第2問目 困った……

「――大変なことになっちゃったね」

「うん……」

「ゴメンね、ほっちゃん。あたし、何にも出来なくて」

「気にしなくていいよ。それに、一瑚いちこはかばおうとしてくれたじゃん」


 私――我妻あがづま帆月ほづきは、いじわる三人組のつつみさんのムチャクチャな言いがかりのせいで、結局のところ心底しんそこバカバカしい勝負の場に引きずり出されてしまった。


「でもさ……小松こまつくんだってそんなに頭いい方じゃないけどさ、あんたよかは算数――数学は出来るよ?」

「うん、分かってる」


 そこからいつもの分かれ道まで、私たちは黙ったまま歩いた。


「――それじゃ、あたしに出来ることがあったら言ってよ?」

「うん、ありがと。じゃね」


 一瑚と別れたとたん、倍くらい重くなった気がする足を引きずるようにして、私は駅前の通りに出た。

 まだ夕方と言うにはちょっと早いけど、もうたくさんの人が行き来してる。

 私みたいな制服姿もちらほら。

 にっこにこ顔でおしゃべりしながら、私の横を通り過ぎていく。


(一週間後の朝の小テストで、負けた方が土下座、か……)


 ホント、アホくさい勝負を引き受けちゃったなあ。

 でも、お兄ちゃんをバカにされて、黙ってるわけにはいかなかった。

 別に小松なんてどーでもいいけど、こんなくだらないことに巻き込まれたのは気の毒だと思う。


 横断歩道を渡って、すぐにかどを曲がる。

 道の先、左の方に青地に白い文字の看板が見えてきた。

 ……多分、もうすぐ私が通うことになるだろう、大手の学習塾だ。


(今日の結果を見せたら、もう逃げられないだろうし……)


 ママが心配して言ってくれてるのは、分かってる。

 パパだって、今までずいぶん我慢してくれてたと思う。

 でもなあ……塾にかよったって、出来るようになるとは――ん?


「こんにちはー!」


 塾の入り口に立っていた人が、突然声をかけてきた。

 若い女の人……勧誘かんゆうとか?

 まったく、タイミングがいいのか悪いのか――


「あなた、い――えーと、我妻あがづま帆月ほづきさん……よね?」

「え……」


 誰?


「あ、ああ――別に怪しい者じゃないのよ?」


 怪しい。

 こんな人知らないし。

 てか、何で私の名前知ってんの?


「あなた、今……とっても困ってるんでしょ?」

「!」


 ヤバい。

 何か分かんないけどこの人ヤバい!

 絶対逃げた方がいい!


「お姉さんがとっておきのこと、教えてあげ――」

「失礼します」

「あ、待って」


 女の人が走り出そうとした私の左手をつかんだ!

 とっさに大声を出そうとする私のくちびるを、人差し指一本でふさぐ。


「あのね、誘拐ゆうかいとかそんなんじゃないから、三十秒! 三十秒だけお姉さんの話を聞いてほしいの」

「……ホントにそれだけ、ですか?」

「もちろんよ!」

「じゃあ、いーち、にー――」

「まったく……まあでも仕方ないわね。いい? 今夜寝るときにね」

「……」


 私がジロリとにらむと、女の人は腰をかがめて私の耳に口を寄せた。


「一度だけ、声に出してこうとなえるの。『ガンバレンバレン・・・・・・・・』ってね」

「……はあ?」


 女の人は立ち上がった。


「いい? 必ずやるのよ?」


 そう言うと、その人はスタスタと駅の方へ向かって歩き去っていった。

 私はしばらく、ぼけーっと彼女の背中を見つめたまま、立ち尽くしていた。


    ◇


 そうして今、私は布団ふとんの中にいる。

 テストの点数のことは、どうにかごまかした。


 ――あれから、ずっと考えてる。


 あの女の人は一体誰なのか。

 何で私の名前を知ってたのか。

 どうして困ってるって分かったのか。

 それで――私に何をさせようとしてるのか。


 あの人の言う通りにしたところで、何が起きるとも思えないけど……試しにやってみるくらい、いいかな。

 えーっと確か――


「ガンバレンバレン」


 ――――――

 ――――

 ――


 ……何も起きない。


「アホくさ」


 私はそうつぶやくと、ごろりと左に寝返りを打った。

 別に期待なんかしてなかったけど……何か裏切られた気分。

 そうして、いつの間にか眠りについていた――





 ――目の前の柱に、セキセイインコが止まってる。

 そして、こっちを向いてしゃべった。


「算数ギルドへようこそ!」

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