ささやく栞

れむあないむ

ささやく栞

「チャンネル登録、よろしくね!」

 突然、郁が叫んだ。リニューアルしたばかりのユーチューブチャンネルの収録をしていたスタッフ全員が、一斉に郁をみる。収録が中断される。

「ど、どうしたんですか、渡邉さん。急に大声出して。なにか、ありましたか?」

 スタッフの一人が、おそるおそる尋ねると、郁は気まずさで赤面した。自分でも、わからなかった。突然、口から出てしまったのだ。戸惑い、不安げに四方を見やると、ブッコローと目が合う。だが、普段は毒舌なツッコミを入れてくるブッコローでさえ絶句している。

 ああ、なんという有様。背筋が凍る。まさか、こんなことが起こるなんて。信じられない。

 郁は、小さな契約者に耳元でささやかれただけだった。契約を結ぶ前に、ささやきの効果の確証が欲しかった。だから、頼んだのだ。

「なら、あなたで試してあげる」

 小さな契約者と結ぶ契約。つぶやきより、すごいとされる効果。全ては、(有隣堂しか知らない世界)のチャンネルを盛り上げるため。

 郁は、身をもって確かめた。自分の意思とは関係なく、ささやきの言うなりになって収録中に大声を出してしまった事実。

 そう。ささやきは、人の心を操れる!


 2021年の晩秋。ブッコローの見た目のように鮮やかな秋が色めく頃、大きな動きがあった。

「職業作家の1日ルーティン」の動画が配信されたあとから、動画再生数と登録者数が急に伸び始めたのだ。リニューアル後、数多くの動画を配信してきたが、じわじわと増えてはいたものの、ここまで伸びたタイミングはなかった。

 今までにも、反響があった動画はあった。たとえば、「ガラスペンの世界」はのちのちにまで影響を与える動画となっている。

 もちろん、「職業作家の1日ルーティン」の質は良い。その少し前には、チャンネルがメディアに取り上げられもした。だが、関係者の多くが、さらに別の要因もあるのではと考えていた。

 では、なぜ、そこまで登録者が増えたのか。再生数が増えてきたのか?

 ブッコローだったら、躊躇なく自分のおかげというだろう。確かに、ブッコローのトークテクニックはすばらしいし、出演者の魅力を存分に引き出してくれる。

 ただ、それだけではないのだ。

 郁だけは知っていた。

『みんな、ささやかれたのだ』

 登録者の多くは、ささやきに従って無意識のままチャンネルを訪れてくれた人たちなのだろう。

 動画を見て、気に入ってくれて、登録してくれた人たち。

 これは、真実。 

 ささやきで、チャンネル登録までしてもらっては意味がない。それが、郁のポリシー。


 小さな契約者が、ブッコローの前で祈りを捧げている。動画で使われている本体ではなく、販売されている中サイズのブッコローぬいぐるみだ。デスクの上に鎮座するぬいぐるみとそれよりも小さい少女のやりとりを、郁は傍観していた。

「仏語呂さま。私が行った仕事が、成果を見せ始めました。ああ、ほめてください~。ああ、私への報酬はないのでしょうか~。仏語呂様には大福が贈られるのに、私には何もない~」

 小さな契約者が、ちらりと郁を見る。はいはいとばかりに、郁がグミをあげる。

「ほんとに、チャンネル登録までさせなくて良かったの?」

「わたしは、ブッコローを信じるわ」

「そっ。じゃあね」

 もらうものだけもらうと、小人は消えた。そこには、一枚の栞だけが残っていた。


 遡ること2019年12月。まだ、チャンネルのリニューアルがされていない頃。

郁の手には、有隣堂広報必携があった。社長から渡されたいわゆるマニュアル本だ。

「うちの会社も明治時代からあるもんで、いろいろと歴史があるわけよ。そんな広報のノウハウがその本には記されてるから、ぜひ読んでみてよ。ユーチューブ、楽しみにしてるよ」

 社長の期待は重く、本も大きく重かった。

 事務室に戻った郁がまず思ったのは、現在のように広告媒体やSNSが発達した世の中で、古めかしい時代の手法が役に立つのかどうかだった。

 デスクの椅子に座りながら本をめくっていくと、案の定、内容は古めかしく現在にはそぐわない。だが、あるページで郁の手が止まった。そこには、「ささやきによる宣伝の方法」と書いてあった。

 郁はさらに読み進めた。どうやら、某有名会社のつぶやきのように、不特定多数の人々に情報を発信する手法のようだ。だが、その仕組みが何やら怪しい。

 

◇まず、呪文により、小さき友を呼び出すこと。そして、宣伝したい内容を伝えること。報酬は相手が要求するものを与えるべし。呪文は「あんこトントンティー」である。◇


 ここで、ページが切り替わる。

 郁は、「あんこトントンティー? 何よこれ。わけがわからないわ」と言いながらページをめくった。

 そして、大きなため息をついた。

 そこには、◇(注)呪文は安易に読み上げないこと◇と書いてあった。「遅いわよ」と突っ込みを入れると当時に、郁は右肩に重みを感じた。

 とっさに手で払おうとすると、声が聞こえた。

「手で払うなんて、野蛮なことはやめてちょうだい。動かないで、私の話を聞きなさい」

「あっ、あっ」

 声が出ない。体も動かない。郁は、椅子に座ったまま、視界の端に映る小さな何かの存在に恐怖した。

「あなたは、私を呼び出した。さあ、契約内容を言いなさい」

 ふいに、肩が軽くなる。郁は、息づかいを荒くしながら、肩を見るが何もいない。そっと肩に手を伸ばそうとすると声がした。耳元ではない。少し離れた場所から聞こえる。

「ここよ。驚かずに、静かに私を見なさい。これは、ビジネスよ」

 郁の目の前。机の上に15センチほどの小さな少女がいる。白いシャツに黄色いスカート。そして、オレンジ色の髪。背中に何か薄べったい紙のようなものをくっつけて、腰紐で押さえている。

「私はアンティ。ささやく力で、宣伝効果を生み出すことができるわ」

「私は、渡邉郁、です」

 とぎれとぎれに挨拶を返す。

 不思議なことだが、なぜだか、郁は次第に落ち着いてきていた。なんだか、アンティと名乗る小人と話していると、彼女の言う通りにしたくなるのだ。小人の存在も、自然と受け入れている自分に驚く。

 ただ、取引先との会議のときのような緊張感だけはあった。そう、アンティは契約の話をしているのだ。これは、ビジネスだ。郁は身を正した。

「改めまして、わたくしは、有隣堂の広報部の渡邉と申します」

「それで、私への依頼内容は?」

「はい。有隣堂では、ユーチューブのチャンネルを通しての広報活動を考えています。ただ、チャンネル登録者数と動画再生数が伸びずに悩んでいます」

「なるほどね。つまり、たくさんの人が有隣堂の動画を見るようにささやけばいいのね?」

「はい、そうです。お願いできますか?」

「わかったわ。報酬は大福を用意してください。仏語呂さまが、とても喜ばれます」

「大福、ですか?」

 戸惑いながら、郁はたずねた。小人たちの世界では、大福の価値が高いのか。はたまた、膨大な量の大福を要求されるのか……。

「わかりました。大福を用意します。いくつ用意したらよいでしょうか?」

「そうですね……。では、登録者数をもとに考えるというのでは、どうでしょうか?」

「えっ」

 郁は固唾を飲んだ。今はまだわずかな登録者数でも、将来的に有名チャンネルになれば、万単位となるだろう。

 その数字をもとにするということは、万単位の個数を要求してくるというのか!

単価の安い大福でさえ相当な金額になる。

「郁さん。案ずることはありません。仏語呂さまは、とても寛大なお方」

 小人は、少しの間、腕組みをしながら思案すると、神妙な面持ちで郁に告げた。

「一万で一個ではどうでしょうか?」

「一万個ですか!」

 郁は思わず声を上げた。だが、咄嗟に顔を赤らめる。個数には驚いたが、金額にしてみれば広報に係る費用としては相応なものかもしれない。いや、むしろ安い方だ。一個百円程度の大福が一万個であれば、百万円か。

 ただ、そこまでの費用対効果が見込まれるのだろうか……。

「郁さん、郁さん」

 小人が笑っている。

「違います。甘いもの好きの仏語呂さまでも、さすがに一万個も食べれません。私からの提案は、登録者一万人ごとに一個の大福を、毎月、仏語呂さまにお渡しいただきたいということです」

「あぁ、そうでしたか。驚きました」

 郁は苦笑いをしながら目算した。まだまだ夢のような話だが、例えば登録者数50万人になったとしたら、毎月50個の大福を用意すれば良いわけだ。

「ただし、条件があります」

 突然、小人が切り出した。

「な、なんでしょう?」

「大福は、松島堂の大福にしてください」

 どうやら、仏語呂さまとやらは、グルメらしい。

「それじゃ、また」

 小人の姿が、ふっと消えた。腰紐で背中に挟んでいた紙だけが残った。それは、栞だった。 


 2023年1月。

 登録者数は20万人を超えた。1万人ごとに大福一個なので、毎月大福を20個、仏語呂に送っている。送り先は、アンティが指定した東京の某住所だが、郁は、そこについては詮索しないことにした。

 郁の手元には、アンティからの報告書があった。郁のデスクにあった正方形の付箋に書かれている。

 

 プロデューサーへのささやき 完了

 ブッコローデザインへのささやき 完了

 栞へのささやき(有隣堂分) 完了

 栞へのささやき(他店分)  完了


「ねえ、アンティ」

 アンティと郁の仲も、今ではだいぶ親しくなっていた。アンティは、有隣堂のチャンネルに動画がアップされるたびに現れたが、もともと気さくな郁は、アンティの可愛らしさも相まって、いつもいろいろと話しかけていた。アンティも、見た目は少女のわりに郁よりも年上風な態度をとるものの、郁との話は楽しいらしかった。

「この、プロデューサーへのささやきというのは?」

「これは、キャラクターとの対話形式での動画にしたらとささやいたのよ」

「……本当は、あなたのアイデアだったってこと?」

「いいえ。仏語呂様よ」

 アンティの話の中によくでてくる仏語呂様だが、郁はその正体がよくわからなかった。幾度となくアンティにも聞いたが、秘密とのことだった。ただ、仏語呂様は、普通のサイズの大福を食べるようなので、小人ではないようだった。

「ブッコローデザインへのささやきは? ブッコローは、有隣堂の社員の娘さんが考えてくれたのよ」

「ええ。私がその娘にささやいたのよ。単に有隣堂の社員が考えましたよりは、話題性があるということでね」

「それも、仏語呂様のアイデア?」

「もちろんよ。ちなみに、ブッコローは、仏語呂様のお姿を模したものよ」

「えっ、だってブッコローは鳥よ。ふくろうなのよ」

「そうね。正しくは、仏語呂様を鳥風にしたってことかもね。ブッコローという命名も同じよ。仏語呂様をイメージしてるわ」

「えっ、だって名前は私たちで……」

 郁は途中で言うのをやめた。そうか、そこもささやかれてたわけか。

 それにしても、仏語呂とは何者か? アンティは、いつも仏語呂に関することはぼやかしてくる。ただ、まっとうな生き物ではないことはわかる。郁は、妖怪の類かもと思った。大福好きな妖怪……。

「栞へのささやきというのは?」

「これは、企業秘密なんだけど、郁にはこっそり教えてあげる。いつも、グミもらってるからね」

 以前、郁が机の引き出しに忍ばせていたグミをたまたまあげたところ、アンティはとても気に入って、それ以来、郁はアンティ用にグミを常備している。なお、アンティは、人目を忍び、郁の前にしか現れない。

「わたしはささやく力を、栞に与えることができるの。つまり、本を買った人が、本屋で渡された栞を読みかけのページに挟むと、栞が本の中から活字情報を吸い出し、伝えたい内容を、ささやきのようにその人の耳元に届けるわけ」

「どんな言葉を?」

「もちろん、有隣堂のユーチューブチャンネルを見てね、よ」

「あ、ありがとう。いわゆる、つぶやいてくれたのね。SNSみたい」

「もう、やめてよね。つぶやきより、ささやきの方がすごいんだから」

 アンティのかわいい怒りっぷりに、郁が笑いながら謝罪する。

「栞のことはわかったわ。ところで、この(他社分)というのは……」郁は、言いかけて気付いた。「もしかして、他の書店さん?」

「そうよ、当たり前でしょ。有隣堂のお客さんだけに栞を渡しても、数が知れてるじゃない。だから、大手の書店に置いてある栞にもささやきの力を与えておいたわ。ほら、何だっけ、植物みたいな名前の大手の書店とかあるじゃない」

 あまりにはっきりと言われたので、郁は苦笑いをした。この毒舌ぶりはブッコローに負けていない。

「でも、書店は全国にたくさんあるのよ。まさか、あなたが一人でやったとは言わないわよね」

「まあ、そこは秘密なんだけど。でも、私は、活字があるところだったらどこへでも移動できるのよ。書店はまさに活字の泉。まっ、そこが、アナログって言えばアナログよね」

「スマホやパソコンの画面に表示されるような、デジタルの文字ではだめなの?」

「あれは、活字とは言えないわ。だから、だめ」

「そっか、今は、みんなデジタルよね……」

 郁は何気に行っただけだったが、アンティの表情が急に真面目になった。

「そうよ、郁。このことは、とても大事なことなの。私は、活字の妖精。だから、もしも、この世界から活字が消えたら、私たちも存在できなくなる。仏語呂様もそのことを憂いていらっしゃるの。だから、有隣堂にお力を貸されるのよ」

 アンティは、小さな小さな両手を郁の手に添えた。

「郁、ユーチューブ頑張ってね……」

 突然の告白に、郁は言葉を失った。デジタル社会の弊害として、失われるものがこんなところにもあったのだ。書店の存続は必至だ。


「有隣堂しか知らないせかーい!」

 今日も、ブッコローの軽快な声が響く。ユーチューブの登録者が増えることを願う。世の中の活字離れに憂う。全国の書店の存続を願う。

 収録を見つめながら、郁はそっと祈った。

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ささやく栞 れむあないむ @pomeranoir

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