラは倒れたままベルゲンを睥睨した。
「人の言葉が分かるか。理解できるか。お前はどこの本尊だ」
キメラは自身の置かれた状況に気づいて縄を引き千切ろうともがいた。
「いかに剛力といえどそのロープは引き裂けまい。話せるのなら答えろ。お前はどこの本尊だ」
「ぐがああああ」
キメラがよりいっそうの力をこめた。縄がメリメリと音を立ててぎりぎりの所で裂断せずに留まっている。仲間たちはその様子に動揺して武器を手に取った。
「オレに任せろ」
ベルゲンは仲間たちを制して立ちあがるとナイフを手にした。
「飛んで逃げられては困るのでな」
キメラの翼をつかむとつけ根にナイフを刺しこんだ。途端にキメラがもがき苦しむ。
「くっ、がああああ」
みな、痛々しさに正視することができず視線を伏せた。ベルゲンは躊躇なくナイフを刺しいれる。血がこぼれ汚れた木床に染みこむ。キメラが暴れて血が盛大に擦れ広がる。
ベルゲンは綺麗に翼をはぎ取ると、血だらけの手で翼を打ち捨てながらこういった。
「キメラよ、天の厄災よ。地べたを這いずり生きる者の苦難をその身で味わえ」
キメラは納屋で捕縛して状態を吹き返せば尋問するつもりだった。二人交代で見張りをし、暴挙に出ぬよう様子を具に監視した。だが、キメラは翼を切り取られたことで日に日に弱っていった。もはや言葉を発っせぬほど衰弱しものの哀れ。死を見つめるなど本来ならば心地の良いことではない。それを疎む以上やはり人であることの証左だと思う。
「お前のその胸の傷、宝珠を取り出したな」
ベルゲンの言が届いたのだろうか。キメラはまぶたを微かに開けた。
「死にたくなければ名乗れ、オレたちの質問に答えろ」
キメラは力なく瞳を閉じた。
「お前はどこからきた。なぜ怪我をしている」
するとキメラは目を開けぬまま一筋の涙を流した。途切れるように静かに呟く。
「美桜は無事か……」
ベルゲンは出てきた言葉が酷く人らしい物であったことに落胆した。とてもいけないことをしている気持ちになって口を噤む。キメラが死の間際に人の名を口にした。その事実でもう目の前のキメラを憎むことはできなかった。
自身が心を持った人であるように目の前の生物もまた心を持った生き物なのだ。反対する者はいる、だがそれでも正しい事をしたい。思いたつとナイフを手に立ちあがった。
「おい、何をやっている」
ともに見張りをしていた仲間の声を無視してナイフで縄を切った。
「大丈夫だ」
「大丈夫って……」
ベルゲンはキメラの青い顔をタオルでぬぐい、藁の上に寝かせてブランケットをかけた。
「暴れたらどうするつもりだ」
「大丈夫だ」
「でも」
「オレたちはあいつらと違うんだ。そう、違うんだ」
力強い声に仲間は渋々黙った。簡素な手錠をかけて介抱する。衰弱した体が意外と細く、とても辛かったのだと思う。脅威はある、だがそれでも救わなければならない。自身は真っ当な人でありたいのだ。
傷からの熱が引かず心配したが、二日を越えると顔色が良くなっていった。キメラは人ほど軟でない。それでも危ない状態だった。良くなっていく様にベルゲンも安堵した。
「お前のことを少し聞かせてくれるか」
キメラは黙したまま薄暗い天井を見つめていた。
「話さなければ何も分からない。理解しているのだろう、言葉を少し話さないか」
聞こえてはいるか。話したくないならばとベルゲンは静かに自身のことを語り始めた。
「オレにはシャノンという娘がいる。五歳だ」
妻が亡くなった当時、一歳であった彼女には母親と兄の記憶がない。理不尽により二人残された時、ベルゲンは幼子の育て方に苦心した。一人親の大変さがあった。
「女の子のこととなるとまるで分からなくてな。小さな尊い生き物を相手にしている感覚だ。周りの手を借りて本当に大変だったんだ」
シャノンはおかげで、おてんばの活力ある子に育った。
「いつだかシャノンがいっていたな。キメラは天使なのだと。画用紙にキメラの姿を書き、美しい翼をつけ美しい神の使いだと満足げにいったんだ。その時オレは戦慄した。幼き子の脳髄にさえそのような刷りこみが行われていることに」
ベルゲンの深刻な面持ちに、キメラが語りかけた。
「キメラは天使でなければ神でもない」
「そうだな」
ベルゲンはふと笑みをこぼす。その地位に生まれた者の苦悩など自身に分からない。望んで生まれついたのでもないだろう。彼の言葉にはそういう諦めがあった。
「神などまやかしだ」
手負いのキメラはそれ以上何もいわなかった。
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