第5話 羽幌乙姫が知らなくていいこと

目を開けると、俺は乙姫おとひめくんに抱き着かれた状態で、

子ども用のベッドに横になっていた。


「せめて1時間くらいは持ってほしかったわ」

「洗脳をかけるのも、セッティングするのも、楽じゃないのよ」


ふと疑問が生まれた。

俺たちは羽幌はぼろマコトの過去へ行ったはず。

であれば、その空間にいたであろう乙姫君はどうなってしまったのだろう。

そもそもこの試験ってどういう仕組みなんだ?


「あら、簡単なことよ」


「まず、アナタたちを過去に送る前にアタシが羽幌マコトが住んでいる土地へ行く」

「そこで20代独身の羽幌マコトに洗脳をかけて、姿も変えるの」


「アナタは現在32歳、シングルマザー。もんと乙姫の母だってね」


「あとは適当に人型の式神を出して、乙姫君が暮らしていた頃の室内を再現させれば準備は完了よ」

「もう部屋は元に戻っているし、羽幌マコトが実の子を殺した記憶も消しているわ」


「めちゃくちゃですね」

「幻術を見せることもできるけれど、それだとアタシの主観が入るからって禁止されてるのよ」


「だからって、人の住んでいる土地や精神もいじって試験させるってことになったみたいよ」

「まぁ、試験先に選ばれるのは将来罪人になる確率が高い人たちだけだから、多少コキ使っても問題はないんじゃないかしら」

「どんな極悪人でも洗脳して姿を変えれば、仏にもできるしね」


はじめて、試験官という名の見守り役を経験して俺は殺された。

しかし、そういうものなのか、とどこか他人ごとだった。


「他人……ね」

いつまで、この人は俺の心を読み続けるのだろう。

じっと睨むと主任は、しぶしぶ瞳を布で覆った。


「アナタにとっては他人事でも、乙姫君にとってはどうなのかしらね」

そう言って主任は乙姫君を見た。

乙姫くんの目には涙が浮かんでいる。


「……乙姫くんは、今の出来事を覚えているんですか?」

「えぇ」

今ここにいる乙姫くんは、栄養失調で亡くなった。

母親である羽幌マコトに直接手を下されたわけじゃない。

けれど試験とはいえ、乙姫くんは、実の母親に撲殺されてしまった。


「俺のせい、ですか?」

「俺が余計なことをしたから、乙姫君は殺されたんですか?」

試験官として俺は、間違った振る舞いをしたのだろうか。

しかし主任はきっぱり

「それは違うわ」

と、断言した。


「試験では常に最悪の状況を考えなければならないわ」

「最悪を乗り越えなければ、せっかく転生してもまたココへ戻ってくることになる」

「転生を繰り返したところで、幸せになんてなれないわ」


「アナタが試験官であっても、そうでなくても、結果は同じだったのよ」

すべてを見通す目を覆っていても、主任にはすべてお見通しのようだ。


「乙姫くんが何事もなく、現世で24時間を平和に過ごすことが、試験クリアの条件だったわよね?」

「はい。でもそれって、可能だったんですか?」

あの母親の元で、まともな暮らしができるとは思えない。

「不可能ね」

「え、じゃあ、主任ははじめから乙姫くんが試験に落ちることを知っていたんですか?」

「嫌なこと聞くのね。まぁ、否定はしないわ」

「じゃあ、なんでこんな……」

言葉に詰まってしまった。

俺は試験官だ。同行した先で、他人に殺されただけ。

でもあの母親がどれだけクズでも、乙姫くんにとっては大好きなお母さんだ。

そのお母さんに殺されて、平気なわけがない。

実際、今俺に抱き着いて眠っている乙姫君には、涙の痕がある。


「試練は平等に。それがココの掟なのよ」


「幼いからって最悪の事態を想定としていない、安易な試練を与えるわけにはいかないの」

主任は少し感情的になっていた。

「もしそれで転生できたとしても、自分で乗り越える力を持っていなければ、すぐに死んでしまうわ」

「ひどい目にあったのならば、違う人間に生まれ変わればいいのに、どうして人は同じ人間になりたいと願うのかしらね」

「今度はうまくやれるとでも思っているのかしら。環境なんて、自分ひとりじゃ変えられないのに」

虐待された子どもが、また母親の元へ転生したいと願うのは珍しいことではないのかもしれない。


「もし、乙姫君が違う転生先を希望していたら、その通りに転生できたんですか? 」

もしも、なんてもう遅いけれど、俺は疑問に思ったことを主任に聞いた。

「たとえば、自分を愛してくれる人の元に生まれたいって希望していたら、どうなっていましたか?」


主任はため息をついて言った。

「仮に乙姫君が、自分を愛してくれる両親の元に生まれたいと願っても結果は同じだったと思うわ」

「どういうことですか?」

「乙姫君は、あの母親の異常な行動を、愛情表現だと思っていたの」


乙姫君には、羽幌マコトしかいなかった。

羽幌マコトが自分に食べ物を与えないのは、自分の体を心配しているから。

羽幌マコトが自分をお姫様にしたがるのは、自分に夢を託しているから。

乙姫君は、羽幌マコトの行動すべてを愛情表現だと感じていたらしい。


「だから乙姫君主観の愛ある家庭を転生先に希望していたら、アタシはあのコが思い描く愛のある家庭へ、あのコを送らなければならない」

今回は『おかあさんがいるところ』という指定があった。

ざっくりとした指定ではあるが、文字には乙姫君のお母さん、羽幌マコトの子になりたいという意志が詰まっていたらしい。

だから主任は、もう一度乙姫くんが羽幌マコトの子になったら。

長男ではなく、長女として生まれたら……という想定で試験を組んだ。


「自分を愛してくれる人の子どもになりたい、なんて書かれたら、私は歪んだ愛情表現で子どもに接する家族の元へあのコを送らなければならない」

「だから試験結果は、変わらないと思うわ」

「正しい愛なんて言う気はないけれど、乙姫君は大多数の人が想像するような愛を知らないで亡くなった」

「そんな子が、明るい未来が待っている転生先を選べると思う?」

俺は答えられなかった。


乙姫君は辛そうに眠っている。


主任は、乙姫君が眠るベッドの周りに飾られた食虫植物に気を込める。

すると食虫植物は、なにもない空間を食べだした。

少しずつ乙姫君の表情が和らいでいく。


「忘れた方が幸せなこともあるわ」

乙姫君の記憶を、食虫植物が食べているらしい。


「すみません。俺、役に立てなくて」

今のところ俺は、何もできていない。

乙姫君のケアも、サポートも、主任の補佐も何もできていない。


「あら、拗ねてるの?」

「拗ねてません」

あらあら、と主任は笑いながら言った。

そんなことないわよ、と言いながら主任は俺を子ども扱いした。


後日、眠ったままの乙姫君を成仏させた。

転生先試験に落ちたものは、皆、強制成仏させられるらしい。

希望先へ転生して苦痛を味わうくらいなら、いっそ成仏して生を終わらせてしまった方が、幸せなのかもしれない。


乙姫君の魂を見届けてから、主任は言った。

「アタシの占いだと、羽幌マコトの元に生まれた子どもは99%死ぬわ」

「彼女の異常性のせいでね」

「けれど、どういうわけか、羽幌マコトという異常者の元には優しい子どもが生まれてしまうみたいなのよ」


「皮肉なものよね」


最終試験へ進めるのは、清らかな心の持ち主。

必然的に社会の闇に染まる前の子どもが多くなってしまうらしい。

俺はまた、乙姫君のような子どもを見守らなければならないのだろうか。

そう思うと、少し苦しかった。

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転生先試験会場の日常 椨莱 麻 @taburaiasa

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