第5話 絢爛なる獅子

 境内には季節が巡り紅葉の天蓋がビロードのように広がっていた。歩くたびにこすれ合う紅葉の終生をながめて、照葉は得もいわれぬ気持ちになった。すべての命はこの紅葉のように使い捨て。神も、それ以上の者も、それ以外の者も。


 先般、新宮の火刑で七十坪ばかりの土地を失った。税の損失は大したことではなく、ほとんど見せしめの処刑だった。愚かな鼠どもを震わすには十分の処置であろう。すべてが虚無のなかに過ぎていくような風潮のなかで、己だけは地位に執着しここまで昇りつめてきたこと自体上出来のような気がしていた。


「照葉さま」


 呼びかけにふり向くと巫女が朱色の袴姿で頭を下げていた。


「神主さまが本殿にお越しになるように、と」

「分かった、すぐいこう」


 謁見。またキメラのご機嫌取りかと照葉は独りごちた。


 本殿への道すがら雀の鳴き声が聞こえた。数羽がリンドウの咲いた小川のはたで戯れている。青紫と薄茶のコントラストに愛でる気持ちが湧いた。己のなかに風雅なものの考え方が残っていたこと自体意外だった。


 金の宮という名は伊達でない。金箔を見事には巡らせた社殿もさることながら、よく手入れされた庭の優美さは類を見ない。あの翠宮でさえも。ひと度訪れた者ならばこう思うだろう。ここは桃源郷か。来宮神社は秋が一番美しいとは先々代の帝が褒めたたえた言葉だった。秋の来宮、春の翠宮。世ではそう敬称する。




 長い廊下におもむくと奥座敷で盆のなだれる音がした。


「ここには糞しかないのか」


 不快の声が絢爛な景色を裂く。相も変わらずか。呼吸をはいて気分を均すと障子の外で額づいた。気配を察したのだろう。神主の重苦しい声が聞こえる。


「誰だ」

「照葉にございます」


 照葉と唱え空気がにわかにゆるんだ気がした。


「入ってよいぞ」


 許可したのは神主ではなく本尊だった。キメラの高らかな声に招かれて敷居を超えると広がる光景に息をのんだ。獅子が神主の側頭を足蹴にしていた。踏み抜けば瓜のように割れる。いとも簡単にくしゃりと潰れてしまう。


(それでもよいが)


 照葉は本音を押しこめてキツネ目をつり上げると微笑んだ。


獅音シオンさま、昼餉ひるげはお気に召しませんでしたでしょうか」


 本心はおそらく昼餉のことではないだろう。キメラはその血気盛んな情動を持て余しているのだ。獅子は金の淡いたてがみを微かにゆらし、もう一度不快を口にした。


「ここには糞しかないのか」


 料理長が下座で面輪をさげたまま震えを押しこめて最良の言葉を選んだ。


「恐れながら遠くの海洋より取りよせた最上の切り身でございます」

「口答えするのか」


 怒号とともに蹴りあげた漆の盆が舞う。柱に当たり真っ二つに割れた。料理長は指先を震わせてものもいえず頭を木床にこすりつけた。


「いい加減になさりませ」


 照葉は猛るキメラに苦言を呈した。上司ですら持て余すキメラの情動をいさめること、それがこの頃の照葉の職務であった。容易いわけではないが、扱い方を知っていること。それは大きな強みだった。


 キメラは顔をつんと背けると、つまらなさそうに障子の外に視線を流して足裏を退けた。神主が胸をなでおろしている。助けてやらねばならんかと、つと考慮した。


「獅音さま、ご不満はもっともと存じております。ただ、これ以上の物をご用意できる場所など世界広うとも数えるほどしかございませんでしょう。我々も少しでも心穏やかに過ごしていただけますよう努めて参りますのでどうか少しの不便をご承知置きください」

「平穏は退屈である」

「ではキメラの憲兵を何人か相手に連れて参りましょう」

「相手にならない。早急にできる強い者を連れてこいと伝えたはずだが」

「翠宮の研究所の方も手を尽くしておりますが、あなたさまほどのキメラを造ることに苦心しておりまして。中々まともにお相手できるほどの者が育ちません」

「オレは命を天秤にかけるような殺しあいがしたいんだ」

「ご辛抱くださいませ」

「ちっ」


 獅音は不満をあらわに障子を蹴飛ばすと、木床に足音を響かせながら玉座を離れた。




「そなたのおかげで助かった。しかし、アレはここで飼うのはもう無理だ」


 宝物殿への道すがら、小さくこぼれる神主の嘆きを静かに受け止めた。本尊の扱いに長けた自身と違って神主は当惑している。何度命を危機にさらしたか分からない。そのたびに救ってきたが、その憂苦からでた本音だろう。


「翠宮に願いでて新たなるキメラを本尊にすえるというのはどうでしょう」


 すえかえること。前例が無いわけではなかったが問題はその豪気である。獅子の遺伝子は良くも悪くもプライドがあった。


「どうやって獅音アレを退かせるというのだ」


 手のつけられぬほどに恐ろしく成長したキメラを嘆く。残虐性は日毎増しているようだった。いったいキメラを何体奉げたことか。照葉はかねてから潜めていた案を献上した。


「一服盛るというのはどうでしょう。いくらキメラが強靭を誇ろうともさすがに毒にはかないますまい」


 神主がさっと血の気の引いたような顔をした。


「しっ、聞こえる」


 囁きを制止するや否や笑い声が建物の角から近づいてきた。二人の巫女は柔らかに頭をさげると過ぎていった。彼女らがいなくなると神主は扇で口元を覆いながら静かに微笑んだ、帝より賜った上等の白檀の扇だった。


「照葉よ。我は何も聞いておらん」

「…………?」


 照葉は意図をくみかねて、困惑した眼差しを向けた。


「良いか、先ほどの事は何も聞いておらぬのでな。そなたも計画を誰に相談することもなく判断したと、そのようにいたせ」


 照葉は含みをようやく理解し、にたりと得意の笑みを浮かべるとかしこまりましてございますと頭をさげた。秘め事のとり交わしを承諾するかようにはらりと紅葉が舞った。中秋だなと思い見上げる。


「時に照葉。そなた新宮で襲撃されたそうであるが」


 地方都市、新宮での自身の暗殺未遂の件はすでに来宮にも届いていた。たった一発の銃弾が外れたこと。ヤツらにとって千載一遇のチャンスだったろうなと蔑む。もう次はない。そのための戒めだった。


「十分に焼き払いました」


 大半を始末してあとは鼠が一匹潜むだけ。どこへ逃げたか知らぬが力を持たぬ者の抗いなどじきに駆逐される。神主はよい処断だとうなずいた。


「鼠は屋台骨をかじる。かじれば家屋が傾く。足元からの綻びを放置すればいずれ組織の瓦解へと繋がる」

「承知しております」

「来宮に鼠はこないであろうな」

「来宮は猫をたくさん飼っておりますゆえ」


 猫、神主はその言葉に失笑した。照葉もこれ以上ない気の利いた良い表現だとほくそ笑む。紅葉を越して遠く視線を伸ばした先には深緑の鎮守の森が見える。

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