第18話 羨望の空

 年月を経て八彩はシリンダーの中ですくすくと成長した。五歳になると鳥籠での多頭飼育の段階に移す。これには集団生活を経験させるという些末な目的もあるが、一番の目的は力を研磨すること。この段階であまりに弱いキメラは淘汰される。


 キメラの鳥籠に放りこまれる贄はすべて罪人だ。謀本を企てた者や実際に行動に移し逆らった者が対象となる。鳥籠に放りこまれた罪人は叫び逃げまどいながら命を散らす。キメラは血を浴びて人を殺すことを覚え、残虐そのものに快感を覚えていく。


 強化ガラスへ屈強な男が叩きつけられ大量の血が吹いた。キメラが絶命した男に群がる。遺体は喰い荒らされる獲物のごとく内臓を垂れる。獅音が無残な遺体の向こうで不敵に笑った。小さな八彩は壁に背をもたせて静かに見つめていた。


「どうして八彩は人を喰わぬのだ」

「原因は分かりませんが、恐らくヒトの遺伝子が濃すぎるのではないかと」


 帝が烈火のごとく眼差しを研究員に注いだ。


「予の遺伝子が不出来であるというのか」

「そ、そうではございません。決して、決して。とても心優しきキメラなのだと思います」


 帝は不承不承で頷くと少し寂しそうな顔をした。


「人を殺さぬキメラなど退屈だ。進展があったらまた報告するが良い」


 帝は着物を翻し颯爽と研究所をあとにした。以降、帝は研究所を訪れていない。




 小さなキメラは小窓から空を見た、自由の空。

 空を飛ぶための翼はもはや飾りでしかない。

 この小さな鳥籠の中で得られる微かな喜びを自身は求めていないのだから。

 目前で散っていくその儚い命。

 すでに死という言葉を覚えた。動物の死、人の死。

 この場所はあらゆる死が満ちている。生命を殺したいという非道が満ちている。

 そして自らもそれを望んでいるというのだろうか。

 自分さえも分からない、イライラする。




「おい。お前、研究者たちのお気に入りらしいな」


 頭上の声に視線を上げた。獅音が自信満々の笑みを浮かべ碧目で見下ろしていた。

「オレは既にここにいるキメラにはすべて勝利した。だが、お前も一応残っていたな。お前を倒さねば最強という二文字は手に入らない」


 八彩は睥睨へいげいする。


「お前の魂は不快だ」

「喋れるのか、驚きだ」


 獅音は誇り高ぶる顔で蔑んだ。彼の背後では獰猛なキメラが始終争っている、鳥籠で日常茶飯事力比べが行われている。


「お前を臆病者と認定するがそれでいいか。玉無しのひ弱なタカとみなに呼ばせていいか」

「仮初めの称号が欲しいか」


 八彩がつぶやき立ちあがる。獅音の目が突き返された言葉に反応して、怒りに染まった。頭中の怒りが喉を伝い、指先まで届き、小さな震えとなって届いたようだった。


「大変です。所長」


 所長が研究員の慌てた声に目を向けた。いったい何事という言葉を払い状況を伝える。


「鳥籠で獅音と八彩が戦っています」

「何だと」


 慌てて駆けていくとキメラたちが恐れるように身を遠ざけ見守るなか、八彩が小さな獅音を無残に蹴り倒していた。獅音の肢体が蹴られるたびに悲鳴をあげている。筋肉を貫く不快の音がガラス越しに鳴り響く。獅音は口からごぼごぼと血を吐きうずくまっていた。


「獅音をのしただと」


 所長はあまりの衝撃に目を見張る。気高き獅音が地に伏すなどかつてなかった光景だった。同年代のキメラを統括したその力は組織の枢要とばかり思っていたが。


「驚きです。八彩はてっきり弱いとばかり」

「戦っているところなど初めて見ました」


 種々の研究員が感嘆の声をあげた。


「止めましょうか」

「いやいい、好きにさせておけ」

「ですが」

「素晴らしい研究成果だ」


 所長は満足げに頷くとこれまでの苦労を思う。


「遺伝子的に八彩の上にいく者はいないだろう。それがやっと証明された」


 金のかかったキメラの失敗の噂はすでに翠宮に広まりつつあった。その懸念をやっと払拭できる。所長は肩の荷が幾分おりて研究員たちと肩を叩きあい、成果を喜んだ。


「これは期待できますよ。すぐに猛獣との飼育に移しましょう」




 八彩はその日からライオンの檻で三日三晩過ごし、けれどただの一頭も殺さなかった。ライオンも敵意を見せず、八彩により添い静かに眠った。


「やはり八彩は賢過ぎるキメラなのかもしれません。生き物を殺すことに抵抗を感じているのではないでしょうか」


 研究員が監視カメラの映像を解析している。八彩の精神状態を光彩で確認しているのだ。


「残虐性の低いキメラは確かにいる。そうした場合遺伝子を解析してもやはりヒトの血が濃い。基本、残虐性の低いキメラは使い物にならぬのだがそれを帝に申しあげるなど」

「考え方を変えると穏やかなキメラは御しやすいかもしれません。情がヒトに近い分、命令も伝わりやすく反意を抱く危険性も低いということではないでしょうか」

「なるほど、それは一理ある」


 所長はあごに手を添えて頷く。


「帝のご要望に総えるかどうかは不明ですが、少なくとも歴史上最も強い神になる可能性は秘めているのですから、それなりの期待をかけて育てるべきかと」


 八彩は静かに足を組んで頭上を見ている。先日の無慈悲はもはや確認できない。勘に触ったのだろうな、本懐ではなかったのだ。実情を知った今だとそう思える。


「八彩は顔をあげたまま何を見ている」

「恐らく空を見上げているのだと思いますよ」


 八彩の頭上には30センチほどの明かり取りの小窓がある。幼き体が光芒を浴びていた。


「彼はタカですから」


 数羽の小鳥が八彩の視線の先を群れを成して飛んでいった。


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