4章 キメラの姫君

第20話 花の便り

 八彩が神に即位して五年が過ぎた。時折、奉げられる贄を八彩は殺さなかった。


 失望した者も多いけれど帝はむしろそれを好んだ。神は安物を喰わない。そして帝はあれほど気に入りだった香月の名を一度たりとも口に出すことはなかった。八彩は敗れた香月の肉塊を喰わず、帝は打ち果てた躯を見てたった一言、処分せよと冷酷にいいはなった。 八彩は歳を重ねるごとに美しくなった。目元はきりりと引き締まり意志の強さはより鮮やかに、凛としたたたずまいは正しく天を統べる神の姿といっても過言ではない。


 縁側から風雅を眺め日々は過ぎていく。雪を被りながら咲く椿の美しいこと。着物の奥の背の翼は畳まれたままだった。


 八彩が自由を望みながら飛び立てないのには理由があった。心臓付近に埋めこまれた宝珠がどうしても邪魔をするのだ。研究所はキメラを作る際、安全策の一環として宝珠を施す。暴走という危険を孕んだキメラを御すための装置だった。心拍に負担をかけ力を抑制する他に有事の際は体内で破裂させ毒殺するといった用法がある。神でありながらその動向を具に監視されて、身動き一つできない生活を送っていた。




「姫をとらそう」


 帝のこの頃の八彩への執心は生きる活力だったかもしれない。酒を煽るのは相変わらずだけれど、幾分飲み方が緩やかになった。自我を失わぬ範囲でたしなんでいる。業平自身も帝が理性を取り戻したとそれはもう安堵していた。


「どなたにですか」

「もちろん八彩にであろう」

「キメラの婚礼など聞いたことがありません」

「して悪いと誰が決めた」

「いえ……」


 むくれる帝の機嫌取りはあまり得意でなかった。


「このところ気の塞ぐ知らせばかりであった。神の吉事であるならば民の気も晴れよう」


 先日の清宮の反乱が過る。すでに鎮圧されて芥のように処分された命を思うとやり切れないものが残る。それを見越しての吉事とは、祝う国民がこのご時世にどれほどいる。


「八彩さまは十三歳です。まだ、お早くはないでしょうか」

「親が子の幸せを願ってなぜ悪い。所帯を持って暮らして欲しいと思うのが何故いけない」


 キメラに情愛を植えつければ天威として機能しなくなるのではないか。他人事の懸念が浮んだがそれは伝えなかった。帝が人の心を取り戻したことの証、この頃の帝の心の在り様が翠宮の安定を生んでいた。それは親心だ。愛する子を持ったことで興味の対象が酒から反れた。執政こそ振う能力が無い物のまともなイエス・ノーを答えれられる。政治は陰で業平が動かせばよい。


「年頃の良いキメラを選んでまいれ。間違っても醜女など用意するでないぞ」


 遺伝子操作されて産まれてくるキメラに醜女などいるものか。業平は御意と頭を垂れた。




「キメラの婚礼とは」


 研究所の所長もそれには少し呆れた。


「遊興で仰っているのかとは思うが、本気とも取れる。何しろ前代未聞だからな」

「美しければよいのでしょうか」

「分からん」


 業平の見上げた視線の先に一つのシリンダーがある。満たされた液体の中で少女のキメラが美しく波打つ黄金の髪を湛えたまま眠っていた。通常、幼いキメラしかシリンダーで育成しないというのに、このメスのキメラは既に八彩と同じ年頃であった。


「このキメラはいったい何なんだ」

「ああ、それはファーストキメラです」


 所長が業平の問いかけに即答した。キメラには二種類あって、ファーストとセカンド。ファーストキメラとは旧キメラとも呼ばれる旧世代のキメラだ。現在、本尊として生産されるのはセカンドキメラが主流。ファーストであれば憲兵クラスが関の山。そのキメラを懇切丁寧に扱うとはいささか慎重過ぎないだろうか。


「旧キメラでは話にならないな」

「実はそのキメラはちょっと特殊なんです」

「特殊?」

「戦闘目的のキメラではないのです。キメラを産むためのキメラといいますか。まだ、実験段階ではあるのですが」

「キメラを産むキメラ……」


 キメラは通常複雑な遺伝子操作で産みだされるため、受精と遺伝子組み換えを顕微鏡で行ったあと人工羊水を満たしたシリンダー内で一から育てる。キメラがキメラから産まれた事例はない。


「ほとんど見目は人と変わりませんが、妊娠期間の長いゾウの遺伝子を組みこむことでより腹を強くし、成熟したキメラを産めるよう遺伝子設計してあります」

「強い腹を持ったキメラならばもしかするとキメラを産むことが可能か。産まれる子は強くなるのか」

「まだ、分かりません。妊娠させておりませんので」


 愚かな計らいだが帝の望みはそう現実離れした思考でも無いのだなと考える。


「八彩さまの子を産めばどんなキメラが産まれるだろうか」

「予測不能ではありますが、面白い実験結果が得られるかもしれませんね」

「そうとなれば帝にご提案してみよう」


 所長は業平の言葉に笑った。


「許可など初めから望んでおられない。実際に政治を動かされているのはあなたさまでしょう。あの方はお飾りだ」

「滅多なことをいうな。お飾りでも帝は帝だ」


 業平はシリンダーをスッと見上げる。神話の女神がこの地に降臨して眠っているならばきっとこんな姿だろうと思う。伏せたまぶたの奥に輝く美貌の瞳を想像する。帝もこれならば満足されるであろう。

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