第6話 ベルゲンの画策

——地域を支配するのは翠宮神社の第三十二分社、来宮神社だ。


 来宮は翠宮神社の治世が始まった百年前に西地方の統治をまかされた、国内では翠宮に次ぐ第二の経済規模を誇る地方都市である。絢爛な文化を育くんできた歴史があり、朱塗りの架橋、木組みの構造物、鎮守の森、そして黄金の社はその最たるものであった。


 かつては商業の中心地という闊達な都市であったが、豪放磊落な人物が多かったことから神社政治の最中においてレジスタンスの温床と化し、それを徹底的に駆逐しようと躍起になった神社側の煽りを受けて今はキメラによる恐怖政治の真っただ中にある。


 特に本尊、獅音は五年前に本尊に据えられたライオンを主格とするオスのキメラであるが、非常に獰猛な性格で知られ、これまでに千頭のキメラを狩ったと噂されていた。来宮はキメラによる恐怖政治を体現することにもっとも成功した地方都市であるといっていい。



       ◇



「問題は照葉ではないだろうな。そこにたどり着くまでの道筋。基本のようでそれが一番難解だ。シミュレーションで何度か策を練るがどうも上手くいかない」


 そういってアーミージャケットを着こんだ巨漢、ベルゲンは無骨な指でパソコンを叩いた。モニターのなかで青が赤の駒とせめぎ合うが、まもなく青がいっせいに消える。自軍の敗北を見つめて、ベルゲンは髭に触れながら唸った。


「正面からの一点突破では難しいだろうな、むしろ意表をつくことはできないのか」


 仲間の一人が境内を指して問いかけた。


「憲兵をいくらか町中に誘い出して、戦力を分散するという方法も考えたが無関係の人々に少なからず害を及ぼす。それでは新宮の二の舞いだ」


 サクヤは唇を噛んだ。そう、犠牲になってはいけない人々まで犠牲にしたのが新宮での反乱だった。


「戦うのは我々でなければならん」


 お手上げだと、仲間の一人がジェスチャーした。


「実際はあんたのいうように運ばないかもしれない」


 そういって漆黒の髪の少年、八彩は組んでいた脚のスニーカーを指先で叩いた。


「パソコンとやらの上をいくのが《人間》なんだろう」

には文明の利器なんか関係ないんだろうな」


 キメラ、実情を知ったサクヤには彼の皮肉が理解できた。シミュレーションはあくまでシミュレーションだ。八彩も本当はそういいたいのだろう。


「ねえ、ベルゲン」

「どうしたサクヤ」


 先日より仲間と合流して作戦会議に参加してからの三度目の発言だった。


「森を進むという手はないの」


 そういってモニターを指でなぞった。指が青塗りの土地を示す。


「神域か……」


 仲間の一人が首をひねった。来宮神社は正面を市街地方面に向ける一方で、残りの三方を厚い鎮守の森に囲まれている。神域と呼ばれるそこには敵をつく大きなチャンスが潜む一方で、気になることがあるようだった。


「魔物が住むという噂くらい聞いたことがあるだろう」


 さっきとは別の仲間が手を広げた。地元民でないサクヤには何のことか分からなかった。


「魔物って何」

「昔から噂があるんだ。神域には魔物が潜むって。攻めこまれないための布石だろう。神社側が意図的に流している可能性もあるが、はったりじゃないかもしれない。だから迂闊に踏みこめないんだ」


 だが意外にも、そうか森か、とベルゲンが親指をかんだ。


「森から攻めて、市街地からも攻めるというのはどうだ」


 八彩の提案に一瞬、空気が浮き立った。ありなのか、という論調である。それにはベルゲンが苦言を呈した。


「お前はどっちから行くつもりなんだ」

「どっちでもいい」


 ベルゲンもさすがに失笑した。サクヤはそれを最初分からないでいたが、よくよく思考するとこの組織は八彩の強さ頼みの組織であることを思い知らされる。組織は決して弱いわけではない。よく鍛錬されている、それでも人。キメラに相対するには貧弱すぎるのだ。


「お前が二人いればそうだろうな。じっくり考えておこう」


 ベルゲンがそういってパソコンを畳むと会合はお開きになった。




 隠れ家のある小料理屋の表へ出ると仲間は方々へ散っていく。憲兵なども行き交う商店街の一角だ。こんな場所に根城があるとはいい度胸のような気もするが、案外分からないものだなとサクヤは独りごちた。


 思えば兄の指揮した組織はお遊びだった。相手の細かな情報、その正確性、そしてキメラの伏兵。レジスタンス『夜明けの鷹』の練度は兄の組織とは比べ物にならなかった。決意が違ったのだろうな、人々の目の色を見ていれば改めてそのことを思い知らされる。


 チャンスはべらぼうにあるのだ。でも、どのチャンスが一筋の正解に繋がるか分からないから、ベルゲンは慎重に吟味しているのだ。兄の組織にはその熟慮が足りなかった。


「どうしてついてくるんだ」

「ごめん。土地勘がないから分からないの」


 眼鏡をかけた八彩ににらまれる。小料理屋のある場所から歩いて、仲間はすでに周辺にいない。土地勘のないところだ。サクヤは目の端に八彩を捉えてつい、なし崩し的についてきてしまったのだ。


「一緒にいれば怪しまれる。どっかへいけ」

「どっかって、そんな嫌忌しなくてもいいでしょう」

「列車で顔が割れてるかもしれないって思わないのか」


 あっと、呟いてサクヤは口ごもった。


「ごめんね」

「いい」


 じゃあなといって去ろうとするのでその服の裾を捕まえた。


「何なんだ」


 面倒そうにするので、ちょっとお茶しようと誘った。




「来宮って大きな都市ね」


 来宮には遠く離れてしまった故郷とは違う潤沢の景色があった。しかし、それも虚しい。眺望のなかに真の自由などない。来宮で年間処刑される人の数はどの都市よりも多く、それは人々がいまだ反目する意思を捨てないことが理由でもあった。


「あなたのような人でも怖いと思うことはあるんでしょう」

「そんな風に見えるか」


 馬鹿かお前、といわれた気がして自嘲した。細々と営業する露店で飲み物を購入して大きな公園の片隅にある東屋のベンチに座っている。目の前でハトに餌やりをしている老人がいた。恋人たちの姿も多いが幸い憲兵の姿は見えず、こうしていれば平時にも思えたが。


「あなたはキメラでしょう」

「事情があるって深慮しろ」


 八彩はそういって脚を組んだ。応えない、そういっているのだろう。


「みんな良い人たちね。わたしのいた組織もだけど、夜明けの鷹のみんな良い人たち、うん」


 そういって缶ジュースをにぎる手に力をこめた。


「ごめんね、正直にいうね。わたしあなたのこと怖かったの。電車で会ったときあの強さが」


 それには八彩はなにも答えなかった。


「あなたは漢字の名前を持っている。数字の八に彩り、それって少なくとも神社の者だったってことでしょう。選ばれた人にしか許されていない名前の」

「名など他人が勝手につけるものだ」

「サクヤはね、本当は咲いた夜って書くの。巫女だった母が考えてくれた名前。でも、わたしはそもそも神道でないから漢字で名乗ることを許されないの」


 来宮神社の釣鐘が三回打たれた。三時だ。八彩が立ちあがる。飲み干した缶を屑かごへと投げ入れた。


「憲兵の巡回の時間だ。去った方がいい」


 お前の話は聞かない、そう切り捨てたのだ。本当は翠宮神社での母の仕事のことだとか、どうして都落ちしたのかとか、板金工場の父と恋に落ちたこと。その他もろもろを聞いて欲しかったわけだが、その思考自体が煩わしいのだろう。戦っている理由は人それぞれ、その言葉に集約される気がした。甘えただなと自戒する。それ以上いうこともなく立ちあがりその場を後にする。身を置く場所などない、隠れ家に戻るのがいいだろう。


 隠れ家までの道のりを歩いているとふいに。ふっ、と見えた白色に胸を鷲づかみにされた。瞬時に思考が停止する。白袴だ。心拍が高鳴り、虹彩が広がって、映像がスローモーションのようにゆっくりとなり、人の流動も、雑踏音も、すべてが伸びてゆく。


 ああ、ダメだ。反射的にゆっくりと手を上げて、首を下げると黒い帽子のつばをくっと重力に逆らいながら下ろした。


「おい、お前!」


 思考が停止する。景色が戻った。ふり向くと憲兵がにらみを聞かせていた。


「帽子を取れ」


 いわれて返答できずにいると飄々とした調子で八彩がサクヤの帽子を取った。


「すみません。これ文字がいけないですね」


 そういってサクヤの帽子をたたんで隠す。気に留めなかった小さな漢字の字体だった。ここ来宮では常人が纏うなど無礼にあたると、そういうことだろう。


「面倒だから見逃すが、次から気をつけろ。しょっ引くぞ」

「すみませんでした」


 そういって背を抱かれるとカップルのように立ち去る。心音が止まない。殺される、殺される、殺されないですんだ。


「普通にしていろ」


 八彩が去り際に耳元で囁いた。

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