第23話 理想の都

「税が足りぬと申したな」


 帝が手酌で酒を流しこむ。この頃好んでいるのは湧水を使用して醸造した新酒だった。


「各都市の公共交通機関の維持費の他、キメラ研究所、そして各地の神社の維持に費用がかかり過ぎています」


 帝が業平の発言に言葉を被せる。


「では削ればよいだろう」

「費用をですか」

「人をに決まっておろう」

「では、人員を削減して、あとは無駄を省くよう……」

「何を勘違いしておる」


 帝が冷笑した。


「人を殺せばよいといったのだ。人を殺せば、電車も増便せずとも良いだろう。要らない費用をかけずとも……そうか、でも人を減らせば税の徴収が減るな」


 考え至ったようにボソリと呟く。業平は戦慄のあまり言葉を発することができなかった。この頃、帝は人らしくなったと勘違いしていた。でもそれはただのまやかしだ。性根が腐っている。業平は少し引いて、それでもと自身の意見を伝えた。


「人々の生活を維持する機関は削るわけにはいきません」

「では宮の生活を削れと申すのか」

「無駄な分を省けばそれなりに」

「それでは末端の氏子を少し処分しよう。要らない者はキメラの餌にでもするが良かろう」


 業平は言葉なくして思い描く。キメラの檻で逃げ惑う人々のあの恐怖に満ちた目を。なぜそんな残忍な方法を思いつく。なぜ。


「諸氏と話し合い、即座に打開策を」

「話し合う必要性は無い。時間の無駄である」

「それでは即座に処分いたします」


 業平はそう頭を下げて立ち去ろうとする。帝の言葉が遠ざかる業平の背を追いかけた。


「それより子はまだか」


 恐らく八彩と美桜の子のことをいっているのだろう。まだ、三月も経っていないというのにそんなことばかり。


「私は存じあげませぬ」


 不機嫌にいうと帝が肩を落としたように「そうか」とつぶやく。


「早く孫の顔が見たいと八彩に伝えて参れ」


 業平は返事をせずに帝の居室をあとにした。




 業平は廊下を渡りながらそもそもの原因について思考した。帝には妻子がない。昔、控えめな妻がいたが子ができず払ってしまった。伝え聞いた話だと先代の帝は情けなく厳しかったそうで、業平はその軋轢が今の帝の心の崩壊を生んでいるのではと密かに思う。だが同情すべき事情はあれど命に従う訳にはいかない。


「過分な氏子は解雇して民間の企業に移すよう手配しよう」


 配下の者たちの吐息が聞こえた。


「雅な暮らししか知らぬ者たちが世間に出て働けるのでしょうか」

「分からん。だが、そうするしかないだろう」


 業平はどこか投げやりな気持ちでいった。帝の采配は命を軽んじてあまりに理不尽だ。


「このところの帝は不安定で在らせられるが、異常なのか平常なのか」

「声を沈めよ、大きすぎる」


 障子の外を見計らうと盆を掲げた料理人が通過した。昼時だった。業平は囁き声を作ると密かに仲間内に告げた。


「美桜様とももう一度話してみる。反旗は待て」




 目線にトンボが飛んでいた。暑さを紛らわすように風鈴がゆれて青畳が心地いい。八彩は研ぎ澄まされたハサミの音に瞳を閉じた。


「美桜」

「はい」

「業平と距離を置け」


 美桜は碧緑の目を柔和にした。


「どうしてそのようなことを仰るのですか」

「お前を愛しているといっては不足か」

「まあ、御冗談でしょう」


 八彩はそうだな、といって吐息した。実際、灰汁のきつい冗談だった。


「安心しろ、嫌ってなどいない。だからこそ助言する。このままでは業平の画策に巻きこまれる」


 美桜が一拍置いた。心地のよい間だった。


「いつからお気づきになっていたのですか」


 たぶん初めから。感情の尖り切ったひそひそ話などだだもれだった。美桜に懐柔させて、八彩に帝を始末させようとしていることも。その出来事を経て無垢なるキメラを育て神として祀り上げ、自身が摂政として采配する太平の世を築こうとしていることも。でも、それには全く興味がなかった。


「お前はオレを愛してなどいないだろう。だから他人事として忠告している」


 まあ、と小さく薄ピンクの口元が綻んだ。


「御冗談という言葉に少し傷ついているのですよ。ワタシに魅力がないのかもしれませんね」


 美桜は花のように笑って八彩を背後から抱き締めた。心音が馬のように跳ね上がる。


「いつ散らしてもいい命と、ワタシと同じようにお考えでしょう。ならば人のために賭けてみませんか」

「オレにお前ほどの情はない」

「そうでしょうか」


 美桜の頬の感触が背中にあった。


「季節が巡る度に思いを馳せられている。あなたさまが気にされているのは庭ではなく、命の摂理なのではないでしょうか」


 命の摂理、そうか。名前もなかった感情が腑に落ちた気がした。美桜の白魚のような指が袂に回され息をのむ。熱が触れ、指は着物をすべり首筋に届いた。


「お優しい方でしょう。だから愛し合いたいのです」


 生まれて初めての感情が押しよせた。口を空で開いて、下唇を噛むと思考を巡らせた。


「キメラに情愛は必要ない」


 いや、必要ないのではない。求めないとそう決めていたのだ。決めていたはずなのに心が求めている。寂しさかとふと思考した。美桜が背中でゆるゆると優しく首をふって鈴の音色を響かせた。


「お傍におります。だから求めてください」



       ◇



 美桜への感情が変化し始めたのはいつからだろう。初めて会ったときから美しかった。見た目の清さではない、心の清さをいっているのだ。妻という分からない人間の摂理を押しつけられて事実扱いかねていた。女というものに触れたのも初めてだったし、感情をよせられたのも初めてだった。愛しているのか、愛されているのか。確信がない。


 ただ、一ついえることがあって彼女からは死臭がしない。逃げ惑った命の香りがしないのだ。安らぐ気持ちで抱きしめると美髪が雪崩れた。


——象は家族を愛する生き物ですから。


 彼女のあの夜の言葉が心の奥底で輪唱している。



       ◇



「八彩さま」

「……ああ、すまないもう一度いってくれるか」


 すっと意識を引き戻されて、八彩は問い返した。


「この頃何をお考えですか」


 業平の問いかけには、どうとでも取れるような曖昧さがあったが素直に応じた。


「美桜の望みが分からない」

「お子ではないのですか」

「そういうことじゃない」


 業平はいぶかしんだ様子だった。


「お前、美桜に何を吹きこんだ。美桜があれほど命に執心するのは何故だ」


 業平は熱を冷ますように木床を見つめると、詰まりきった呼気を吐いて真っ直ぐ見つめてきた。


「……あなたさまの命が短いと申しあげました」


 八彩は目を大きく見開く。


「祝言の日、あなたが嫁がれるのは命の身近い本尊だと申しあげました。あなたさまは先代のキメラを倒してその地位につかれたお方だけれど、歴史上そのようなことが幾度も繰りかされてきたと。あなたさまを憐れむのであれば愛情を注ぎ、帝を退けて、それで……」 


 業平がいい終えぬうちに八彩は拳をにぎり締めてふり抜いた。業平は吹き飛んでふすまを突き破る。


「ふざけるな!」


 怒りのままに感情を迸らせた。


「ふざけてなどおりませぬ」


 業平も負けじと声を張り上げた。


「国を変えるには帝を狩るしか方策はないのです」

「オレも美桜も政治の道具ではない!」


 八彩の張り上げた声に、業平は渾身の思いを被せた。


「世を変えなければ私もあなたもいずれ用済みとなる!」


 八彩は言を失して愕然とした。


「愚帝による支配を終わらせて築くのは太平の世。無垢なるキメラを神として祀る新世界の樹立を」

「誇大妄想を語るな、お前のそれは傲慢だ」

「理念だといって欲しい」


 業平は怒りのままに退室した。




「業平とケンカされたそうですね」


 美桜が張り出した物見台の上で鯉に餌をやりながら笑った。


「あいつが勝手すぎる」


 美桜は憮然とした八彩の言葉を背で聞いた。


「業平の気持ちも理解してあげてはどうですか」

「お前はあいつの気持ちを理解しすぎている」

「御自身より、ワタシのことを思ってくださるのですか」


 美桜が微笑んだ。八彩は呆れて問いかえす。


「お前の望みは何だ。業平に刷りこまれたようなことばかりか」


 美桜は首を傾げた。


「帝など殺そうと思えば一ひねりだ。問題はそこではない。キメラの存在価値そのものを変えてしまおうというような業平の思い上がりを」

「研究所で年間どれほどのキメラが失われるかご存知ですか」

「知らない」

「五十と聞いております」


 美桜は鯉にすべての餌をやり終えると手の屑を払った。


「失われる人の命はもっと多い。そのようなことを失念して幸せになることなどできません」

「業平は良き理解者を得たな」


 八彩の揶揄するようにいった。


「ワタシの同情的な愛を受けいれてくださいませんか。いずれ失われる命をワタシの望みのため使って下さいませんか」

「愛し合いたいといった口でそれをいうか」

「ワタシはキメラです。あなたも同じように。愛という言葉の真実は同じくらいに知らないでしょう」


 美桜は視線をふせて川の流れをじっと見ていた。ああ、このキメラには尊い命への思いやりしかないのだと気づく。意図なんて初めからない。やっぱり魅かれているのか。


「考えておく」


 道具としてのキメラ、天威としてのキメラ。自身は代替わりする本尊の一人でしかなくいずれ散る命。美桜の思惑に応えても心が晴れる訳では決してない。自身がいずれ死ねば美桜も代替わりして殺される。彼女とは一蓮托生なのだ、と思った。

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