第9話 クライシス
鎮守の森の野鳥がいっせいに闇に舞った。空の放つ慟哭は卑しい者たちの心を揺さぶる。照葉は夜着そのままに半纏をまとって髪をふり乱し、境内の離れにある警備局へと急いだ。
警備局には夜半も過ぎたというのに分析官が身なりを整えて、粛々と巨大パネルに向かって有事の対応をしていた。夜勤も多少いるだろうが、大半は緊急事態に参じた者。遅れて入局した上司の姿を認めると少しほっとしてまたすべからくモニターに向き合った。
「何があった」
照葉の急き立てる声に若い下氏の分析官が焦ることなく淡々と報告を上げていく。
「神域に侵入者が現れました」
「神域だと」
信じられずに凝視した。切り替わったモニターが黒塊を映す。樹齢千年に及ぶ御神木だった。それが白煙のなか今にも傾ぎ倒れようとしている。その事実に戦慄が走った。
「何が起こった」
蒼白になって問いかけると再度下氏が映像を切り替えた。森を進む人影が薄煙のなかにいる。数は二十人に下らない。
「北限から森に入ったようです」
北限ならば二キロか。侵入して景気よく吹き飛ばしたのだろう。豪胆な男たちがランチャー、マシンガン、ライフル、重火器を携行し弾帯を巻きつけて森に分け入っている。
「自殺行為か」
呆気に取られて声がもれた。照葉の経験上これほどまでに多勢で森に入った連中はなかった。あの噂のせいである。分析官が連携の手を休めて及び腰でたずねてきた。
「……キメラ憲兵を向かわせますか」
「よい。増援は混乱を招く」
処断の声が局内の混乱を鎮めた。ここでみなそろって浮き立つわけにはいかない。
「神域には奴らを阻む鉄壁がある。いかに豪勇の士といえど、人。恐れをなして逃げ帰るであろう」
浮き立ちは収まりあとは速やかに対処するだけ。だが冷静に努めながらも流麗すぎることにかえって狐疑の気持ちが湧いていた。手落ちはない、ないはずなのに。
よい、これでよいとくり返しながらも不安に駆られている。なぜ敵は神域からきた。あえて不可侵と知る神域から。魔物の存在を知らぬはずはないのだ。
「敵の計略はどこにある。来宮か、神域の攻略か……」
ここまで届くかもしれぬ、喉の奥で恐れが捨てきれない。憤然と立ち上がった。
「わたしは神主さまにお伝えする。事態を早急に解決せよ」
照葉は警備局を後にした。
◇
二十三名の陽動部隊が北限から侵入して鎮守の森を突き進む。ベルゲンは足腰が強く実力に自信がある者ばかりを割いた。各々の心には次なる号砲を鳴らさねばという決意がある。険しい森に阻まれながらも変わりゆく国の未来を信じて、人々の心に忘却することのできぬ命の抗いを焼き付けよう。清き願いは一つ、必ずや人々を悪政から解放する。
乾いた木の葉がざわめいた。冷や汗が背中を伝う。忍びよる気配に神経を研ぎ澄ませた。
「消えろ、悪魔め」
声高な叫びとともに発砲すると大きなものが茂みに横たわる鈍い音がした。神域にいる魔物の正体、それは野生の『虎』だった。
「またか」
仲間の一人が震えた。緊張で絞り切られた、か細い呼吸だった。
「あまりに酷い」
虎を足蹴にしたが幸い絶命していた。
「下劣にもほどがある。これでは侵入する者も無事では済むまい」
「キメラは育成段階において猛獣と戦わされる。ほとんどのキメラはそこで間違いなく猛獣を仕留めると聞くが」
「これほどとは」
汗ばむ手で銃をにぎり直した。仲間は魔物の正体が虎と知ったときに恐れ慄いた。犠牲になった躯を眺め絶望した。喰われるという原始的な恐怖にはどんなに心を強く磨いても抗いようがない。何たる残虐。神社の手法に怒りを覚えながらも突きつける先がない。
ベルゲンは唇を引き結び思案した。まずいことに目論見である陽動が働いていない可能性がある。来宮が虎の鉄壁を固く信じキメラ憲兵を動かさないという最悪の可能性だ。その場合、来宮の警備は崩れず北部隊は犬死で本隊の負担も甚大なものとなる。
組織を棄てて何のための陽動か。苦境を覆すにはなんとしても来宮境内へたどり着き、恐怖に陥れやつらをおびき出さねばならぬ。だが。
「いったい何匹いやがるんだ」
仲間が怒号を孕んで茂みに発砲した。短い悲鳴が闇夜で切れる。
「ぎゃあああああ」
いっせいに振り返り銃撃した。獣がしげみに沈む。伏した虎の傍らで喉を噛み切られた仲間の手首に触れるとまだ温かかったが。
「くそっ、ダメだ」
嘆きをあらわに項垂れる仲間をベルゲンは諦めるよう諭した。
捨て置き遺体を損壊されることに心が痛むも連れて行く術がない。別れの祈りを済ませると汗をぬぐった。すでに九人を失い、時間と人員をかけてもまだ来宮の金色は見えなかった。樹海に迷いこんだような錯覚を覚え、前後不覚に事を進める絶望が襲う。
「無理だ」
項垂れて焦りを吐露する者が出た。こうなればもう目にも止まらぬ速度で瓦解していく。
「諦めるな」
ベルゲンは座りこむ仲間に声をかけた。
「あんたの作戦だ。何人喰われたと思ってる」
泣きながら声をふり絞るさまに胸が張り裂けそうになった。嘆きが喉元にあふれてひりつく。それでも、いってはならぬ言葉は口にしない。
「オレたちがやらねば来宮はどうなる。街で待機している仲間たちは」
蒸す空気に呼気を荒くする。行かねばまた犠牲者が出る。それでも焦らず諭す。
「いいか。オレたちがやらないと来宮は変わらない。どうして夜明けの鷹に入った。求めたのはほんの少し藻がけば手に入るような幸せか」
金のネックレスを贈った日の記憶が蘇る。自身の力でリーダーになったのではない。してもらったのだ。ここまでこられたのは仲間たちのおかげだ。ベルゲンは作戦に臨んでみなに駒になれと望んだ。でも、捨ておく駒はない、何よりも大事な仲間だからだ。
「置いていってくれ」
「こんな所に一人置いていけぬ、分かっているだろう」
時間は刻々と過ぎていく。こうしている間にも敵は忍びよる。ベルゲンはしゃがみこむと彼の両肩に手を乗せて視線を合わせた。
「ここでオレたちが諦めれば世界は変わらない。人が人を虐げる歴史は延々と続く。どうしてこの世に喰う者と喰われる者がいる。みな平等にこの世に生れてきたはずなのになぜ。今が世界を変えるその時なんだ。ここで立ち上がらねば未来永劫恐怖の歴史は変わらない」
「怖いんだ」
ベルゲンは憚らず涙を流す戦士を静かに抱く。
「オレも怖い。だが、怒りが風化するのはもっと怖い。理不尽を当たり前として受け入れていく未来が怖い。こんな未来を大事な子たちに託せるか。幸せに生きろと渡せるか」
やがて言葉が尽きて黙り込む。泣き暮れる彼にかけるべき言葉はもうない。無骨な言葉でしか持ち合わせないことを悔やんだ。もう行かねばと心で呟きかけた時、彼が肩で小さく頷いた。心を安堵が満たす、絶望のなかの灯のような一拍だった。
ベルゲンは奥まった目で、彼の目を見すえ問いかける。
「やれるか」
「ああ、やれる…………大丈夫だ。時間を取らせてすまなかった、行こう」
胸の詰まるような声だった。こんなところに大切な仲間を一人残していけない。
「相手は虎だ、キメラではない」
腰を踏ん張って振動に耐えながら発砲した。また猛虎の悲鳴が暗闇に上がった。
「みんなが待っている」
大丈夫、まだ戦える。大切な仲間を失いながら、血路を開く覚悟を以って来宮の舞台を目指す。不条理な者たちが巣食う巣窟を吹き飛ばせ。
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