第21話 婚礼の夜

「八彩さま、お話があって参りました」


 八彩はうやうやしく礼をした業平を無視した。開け放たれた障子にもたれ、庭の移ろいを眺めている。キメラというのに大変大人しく、いや大人しいというより虚無である。心ここに有らずといったさまで日夜過ごしている。


 キメラには色んなタイプがあるというのは永年学んだが、八彩はどのキメラとも違っていた。思慮深く物静か。激することなどまるでなく、香月を仕留めた日の残虐が嘘のよう。歴代の本尊の扱いには相当苦労してきたが、八彩はどのキメラより相対しやすかった。


「帝のお心遣いでこの度姫君を娶られることになりそうです」


 ふっと息がもれたあと、馬鹿か、と小さく聞こえた気がした。


「ご興味はありませんか」

「あるように思えるか」


 業平は一拍考えた。ないだろうな、と心で量る。


「ひと月後になりますが、それまでに心の準備を済ませられますよう」


 捕らわれのキメラが自身の婚礼の準備などどうして励もう。彼の心はこの宮にないというのに。可笑しさに自戒した。キメラは人のように長命で在るわけではない。そうしたことは寿命という事情によらないことも分かり切っている。八彩の頭中にはおそらく生を楽しむことすらないだろう。


 視線を庭に移すと鶯が梅の木で戯れ鳴いていた。呑気なものだ。己も鶯も。


「伴侶を得られるのも案外悪くありませんよ」


 季節の空を見上げながら、なんの慰めにもならぬ言葉だなと嘆息した。




 枝垂れ桜が美しく咲き誇り春の盛りを告げた。八彩と姫の祝言が闇夜のライトアップされた美しき庭を背景に執り行われる。正装で婚礼に臨む八彩と白無垢をまとった姫が玉座を向いて、帝がその玉座に満悦の顔で座っている。有力の氏子たちが下座に階級順にずらりと並んだ。


 人々の期待は大きかった。八彩は崇拝されていた香月を幼くして倒した本尊でその神威に心酔する者が数多いたからだ。その八彩が婚礼となれば一大事。みな、祝いの品を携えて祝いの席に参列した。儀式の最中も色めき立ち美しき二匹のキメラに期待を寄せた。


 ゾウの姫君は桜の花が霞むほどに美しかった。形のいい唇を紅で染めて綿帽子から白い肌がそっと覗く。なだらかな肩と華奢な骨格はキメラのものとは思えぬほどたおやかで優雅である。二人が向かいあって盃を交わし夫婦の誓いを立てる。帝はその様子を満悦の表情で見ていた。能面のような顔を綻ばせ、誓いが終わると扇を満足そうにさすった。


 宴席では花が咲き、みな口々に喜びながら酒を煽った。


「慶事でありますな」

「いやあ、誠にめでたい」


 氏子どもは猪口を口に運び酒を煽る。料理は祝い事の中でも最上の品が並んでいる。


「一つ舞をご覧いただきたく」


 一人が扇を広げて中央で舞い始めた。巫女が琴を弾く。業平はこの独特の空気を心地悪く感じていた。酒も進まない、進むはずがない。これこそまさに遊興である。


 耳障りな朗笑を忘れて当の二人を見つめた。互いに言葉を交わすこともなく静かに座っている。そうだろうと心で呟く。彼ら自身の望んだ婚礼ではないのだから。キメラは道具として生まれ道具として死んでいく。そこには人々のひと欠片の憐れみも理解もない。


「傀儡であるな」


 小さなもれが届いたのだろう。八彩がふっと目を眇めて視線を流した。業平が神道に入ってすでに二十年が経つ。両親は平民で業平の生活は何しろ貧しい物であった。それでも幸せであったけれど、家族のために何かがしたいと、大切な人々のために世を変えたいと思い立ち氏子になることを決心した。


 入ってみると翠宮の内情は荒み切っていた。素晴らしく機能していると思っていた政治も荒れ果てた原野のように無残なものであった。自身が頑張れば変えられると最上氏の地位に上りつめたけれど、帝はどうしようもなく愚かであった。


 今の自分にできるのは政治を変えることではない。世が傾かぬよう舵取りに死力を尽くすだけ。そうして変えられることは少ない。けれど、この婚礼がもしかすると何かを変えるかもしれない。この事実はやがて人々の心に届くだろう。それが恐怖であるか、あるいは期待であるか、それは業平にも分からぬが。



       ◇



 婚礼の夜、八彩は障子にもたれ静かに月夜を見上げていた。満ち始めたばかりの三日月に雲が重なり柔らかい月光が居室に注ぎこむ。寝殿の暮らしは研究所に比べると幾分ましだった。血を見なくて済む。


 ともに暮らしたキメラたちは今頃、人を残忍に殺しているのだろう。それを思うと心が軋んだ。おそらく自身のキメラらしくない思考はヒトの遺伝子のせいなのだろう。愚帝の血が流れることが今でも恨めしい、残らず絞りだしたい衝動に駆られる。


 大きな枝垂れ桜が目先に映りこんだ。この木は翠宮が建立された時からそこにある。世が狂いすでに百年が経った。その間、本尊は新しくより強いキメラへと移り変わり、何匹もの神が人々の頭上に台頭し続けた。自身もまた消えゆくキメラの一匹かと世の無情に思いを重ねる。キメラの寿命は長い。それでも長命の本尊はいない。道具であることの悲しさが心根を打つ。


 見上げることに飽くまで八彩は毎晩夜を見つめる。月が照らし青い畳に影がよった。花の気配がする。


「ワタシの名前すら聞いて下さらないのですね」


 初めて声を聞いた。鶯が鳴いたような美しく凛とした声だと思った。八彩はふりむかず、声も返さず。


美桜みおうと申します」


 声が畳に沈む。八彩は強い意思を秘めたような響きに微かに目を細めた。


「あなたさまの妻になれて嬉しゅうございます」

「そうか」


 投げやりな言いぐさだったが気にならなかった。静かな響きは月夜に霧散する。


「八彩さまと。お呼びしてよいですか」

「縁に感じる必要はない。大方用意されたものだ」

「八彩さまはヒトの遺伝子が濃いのだと聞きました。ゆえにお優しい方だと業平が」

「阿呆だろう。キメラを何だと思っている」


 愚帝も馬鹿だが、業平も賢くない。勝手な期待をかけてどうする。


「とても不安だったのです。お仕えする方がどのようなお方であるか」

「氏子どもを喜ばせる必要性はない。形ばかりの婚礼だ」


 わずかばかりの間のあと、美桜はよりいっそう緊張した声で自らの望みを告げた。


「幸せにならねばと思いませんか」


 八彩は言葉を切った。月明かりの射した庭を見る。鶯の戯れだなと独りごちた。彼女は平伏したままで波打つ黄金の髪が畳に垂れていた。


「お前はキメラだろう」


 キメラでありながら幸せを願うそのしなやかな心。彼女の中に秘める慈愛の精神を感じて心がゆらいだ。


「オレは生憎そんなもの持ちあわせていない」


 このキメラは翠宮の理をどれほど理解しているのか。そのような思考を持つことにも驚く。残虐であるはずなのキメラが情を持った。畳についた彼女の指先は微かに震えていた。泡を抱くような歯痒い思いだった。八彩は少し考える立ちあがり美桜に歩み寄った。


「面をあげろ」


 美桜がすっと顔をあげた。月明かりが瞳の深淵を照らす。淡い碧の瞳がガラス玉のように煌めいた。瞬間、美桜の目からすっと一筋の涙がこぼれた。八彩は思わずその清さに感銘する。いさめるはずの言葉を忘却し見惚れていると、姫は桜色の唇をわずかに開いた。


「その御心でどうかワタシを愛してください」


 静かな祈るような声が月夜に溶けた。

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