第4話 荒野のバラストで
「オレたちで照葉を狩る」
兄が息せき切って蒸しこんだ工場に駆けこんできたのは盛夏のことだった。板金職人が作業の手を止めて見た。サクヤも
「照葉が新宮にくるんだ」
えっ、と唐突の報にみなが声をもらして注目した。新宮は来宮州の一地方都市で、最上氏のような身分ある者が訪れるなどめったにないことだった。兄は作業テーブルに散乱していた荷物を押し退けて意気揚々と資料を広げる。二ヶ月先に控える照葉の外遊日程がいくつもの紙に記されていた。地神として座する新宮神社の本尊を二時間かけて訪問する日程で、数時間の滞在を経て来宮へと帰宮する。レジスタンス活動の比較的盛んでない地域ということもあり警備は手薄いように思われた。
「こんなチャンスないだろう」
「ああ、そうだ」
またとない好機。表向きはまさに板金工場の、しかし裏ではレジスタンス希望の翼の活動を担う工場の一角が喜びに華やいだ瞬間だった。長年をかけて培ってきた組織の力がようやく実を結ぶ、誰もがその思いに息巻いていた。血脈を押し広げるかのような上気の輪は、十七歳の仕事を覚えたばかりの少女にまで広がった。
「兄さん、わたしも参加させて」
「サクヤ……」
「みんなでやるのよ、そう。みんなで」
「ああ、そうだ。よくいったサクヤ」
「みんなでやろう」
「この計画を成功させるんだ」
彼女の言葉にはいつでもみんなをムードメイクする力があった。彼女自身も言葉を重ねると気持ちが強くなった気がした。みんなならきっと叶う、叶うような気がした。
だが、二ヶ月後——
用意周到に構えた照葉の暗殺計画はキメラの介入によって、たった一発の銃弾発射という未遂に終わり、レジスタンス希望の翼は報復を受けた。工場一帯の焼き払いという下された処罰は厳格なものだった。後続を出さぬための見せしめの処刑である。
燃え盛る炎のなかで阿鼻叫喚を上げて仲間たちは逃げ惑った。
「一匹逃走した、あっちだ」
憲兵は逃走経路を囲いこむと大きく影を広げた。気配が呪いのように暗躍する。
「ぎゃあああああああ」
「助けてくれええええ」
「兄さん!」
悲愴な顔で叫ぶと手を引かれた。後ろ髪引かれる思いだった。
「サクヤくるんだ」
「でもみんなが」
「助からない、諦めろ」
「できない!」
「サクヤ!」
仲間が庇って血に巻かれる。兄妹同然に育った幼馴染だった。サクヤはショックの反動で尻もちをつく。キメラが両生類の艶やかな体で笑った。
「お前も狩ろう」
「ひっ」
サクヤは短銃を構えた。たしかに構えた。でも。
「どうして引かない?」
両生類のキメラがくつくつと笑っていた。
(どうして引けないの)
「逃げろ、サクヤ!」
遠くにいた仲間が引きつけてくれた。血がキメラの向こうで間欠泉のように吹き上がる。
サクヤはそのまま脱兎のように駆けだした。懸命に懸命に駆けてのどを塩辛さがせり上がり呼気が爆ぜる。後ろもふり向かずに路地裏を走り抜けて千切れそうになるほど脚をふり、ようやく喧騒が遠くなると涙した。膝に手をついて嗚咽が止まらない。悔しかった。死にたいほど悔しかった。わたしは抗えなかったのだ。
ふり返れば古びた工場一帯が金属の複合的な色を描いて燃え続けていた。父がふたりの兄妹のために、そして働くみんなを思って残してくれた板金工場だった。
◇
少年に抱えられてレールの脇のバラストに転がり体を乱打すると冷たい現実が押しよせた。三日続いた緊張の糸がようやく切れたのだろう。座りこめば涙が決壊したダムのように止まらない。仲間の消失はサクヤにとって荒野に取り残されたような寂しさだった。
「もういない。誰もいないのよ」
「ここから歩けば来宮へ着く。でも駅へはいかない方がいい。憲兵が監視しているはずだ」
「来宮にいっても照葉とはもう戦えない」
ついてでた弱音だった。少年の吐息が聞こえる。
「そうだな、諦めて静かに余生を送れ」
余生。どこまでも粗野な少年のものいいにかっとなる。
「出来るわけないでしょう、そういうの冷たすぎるって思わない」
「あんたは慰めて欲しくて戦ってたのか」
「違う!」
感情のままに叫んでいた。
「照葉を殺せなかったのが事実。報復を受けたのも事実。でも、みんな命をかけて国を変えようとしたのも事実なのよ」
「事実の羅列で国は変えられない」
サクヤは返す言葉もなくて唇をかんだ。
「こっちこそあんたたちの無用な計画で作戦が台無しになった。照葉を落とす千載一遇のチャンスだった」
えっ、とサクヤは声をもらした。そうか、彼のこの強さは。呼吸を均して問いかけた。
「レジスタンス……なのね。でもどうして。キメラがこちら(・・・)側(・)にいるって」
「それには答えない。あんたとは名前も教え合わないゆきずりの関係だ。親切に助けてやったことも忘れてくれていい、じゃあな」
皮肉を残して立ち去ろうとする背中へ縋りつく。
「待って、わたしも。わたしも戦いたい」
「戦えない者はオレたちの組織には要らない」
「覚悟はある」
「なかったろう」
少年は手をふり払った。憤懣やるかたなしという表情だった。
「あんたは恐怖でろくに銃も放てなかった。背中など預けられるはずがないだろう。そんなやつの助力は要らない」
少年が否定した。その目には忌避する感情が映っていた。
「わたしは照葉を殺したい」
嘘偽りのない真摯な気持ちだった。
「どうして照葉に執着する。あんたは国を変えたいのか、来宮を変えたいのか。そんなもの感情の力だけで変えられると思うな」
「わたしは」
覚悟をのむ。そう、わたしは。
「わたしはわたしを変えたい。泣くことしかできなかった哀れなわたしを」
涙ながらに叫んでいた。力なき者の抗いを、命をかけることでしか示せぬ決意を今示そう。少年が悲痛な思いを聞いて肩の力がふっと抜けたように押し黙った。呆れたのか、きっとそうだろう。ダメなんだ。次いであふれる涙をぬぐい、懸命に戦慄きを堪えた。
ここで泣くならやっぱり女だ、知らぬ何かが小馬鹿にしている気がした。
遠くの汽笛が空伝いに聞こえる。日焼けた枕木が微かに揺れていた、レールの振動を拾っているのだ。ここも間もなく去らねばならない。無情の時ばかりが過ぎてゆく。
ぐしぐしと目を擦っていると、少年が遠くの澄んだ山並みを見てようやく穏やかな言葉をはいた。
「もう泣くな」
「だって」
同情的な言葉でより添う赤い澄んだ瞳には空が写りこんでいた。数字では量れないような美しい横顔をしていた。なんと優美な眼差しだろう。少年は少し逡巡して諦めたように、でも強くいった。
「あんたの覚悟はリーダーが量る。泣かずに決意を示せ」
背をとんっ押されてようやく安堵が訪れた。ほっとして顔を覆う。ふいの優しさに呼吸が詰まりそうだった。ありがとう、という小さな感謝は少年に届かなかったようだ。
紅葉が一ひら枕木へ落ちて錦秋を告げた。向かいの山からだ。残酷にも美しい。少年が顔を上げろと高らかにいった。
「ここはあんたが殺したいと望んだ照葉のお膝元、来宮だ」
来宮神社の境内が遠くの山並みに輝いていた。
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