3章 鳥籠の鳥
第16話 誕生ーPrologueー
白木槿の花が目先でほほ笑むように揺れた。神の庭とも称される翠宮神社の境内には種々の花が艶やかに咲き誇り、頭上を紅葉の天蓋が染め上げている。中秋の盛りともなれば標高の低い神居の山腹ですらいくらか寒く、落葉がはらりと小川のせせらぎを流れた。
人はこのような殊な環境にあれば己の立場を誤想する。そういう自身も例外ではないな、と業平は自戒した。選ばれた一握りの人間となること、治世を施す側の身となること。いつしか望んで手に入れたものが気鬱に感じられていたのも事実だった。
定めと割り切ればどんなに気楽か。気分の乾きが空気をより重くした。この忌まわしき出来事をどうして嬉々と報告できようか。もっともそのような神の慶事にさえ嫌悪を抱くのは、自身が異端である何よりの証左だろう。
架橋には巫女が侍り、業平の通過を認めると稲穂のように垂れた。足取りは重く、心には一抹の不安がある。帝の御心が悪しきに傾けば、乱心を起こさねば良いが。
ひゅるると鳴き声が聞こえて仰ぐと鷹が青空を舞っていた。紛れもなき一羽の鷹である。喉を美麗に鳴らしながら青空を旋回している。その姿に思う。心が晴れないのはもしかすると己が真にそれを望んでいなかったからかもしれない。
翠宮神社の中枢、神宿りの間にたどり着くと静かにひざまずいて凛然と声を張り上げた。
「御報告にございます」
隔てる御簾の向こうで酒を煽る気配がし、こぽこぽと清らかな手酌の音が耳を打った。
「業平か、申してみよ」
まるで知恵者の狐、冷えた物いいに唇を噛む。情を含まぬ響きに空気がよりいっそう強張り、業平は浅く呼吸を飲むと深く平伏したまま決意をこめて奏上した。
「第一研究所にて例のキメラを生成することに成功いたしました」
「産まれたか」
感慨深げに返ってきた言葉に帝の静かな高揚を悟る。ねちゃりと開く音がして酒で濡れた口元で微笑するのを感じた。
「ついては研究所をご内覧いただきたく……」
「化け物か」
つと止めどない思考が止まった。虚をつかれ戸惑う。清廉な空気を押し退け扇を閉じる音が一つ、張りつめた糸がぷつりと切れる音がして、
「答えぬか、そ奴は化け物かと聞いておる!」
激情とともに盃が宙を舞った。御簾が阻み、朱の杯はからりと床へと転んだ。残滓のような酒の香りに唇を噛む。要らぬ刻であったかと。場が湖面のようにひたりと静まり返る。
「化け物……だと思います」
「そうか、化け物か」
くつくつと嘲笑する声が真っ平らな木床に落ちた。いかなる事実が感情を打ったのだろう。壊れた主の心など量りかねた。
「名は何とつけよう」
そう呟いてわずかばかりの考えるような空白のあと、帝はゆるやかに声を滑らせた。
「八彩…………というのはどうだろう」
「はるか西の地にそのような鳥がいたと記憶しております」
——八種の彩をまとった美しき小鳥、『ヤイロ』。
彼の美鳥は夏の季節の繁殖に合わせてこの国の南方に渡来するという。
「飼いならすに生贄が必要だろう」
「準備してございます」
凝縮された空気がにわかに緩み、御簾の向こうで気抜けするような扇の開く音が聞こえた。帝が緊迫の刻を越えて華々しく高笑いをする。
「あの無残に裂かれるさまは何とも心躍るもの」
命の散り際をこう表現されるとは。この方は危うい、言葉を噛んで平伏を続けた。
「名は何とつけよう」
「……先ほど」
「八彩にしよう。良い名前だと思わんか」
無邪気な声音に肝が凍った。主は決して耄碌(もうろく)しているわけではない。薄氷を踏む思いで喉を震わせ再度の言葉をカラクリのように紡ぐ。
「……西の地に、かような鳥が」
押し切らねばというおびえがあった。帝がすべてをいい切らせぬと嘲笑した。
「餌が必要だろう。業平、そなたが最初の生贄になるがよい」
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