第12話 八彩出陣

「きた」


 八彩が静かに目を開けた。サクヤの耳にも地を揺らす爆撃音が聞こえた。一撃目より遥かに近い。潜んでいた納屋から出ると十時間ぶりの外気が涼やかで、清々しい気持ちになった。人の姿一つない、台風一過のような静けさだった。


「いない……」

「どうしたサクヤ」

「憲兵がいないのよ」


 手を大仰に広げてその歓喜を享受した。もう永年味わったことのなかった解放感だった。感動で胸が詰まる。ずっとこの瞬間を焦がれてきたのだ。


「切り開いてくれた血路をオレたちは進む、泣くのはすべて終わった後だ」


 作戦の命運は自分たちにかかっている。サクヤは八彩ともう一人の仲間につき従い、夜の街路を駆けた。来宮神社までは五分の距離、まもなく町中に潜んだ他の小隊とも合流した。


「みんな無事だったか」


 仲間たちを数えて安堵する、だれ一人欠けていなかった。


「ベルゲンの作戦は確実に機能している。その証拠に町にキメラは残っていない」

「それだけ、来宮神社の警備が強化されたとは考えられないだろうか」


 仲間の言葉に一拍考えたような間が開く。その可能性は決してないとはいえない。だが。


「北からの攻撃に応じて、綿密な格子網は敷かれていないはずだ」


 気休めの見解でないことは理解している。彼の敵は防戦一方で急襲を凌ぐことにてんやわんやのはずだ。仲間たちの目には力が宿りこれから事を成すことへの活力が満ちていた。力強く踏みしめる一歩一歩が自由への意思を押し固める。水面下で耐えしのいできた歴史があっての今日。ベルゲンが組織を創設して八年だと聞いた。長い年月だったに違いない。


「巡回を一人も残していないとはな。大手を振って町を突っ切り、来宮に乗りこめる」


 足取りは弾み、本隊は軽快に町を駆けた。


「ベルゲンはこのあとの作戦を立てているのかしら。何もいっていなかったけれど」

「不確定要素が多すぎるから作戦は功をなさない。現場で判断するとのお達しだ」

「ダメだ、ベルゲンとは連絡が取れない」


 仲間が走りながら手首の通信機に話しかけていたが諦めて腕を下ろした。


「ベルゲン捕まってしまったの」

「生きていていれば良い方だ」

「そんな」


 サクヤは八彩の率直な返しに不安を覚えたが、仲間が代わりに答えた。


「ベルゲンは信じて作戦の行く末を委ねた。何としても来宮を打倒せねばならん」

「ベルゲンだけじゃない、みなが命をかけて戦っているんだ」


 別の仲間の言葉を受けて、もう一人が言葉を継ぐ。


「千載一遇の好機、みんなの開いてくれた血路だ。霧散した兵力を正面から叩き切る」




 数分も夜道を駆けると朱色の明神鳥居がライトアップされて栄えていた。畏怖を覚えるほどの空気に足を止めて見上げる。越えれば神域、後戻りはできない。無数のキメラがなかで待ち構えている。


「一秒も無駄にできない。みんなが命を削って稼いでくれている時間だ」


 決意を推し進めるのは信念だ。理不尽に負けまいとする強き心で参道へと進んだ。


 荘厳な気配が石畳の参道に満ちていた。白の玉砂利が広く敷かれその向こうに美しい竹林があって、夜風にさわさわと揺れながら来訪者を招き入れている。近代化の現代に異質ともいえる古の景観に見惚れた。古きを重んじて伝統を貫くと奴らは尊大にいったか。


「神社ってこういう所なのね、知らなかった」

「感銘する必要はない、そういう場所だ」


 八彩の冷たい言葉を黙して悟る。血であがなわれた場所なのだと。それでもなお、それを忘れると美しい。昔、多くの人が参拝に訪れてこの竹林に感銘したといわれている。今夜は満月。薄雲はすでに取り払われて皆無。涼やかな空気のなか虫が静かに鳴いていた。黄金の社殿はまだ遠くで霞んでいるが近づくにつれて輝きは濃くなっている。


「いた」


 八彩が遠くを捉えて仲間を制止させた。じわりじわりと染みが広がるように塊が伸びていく。無数の人影か、いや。人ならざる者たちだ。侵入者の姿を認めると飛躍した。


「隊列を組め、集中しろ」


 本隊は座る者と立つ者、前後二列の隊列を組み銃器をかかげる。


 鳥型キメラが地面すれすれを高速で滑空した。サクヤは先陣を切り発砲する。敵はマシンガンの雨を避けながら弓なりを描き、サクヤの眼前で飛翔して足をふりおろした。


「えっ」


 瞬刻、身をこわばらせたが当たるより早く八彩に襟首を引かれた。回避して次の一撃がふり注ぐ。八彩が庇ってキメラの体を大足で払い、鳥型キメラは豪快に吹き飛んだ。

「ごめん」

「銃口を構えろ、くるぞ」


 目先で巨塊がうごめく。大きな一団がいっせいに牡丹の花のようにわらわらと膨れあがり鳥獣戯画の光景に心を奪われた。神経を研ぎ澄ますと耳の中で空気が震えた。


「撃てええええ」


 味方の叫びで斉射が始まり用意した無数の弾丸がふった。キメラがどんなに強靭だろうとハチの巣にすれば絶命しない者はない。駆逐せんとする勢いで憎悪をぶつけるように引き金を引き続ける。


 ああ、これが戦場なのか。流れる血を見つめ平常でない感覚に己を落としていく。オオカミのキメラが強靭な歯をむき出しに石畳を疾走して仲間の一人に飛びかかる。顔の皮を剥ぎ意気揚々とふり上げると喉元を喰いちぎり次なる獲物へ狙いを定めた。怪しく眼を見開いた後、オオカミが傾ぐ。仲間が背後からナイフをオオカミの脳天に突き立てていた。


「弾は足止めだと思え。直接切り裂かねばヤツらは動き続ける」


 オオカミは吹きあがる血とともに絶命した。サクヤは弾帯を交換しながら絶え間なく撃ち続けた。弾は当たっている、確実に当たっている。なのに奴らは弾丸の雨の中を猛進してくる。これが生き物なのかと空恐ろしさを覚え、本来あるべき姿との差異に歯噛みした。


(実力が違いすぎる)


 やがて敵味方交わり、一つの大きな塊になった。キメラが乱舞しながら鮮やかに仲間を恐怖に陥れる。夜明けの鷹の隊列はすでに崩れ、近接戦闘では発砲などしようがない。


「うがっ」


 キメラがウェイトをかけて、仲間の喉を切り裂いた。吹き上がる血に、サクヤは放心状態になった。どうしよう、戦わなければ。なのに体がおびえ動かない。


「ひぎゃあああ」


 巨猿のキメラが大声を立てながら、サクヤ目がけて剛腕をふるった。


「ひっ」


 迫りくるこぶしを八彩が剛腕で受けとめた。苛烈なぶつかりにはっとする。


「戦わないのなら帰れ!」


 怒鳴り立てる八彩の声に我に返った。


(そうよ、死ぬの。戦わなきゃ死ぬの)


 途絶えた指先に熱が伝わり、決意を強くするとナイフで真っすぐ敵の急所を狙った。


「死ねええええ」


 頭骨をめりりと貫く音がする。巨猿はもがき悲鳴をあげたあとその場に倒れた。半刻、戦い続けて参道は静かになった。肩でぜえぜえと息をする。三体のキメラを何とか仕留めそれがサクヤの限界だった。


「本尊はいたか」

「いない。いればこれほど手短にはすまないだろう」

「これで手短」


 八彩の回答にサクヤは嘆息した。


「思っていた以上にこちらの警備が薄いようだ」


 それはすなわち仲間が奮戦しているということ。だが、そうなればなおさら無駄に割く時間はない。


「休んでいる時間はない、本殿を目指そう」


 疲れた息を飲みこみ、残された十三名で参道を駆ける。黄金の社はもうそこだった。

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