第11話 デッドライン

 警備局は神域における侵入者どもの一進一退の攻防を凝視していた。未明のことだった。


「敵勢力、中央ラインに到達しました」

「何故引かぬ」


 上氏は急いた声に渋面を作った。敵は森の難所を生き絶え絶えになりながらも根性と力だけで突破してきている。虎の脅威は確かに機能している。その証拠に敵はすでに半数以上の仲間を失っている。それにも関わらず恐れをなして逃げるどころか発奮し決死の覚悟で突き進んでくる。大河を渡るバッファローの行軍だ。連中の覚悟、理論で説明しきれぬ。


 森が連続して光り消えた。薄煙が立つ。また銃撃が行われたのだ。伏したのこちら側かあちら側か。監視カメラで仔細は迅速に確認できず見守るしかない。しばらくして小男の亡骸が見えた。だが、侵入者たちは手短な別れを済ませると堅固な意思で立ちあがる。


「連中は何なんだ」

「キメラはスタンバイできています」

「そんなもの、わたしの一存で動かせるわけがなかろう!」


 怒鳴って扇を指の腹で忌々しく曲げると歯ぎしりした。どうして虎に恐れをなさないのだ。奴らはただの人間ではないのか。弱き愚かな人間ではないのか。


「残り五百メートルです」


 扇が怒りに折れた。虎の障壁が崩れた今とるべき手段はただ一つ。最後の柵、キメラ憲兵による迎撃だ。もう速いということはない。迅速に森にキメラを向かわせねばならぬ。だが、それは境内の警備を手薄にすることをも意味する。その間に万が一の襲撃があれば。


「こんな時に神主さまも照葉さまも何をしておられるのだ」 


 手すりを悔しく打った。


「北の回廊の内にキメラ憲兵を厚く集結させよ」

「内……でよいのですか?」


 敵を抑えるならば、外に配置せねばならない。その指摘は重々理解しているが。


「最終判断は照葉さまに仰ぐ」


 そう言葉を押しこめると思案した。己だけで難局は指揮できぬ。


「南の警備はどうなさいますか」

「街中の憲兵を呼び戻し補充せよ。今は堅固に守り抜く時、一糸乱れぬ警備態勢を敷け」



       ◇



 月明かりの閉ざされた森に虎の息吹と人の息吹が混じる。追う者と追われる者はいっせいに来宮を目指している。外気を求め酸が駆けあがり絶え絶えになりながらも進むことを止めないのは万有の願いがあるから。手にした覚悟を手放さずにここまで進んできた。


「走れ、来宮はもうそこだ」


 ベルゲンが腕をふって声を上げる。七名だ、二十三名いた仲間が七名しか残らなかった。汚れたティシャツを纏い、粘りつくような唾をまき散らしながら叫んだ。


「くそっ、しつこいぞ」


 連弾が虎を追いかける。木が激しい勢いでえぐられ散り散りに宙を舞った。飢えた猛虎の魂に歯がみした。淋しい森にしつこさだけで生き抜いてきたのだろう。鋭い爪で森を蹴りあげて脚をしならせて。巨体が大きく躍動して迫った。弾倉が空回りする。


「くそっ」


 仲間はマシンガンを投げ捨ててナイフを手に持つと虎と豪快にもみ合った。生臭い息を浴びながら尖端で喉を掻き切る。赤い血がふって獣の悲鳴が闇にあがった。潰されるように二百キロを覆いかぶさり体臭を嗅ぎながら、まだ温かかった肉体を足で蹴りあげた。


「大丈夫か」

「ああ」


 身を起こしマシンガンを拾い上げると弾帯を交換した。次はもうない、最後のものだった。虎の亡骸にしばし呼吸を整えて汗をぬぐうと狭い空を見た。なんと澄んだ夜空だろう。どんなに地が蒸れようとも空は自由。飛んで逃れたいような思いが湧いてきた。


「オレたちの思いは届いているのだろうか」


 彼の首元にも金の羽は光っている。離れた仲間たちへ、世界の平和を願う同志たちへ。


「きっと届く。届いている」


 弱音をはいた仲間はもういなかった。みんな勇敢に散っていった。心底怖かっただろう、千切れるような思いだったろう。でも誰も死に際に恐怖を口にしなかった。その仲間の思いがある。残されたのは実力に覚えのある者ばかりだがそれでも限界を越えていた。


「キメラはこなかったな」


 口惜しさが残る。多くの犠牲を払ったというのに自分たちのしたことは犬死だったのか。鬱屈しそうな思いに身を駆られていると先頭をゆく仲間がふいに立ち止った。


「どうした」

「……見ろ」


 土地がここから急こう配して低くなっている。ベルゲンは崖を下らねばならないかと沈んだ。だが、彼の指摘はそれではない。空が燃えるように輝いている、黄金の棟木が満月に目がけて反り返っていた。息をのんで立ちどまる。焦がれた眺望だった。


「来宮だ」

「ああ、そうだ。来宮にたどり着いたんだ」


 疲弊した心に希望が灯りはじめた。ようやく報われた。辛苦の道を思い返すと涙が伝う。目を擦って嗚咽している者もでた。もはや立つことさえも限界で、それでも未来を信じて進んできた。こんなに震えたことはなかった。


 ふと背後で無情の気配がした。最後の追手だ。反転して最後の力をふり絞った。あと一歩、あと一歩というのに敵は遠かった。縮まらぬ距離に悔しさがこみ上げて、止むことのない銃声が虎の群れを決死の覚悟で追いかける。虎が唸りを上げながら右に左に木々をすり抜け迫りくる。それをマシンガンで追尾する。逃げ場はもうなかった。


 恐らく自分たちが境内の玉砂利を踏むことはないだろう。無念と憤りに心がひしめいている。信じた未来を生きることができない無念、それに対する憤り、だからその未来は愛する者に託す。命をかけて自分たちが最期にできること、成しとげなければならないこと。


「来宮が変わればこの国は変わる」

「キメラによる悪政を退け、この国の未来を変える時だ」

「死してなおオレたちはつかみ取る未来を信じる」


 血にまみれながらも信じた未来を叫んだ。愛し守りたいと願った人々がその未来を生きる。来宮を向いて、仲間がランチャーを構えた。そのとき、空を飛んでくる無数の粒が見えた。米粒よりも小さな白点だ。仲間は口元をにやりと吊ると目を眇めて狙いを定めた。そして、背後で戦うリーダーに向けて高らかに告げる。


「ベルゲン、あんたの勝ちだ」


 雲間が晴れ、弧高の満月が輝いた。


「撃ち抜けええええ」


 ベルゲンの叫びが神域に木霊する。仲間は渾身の力で引き金を引いた。

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