第4話 無市文と羽幌乙姫の実習試験

絶叫マシンに乗ったときのような酔いを感じた。

歪む空間の中で、天探女あまのさぐめ主任の声が響く。

「今からアナタと羽幌はぼろ乙姫おとひめくんを現世へ連れて行くわ」

「試験会場となる場所の人間には、あらかじめ呪術をかけた」

「彼女はアナタと乙姫くんを本当の子どもだと思い込んでいるわ」


「あ、それと」


「アナタは試験官だから記憶を失わないけれど、

乙姫くんは試験中、ココでの記憶や前世での出来事をすべて忘れているわ」

「ど、どうしてですか?」

酔って気持ち悪いのを何とか堪えて、俺は主任に尋ねた。

「転生したら、ココでの出来事も前世の記憶もすべて失うのよ」

「同じ条件で審査しないと、試験の意味がないじゃない」


「実習先で乙姫くんが何事もなく、現世での24時間を平和に過ごすことができれば、試験はクリアよ」

「そうなれば、乙姫くんが希望した転生先に乙姫くんが希望した転生者として、彼を転生させるわ」


「アタシはコレで、ちゃ~んとアナタたちを監視しているからね」

ふっと、俺の意識が途絶えた。


目を覚ますと、俺はアパートの1室に飛ばされていた。

ソファでは乙姫くんらしき子どもが寝息を立てている。

どういう家庭なのか把握しようと、俺は部屋の中を歩く。


リビングに散乱した女性物の服と、洗濯機置き場に積まれた服。

おそらく洗濯置き場で放置されているのは、俺が着ていたとされる衣服だろう。

試しに体に合わせてみると、サイズがぴったりなのだ。

なんとなく放っておけなかった俺は、リビングに散乱していた女性物の服と、洗濯置き場に積まれていた俺の服をまとめて洗濯機に入れた。


俺はここの家の表札を確認しようと玄関へ向かった。

靴を取ろうと、シューズクロークを開けると女性物の靴がびっしりと並んだ隅に、

俺のものと思われる靴が1足置いてある。

靴だけではない、俺のものであろう男物のリュックサックや、最低限の衣服もぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだ。

ずっと嫌な予感はしていた。


主任には俺らがいる空間が見えているし、こちらの音も聞こえているはず。

俺は誰もいない場所に向かって、そう尋ねる。

「これはどういうことですか?」


「どういうことと言われても、乙姫くんが転生を希望した場所よ」

主任の声は、俺の頭の中に聞こえてきた。


急いで表札を確認すると、そこには

羽幌はぼろマコト もん 乙姫」と書かれている。




「……乙姫くんのお母さんは死んだはずじゃ?」

「えぇ、そうよ」


「だけど乙姫くんの転生希望先は『おかあさんがいるところ』」

「だったら過去へ行かせるしかないじゃない」

「乙姫くんだって、彼が希望した『お姫さまみたいでかわいい女の子』の姿にもなっているでしょう?」


主任に言われ、ソファで寝ている乙姫くんを見る。

童話の主人公が来ていそうなエプロンドレスを着た乙姫くんが、

すやすやと眠っていた。


「乙姫くんが女の子になっている理由はわかりました」

「けど、俺の格好はどういうことですか?」

俺は骨が浮き出るほどやせ細り、染みだらけの服を着ている。

先ほど洗濯機置き場で見たが、とても生きている人間には見えない。


さらに部屋を徘徊したときに、乙姫くんの部屋らしき子ども部屋は見つけたが、

俺の部屋らしき部屋はなかった。


「どうと言われても、そうね……乙姫くんが女の子として生まれた場合に

いるであろう人間になっているとしか言えないわね」

「もっとも、アナタはコチラ側の住人だからその状態で動けているだけで、

普通の人間だったらとっくに死んでいるけどね」


つまり、俺は乙姫くんが女の子として生まれた世界線で、

本来死んでいるであろう乙姫くんの兄の代役をさせられているということか。


「兄なんて役を無理に作らなくても、普通に俺を隣人にすればよかったのでは?」

「そうもいかないのよ」


「女という性に固執した羽幌マコトは己のために、他を犠牲にした」

「生涯で不徳を積みすぎたのよ」

「陰陽のバランスを取るために、羽幌マコトの第一子は男と決まっているわ」

「仮に乙姫くんがもう一度、羽幌マコトの子どもになったとしても、

乙姫くんは本来自分が受けていたであろう仕打ちを受けている兄の光景を日常的に見ることになるわ」


「どっかの神が与えた罰なんだろうけれど」


「その神は、羽幌マコトへの罰が子の乙姫くんにも影響するって、知っていてやっているのかしら……」

「だとしたら迷惑よ」


後半の愚痴はまだ俺にはよくわからないが、

俺は乙姫くんの兄としてこの場にいるしかなさそうだ。




主任との会話に気を取られ、俺は階段を登ってくる足音に気が付かなかった。


ガチャガチャと鍵が開けられ、玄関が開く。

写真で見た姿と同じ、羽幌マコトがそこにいた。



羽幌マコトは俺になど目もくれず、すぐに乙姫くんの元へ走る。

「ただいまぁ~乙姫、いい子にしてたぁ~?」

頭を撫でられ、頬にキスをされた乙姫くんが目を覚ます。

「……おかあさん? おかえりなさい」

乙姫くんは笑顔で、羽幌マコトに抱き着いた。


羽幌マコトは穏やかな笑みを浮かべていたが、

突然表情が曇り始める。


「なに、この音」

バタバタと洗濯機置き場に向かう、羽幌マコト。

「あー、もう。何度も言わせないで!」

羽幌マコトは洗濯機を止め、洗剤が付いたままの衣服を分別する。

「もうこの服、着れないじゃない!」

「私と乙姫の服は、あんたの服と一緒に洗うなって、いつも言ってるでしょ!!」

「また買い替えないといけないじゃない!!!」

羽幌マコトは自分と乙姫くんの衣服とゴミ袋に入れ、俺の衣服をボロボロのバケツに入れる。

このボロボロのバケツで服を洗えということだろうか。


「なんであんたは生きてるのよ! どうして死なないのよ」

まぁ本来は死んでいるはずだからな、俺は思った。

怒鳴られようが、殴られようが、どこか他人ごとだった。

これは試験で、俺はこの場に転生するわけではないからだ。


「何度言ったらわかるの! 私は男と暮らしたくなんて、ないのよ!」

「それなのに、あの男が逃げたからあんたを引き取る羽目になったんじゃない」

「思い出しただけで腹が立つ、早く死になさいよ!」


俺が浴びる罵倒や掃除機で殴られる鈍い痛みは、24時間で終わる。

俺が羽幌マコトの息子でいるのは、24時間だけだ。

しかもこれは過去で、羽幌マコトはすでに故人。

現在地獄で罰を受けているクソみたいな人間の最期を見ているのだと思えば、笑みまで込み上げてあげてきた。


「何、笑ってんのよ!! ほんっと気持ち悪いわね」


羽幌マコトは、俺を殴る手を止める。

「お、おにい、ちゃん」

泣きながら乙姫くんが俺に抱き着いてきた。

「こら、乙姫。汚いものに触るなって言ってるでしょ!」

「おにいちゃんは、きたなくないもん」

「私が汚いって言うんだから、汚いの。言うこと聞きなさい」

「いやぁ」

乙姫くんは、俺に抱き着いたまま離れようとしない。


ゴン。


羽幌マコトは、掃除機で強く乙姫くんを殴った。

かなり大きい音だったと思う。


乙姫くんは大声で泣くわけでもなく、ただその場に倒れた。


「お、乙姫?」

「どうしたの? 返事をしなさい」


羽幌マコトが乙姫くんの体を揺するが、

抜け殻のように反応はない。


「あ、あぁ、あ……」

「あ、あんたのせいで……手元が狂ったじゃないのよ!!!」


羽幌マコトがキッチンで行き、包丁を持ち出す。

あぁ、殺されるんだ、と思った。

案の定、俺は羽幌マコトに刺され、意識を失った。

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