第7話 夜鷹の眼差し

 最後の会合が秋時雨の夜に開かれた。外では相変わらずの赤い稲光が轟いているのだろう、景色こそ拝めないが小さく揺れている。憲兵の姿が今日は一つもないのだから、悪天候でむしろ有難かった。ベルゲンがコンクリート部屋に入ってくるなり厳しい顔でいった。


「チームを二つに分ける」


 どよめきが起こった。三十八人いる組織をやはり二分するということか。


「十九と十九って少人数で、どうしようってんだ」


 ベルゲンは仲間の言葉にうむと頷いて自身で作成したパソコンのモニターを見せた。


「正確にいうと十五と二十三だ」


 モニターに映っていたのは、先日見たのとはまったく異なる作戦だった。短期によく作成したものだ。ベルゲンは無骨な見かけによらず工学畑で計略が十八番なのだそうだ。


「八彩の提案通り、北から陽動部隊が強襲して、敵が焙じたところをガラ空きの南から討つ」

「神域を進むか」


 仲間たちが嘆息した。


「南がガラ空きになる保証はないだろう。来宮のキメラの保持頭数、いくらだと思ってるんだ」

「二百は下らないだろうな」


 ベルゲンが仲間の問いかけに応えた。サクヤも息をのむ。正確な統計ではないだろうが、それでも謀りごとに長けた者のおよその見立て。その数は故郷の新宮の比ではなかった。


「北から強襲があれば近辺のキメラどもは鎮守の森に出払う。境内の警備は少なくとも軽減されるだろう」

「……北の二十三人は餌食ということか」

「そうだ」


 ベルゲンの言葉がとても重たい響きをもって落ちた。


「たった三十八人で二百のキメラを切り崩すことが可能だと、仲間が倍いても不足な位だ」


 八彩が左靴を腿に乗せたまま問いかけた。


「キメラ二百、といっても」


 そういってデータファイルをクリックすると、一体のキメラが映された。あまりの美しさに息をのむ。正面から捉えきれず、社殿で斜めから隠し撮りされたもの。これが。



——来宮の獅子、本尊『獅音』



 照葉がその隣に見切れていた。拍動が一気に高まる。


「本尊はセカンドキメラだが、雑兵はファースト。人間の役職に及んでは恐るるに足らん」

「よくいったな」


 八彩の嫌味は大方的外れでないだろう。列車でのすさまじい攻防を思い返した。単種合成のファーストキメラでさえあの脅威なのだ。本尊はそれを凌駕する複数種合成のセカンドキメラだ。来宮の獅子はその数四つと聞いている。


「相手に不足などない。やってやる」

「お前は南の本隊に加わり本尊を狩ってくれ。北の陽動部隊はオレが率いる」

「あんたに不足はないのか」


 ベルゲンは率直過ぎる八彩のものいいに苦り切った。


「オレの命を不足というか」


 命という言葉が何より重みをもって響いた。命をかける作戦、ベルゲンにとっても、みんなにとっても、サクヤ自身にとっても。


「勝つことはできなくても命を使ったはったりならどうだ。敵に北が死力と思わせてからの強襲だ」


 ベルゲンがそういってエンターキーを叩いた。赤い駒がざあっと北へと雪崩れていく。駒だからそう捉えているが、実際はキメラなのだ。想像するだけで恐ろしかった。


「作戦はきっと機能するだろう。そこにサクヤ、お前も混ざれ」


 明白に呼ばれてどきりとした。照葉は来宮の中枢にいる。意識しただけで武者震いした。


「いるのね照葉が、そこに」

「照葉は最上氏の職にある。作戦を統括するような身分だ。間違いなくそこにいる」

「そう」


 申し訳なさでいっぱいになった。戦力として期待出来ない自分を南の本隊に混ぜてもらえる。独りよがりの復讐を遂げさせてくれると彼はそういっているのだ。だが仲間が同調し切れず異論を唱えた。


「我々の目的は来宮だけの妥当でなかったろう。死力を尽くして来宮を狩っても翠宮にはダメージ一つ与えられないのではないか」


 もっともな意見だと思った。神社支配の世を変えたいからこそ立ちあがっているわけで、天に座する翠宮帝を討ち払わなければ彼らの本来の目的は遂げられないのだ。重たい沈黙が落ちる。命をかけても翠宮は遠いのだろう。仲間たちの言葉が、遥か東を思って尽きた。


「国を変えるのは我々ではない」


 霧散しかけた思考を束ねるような響きだった。ベルゲンが覚悟を込める。


「西の拠点を落とせば、少なくとも同志たちには我々の存在が知れ渡る。レジスタンス夜明けの鷹の活動が」

「同志……」


 仲間がはっとしたように手を打った。


「我々の活動に他のレジスタンスが同調するということか」

「そうだ」


 感情が打ち震える。これ以上ないといっていいほどの情動だった。


「我々の死力を以って来宮を駆逐する。駆逐すればこの国は来宮から変わる。確実に変わり始める。我々の命をかけた行動は決して無意味なことではない。獅子の喉元を喰い破り、来宮に先駆けが舞ったと示すこと。そのことにこそ大いなる意味がある」


 ああ、そうか。あの陸橋での予感が腑に落ちた気がした。朝焼けの鷹を思い出して目頭が熱くなる。仲間の顔を見ると、気概に満ちた表情でこれから大事をなさんとする決意に燃えている。自分もその一員なのだと思うと奮い立った。


「来宮の獅子を狩れば、連中は少なくとも抗う者の脅威を知る。牙をむき反意を向こうとする確かな存在を国中の人々が意識するのだ」

「世に革命が起こるのだな」

「そうだ」


 ベルゲンが深く頷く。その決意、彼らが変えたいのはきっとこの来宮の町だけではない。国そのものを、自由を希う人々の感情を揺り動かすこと、それが。


「血を流し、命を賭してこの国は変貌する。この来宮の地より確実に訪れる。国中の人々の心に神社支配には屈せず、その権威を打倒せんとする心根を植えつける」


 ベルゲンは拳を握り、腹から怒号を天へと突き上げた。


「望む世界、求めるはみな同じだ。人の手に世界を取り戻す」 


 仲間の顔が結束を促す力強い言葉にほころび、あふれんばかりの熱情が空間を満たしていく。叫びは大きなうねりとなり人々の心に一気に押しよせた。


「やろうぜ、ベルゲン」

「ああ、やってくれ。オレの命も使ってくれ」

「オレのもだ」


 自分の声が他人の声が、混然一体となって自由を求め力強く木霊し、互いの心を打ち鳴らす。サクヤは思いを抱きしめて胸元に手を当てた。温かい。こんなにも温かい。命の躍動とはこんなに心を打つものなのか。照葉を討つ、国を変える。みんなの悔恨を晴らす。


 ああ。心の奥で大きな羽ばたきが聞こえた。開いていくのは希望の羽だ。開いた一つ一つの羽は束となりやがて一つの大翼となる。自由の空を飛翔するのは強靭な志を持った美しき鷹だ。誰にも虐げられぬ希望の翼を広げ、心を加速していく。その思いが離陸しようとする瞬間に立ち会えて、サクヤは歓喜のなか泣き崩れた。


       

       ◇



 静夜を舞う鷹の目に漆黒の闇が広がる。唯一、黄金の来宮の境内だけが燃えるように美しく輝いていた。鷹は涼風を切りながら神域の森を越えて高木に身を休める。彼は遥か遠い町の方角を見つめていた。血筋のように空を這う稲光に空が赤く染まってまた闇に戻る。晩秋の訪れを告げる雨はまだ続いていた。


「天神様はまた怒ってらっしゃるの」


 幼子が不思議そうに窓の外の空を見つめた。


「みながいうことを聞かないからだよ」


 祖母は静かに子の頭をなでる。


「どうして? 毎日お祈りしているよ」


 幼子は神棚を見上げた。


「朝になれば止むよ。さあ、お祈りをもう一度して寝よう」


 祖母は神に祈れと諭しながらも本当は教えを疑っている。本当にこれでいいのだろうかと。でも、その禁忌を犯すことはしない。ひと度反意を口にすれば、無垢な子が必ず同じように疑問を抱く。そうした子は将来必ず今以上に不幸になる。だから大人たちは子の幸せを願い、自らの思いを押しこめる。それでもなお反意を剥こうとする者たちが現れる。そして、世はそんな人々を待ち望んでいる。世を変えるのは他人ではない、自分なのだ。どれほどの人がそれを今、理解しているだろう。


 飛び立つ鷹の優雅なること、真夜中の飛翔を誰も知らない。

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