第3話 無市文と普通の子ども

乙姫おとひめくんと主任と俺の3人で、食堂に来た。

転生先試験会場の食堂の飯はうまい。

いつも昼時は人……死者や職員で溢れているが、今は昼前ということもあって、比較的すいている。


俺たちに水をもってきてくれたのは、この食堂を一人で切り盛りしている食場じきば穂都ほとさん。

今は巨大バルーンのように真ん丸と大きい姿だが、客が増えるにつれてしぼんでいく。

チャラ男の玖二きゅうじ先輩の話では、穂都ほとさんは疲労で体がしぼむらしく、

一度睡眠を取れば元の大きさに戻るらしい。


「あら、やだ。可愛い坊やね」

穂都さんは、乙姫くんの頭を撫でようと手をのばす。

しかし途中でその手をのばすことをやめた。

代わりに乙姫くんより低い位置で、手をひらひらと振った。


「こんにちは。元気かな?」

「まぁまぁだよ!」

乙姫くんの正直な答えに思わずクスっと笑ってしまった。


穂都さんは子ども用に作られたお子様セットのメニュー表と、俺たち用の表を持って来てくれる。

俺の隣に座っている乙姫くんのメニューをちらっと見ると、

乙姫くんはハンバーグランチかラーメンで迷っているようだ。

「ここではお腹を壊すこともないし、両方食べてもいいのよ」

主任の言う通り、この世界では腹は減らないし、腹を壊すこともない。

ただ娯楽として、食事をするのだ。

食わなくても死なない。もう死んでいるから。

「……ぜんぶはダメっていわれたからたべない」

「かろりーがたかくて、かわいくないものは、たべちゃダメなんだ」

そう言って、乙姫くんはデザートメニューのページを開く。

デザート=可愛いという基準は俺には理解できないが、

「ケーキも十分カロリーが高いと思うけど」

と、つい本音を口にしてしまった。


「えっ、そうなの!?」

乙姫くんは目を丸くして俺を見る。

「あ、あぁ」

「たしかハンバーグ定食と中華麺は100gあたり120~130キロカロリー」

「ショートケーキとかは100gあたり350キロカロリー前後だ」

知らなかった、乙姫くんは困った表情を浮かべる。

俺は子どもが苦手だ。

どう対応していいのかわからない。

「あー、好きなの食えばいいんじゃないのか?」

「おかあさんがダメっていう」

「ここに乙姫くんの母さんはいないぞ」


乙姫くんの母親が生きているのか死んでいるのか、俺は知らない。

けれど、乙姫くんに虐待していたのならその時点で地獄行き確定だ。

地獄で罰を受けるものは、数千年もの間、地獄に囚われる。

それに地獄の受刑者には基本、職員しか会うことを許されない。

転生しようとしている乙姫くんが、母親に会うことは二度とないだろう。

それでも乙姫くんにとっては母親がすべてなのか、

「おかあさんだったら、これをえらぶかな?」

「おかあさんは、ぼくがこれをたべたらよろこんでくれるかな?」

と、母基準で物事を考えた。


主任は何も言わない。

俺も何も言えなかった。


数十分後、乙姫くんは

「じゃあ、ショートケーキ……」

と、ショートケーキの写真を指差した。

「ハンバーグランチとラーメンが食べたいんじゃないのか?」

「たべたいっていうと、たたかれるから」

乙姫くんはこの場にいない母親の陰におびえていた。

「叩かれるのが怖いなら、鎧でも着て食べればいいのに」

ついボソッと言ってしまった俺の言葉を聞いて、主任は

「採用!」

と、言って、白紙の札に文字を書き、乙姫くんの額に貼った。

すると煙につつまれ、乙姫くんは5月人形のような甲冑を着せられていた。


「あらあら、まぁまぁ強そうだこと」

と言って俺たちの様子を窺っていた穂都さんは、店の奥から全身鏡を引っ張り出してきた。

乙姫くんは

「カッコいい! 強そう!」

などと言いながら、ぴょんぴょん跳ねている。

見た目だけの魔術で重みはないらしい。

西洋の甲冑ではなく、日本式の甲冑を着せるあたり主任の好みが反映されているようにも思える。

目や口など、防具がない部分を殴られたらどうするんだ、とは言えなかった。

ここに来て1番の笑顔を、乙姫くんが浮かべていたからだ。


「これでお母さんに殴られても平気よ」

「ありがとう!」

元気よくお礼を言った乙姫くんだったが、

「ぼくがつよくなると、おかあさんの手がいたくならない?」

と、母親の心配していた。

「大丈夫よ、お母さんはもうアナタを殴らない」

「ここに来て変わったのよ」

主任はそう言って、乙姫くんの手を握った。



後で主任から聞いた話では、乙姫くんが死んだ次の日。

母親は夜逃げに失敗して事故死していた。

乙姫くんの母親は、彼に十分な食事を与えず、彼の選択の自由を奪い続けた。

「女の子がほしかった」と無理やり女の子のような服を着せ、少しでも体が成長すると「大きくなる男の子はいらない」と食事を抜き、乙姫くんの身体を掃除機で殴った。

乙姫くんが「女の子に生まれなかった、ぼくがわるい」と思い込むまで、彼が悪いと言い続けた。

そんなクズな母親は、現在の地獄の審査基準の元、大叫喚地獄に落とされたらしい。



乙姫くんが甲冑姿で、ハンバーグランチとラーメンを食べた後、

乙姫くんは一時的に記紀さんと万葉さんに預けられた。


乙姫くんとの別れ際、主任は目隠しの布を外していた。


主任も気になったのだろうか。

それともこうなることを予測していたのだろうか。


飢餓で死んだ子どもは、自分の足で立てる状態ではない。

そのため、あの世に来た際に最低限2足歩行できるよう、閻魔大王に身体を太らせてもらうのだが……。

それでも先ほどまでは、現世で平均的な7歳児と比べると、乙姫くんは細かった。

しかし食堂で飯を食ってから、乙姫くんは標準体型より、やや細い程度の外見になっていた。

俺が食べてもなんともならないが、転生者を太らせる薬でも飯に入っていたのだろか。


「穂都さんが転生希望者に作るご飯には催眠効果が付与されているのよ」

「ココでのことを忘れる呪いだったり、食事は悪いことではないという呪いだったりね」


目隠しをしていない主任には、俺の考えが筒抜けだ。

「第三次試験の前に、乙姫くんを太らせる必要があったのよ」

「食べてくれて助かったわ」

と、主任は言った。


そして俺は事務室に戻り、乙姫くんの三次試験について主任と話した。


「三次試験だけど、乙姫くんには現世で24時間、生活してもらうわ」

「転生、させるんですか?」


「いいえ、転生ではなく試験よ」

「ほら、たしか現世では車の免許を取る前に、路上試験をするでしょう」

「それと同じよ」


と言っても、享年7の子ども1人で24時間過ごすなんてめちゃくちゃだ。


「そう、めちゃくちゃだから、アナタに付いて行ってもらうの」

「その前に主任、ひとついいですか?」

「どうぞ」

「俺の心の声と会話するのやめてくれませんか? 脳がバグります」

「だって、ずっと目隠しをしていることも、二度同じこと聞くことも両方辛いのよ」

「それはそうかもしれませんが……」

主任は唇を尖らせながら、目隠しをしてくれた。

主任には申し訳ないが、俺は他人に心を読まれるのは嫌なんだ。

すみません。


心の中で主任に聞こえぬ謝罪をしてから、俺は話題を戻した。

「現世に行く必要はあるんですか?」


「えぇ。転生したら、現世で過ごさなければいけないでしょう」

「生前の記憶もココでのことや現世での出来事を乙姫くんが忘れても、魂は覚えているものなの」

「乙姫くんの意志とは無関係に、魂は深く刻まれた負の記憶を引き寄せてしまう」

「だから乙姫くんがそれを乗り切れるのか、それに屈して同じ道を辿るのかテストをするのよ」

「同じ道を辿ってしまうのであれば、無理に転生せずに成仏した方が幸せなこともあるわ」

「それで、文くんは乙姫くんに付いて行ってくれるのかしら?」

俺は全力で首を振った。

「無理です。俺といない方がいい」

「あら、どうして? 職員なら、ちゃぁんと仕事しないとだめよ」

どうして、と言われても説明に困ってしまう。

けれど俺といるとろくなことにならないのは、確かである。


主任は不敵な笑みで、こう言った。

「本来、魂が引き寄せてしまう負の記憶を引き寄せられる人がいなかったのよ」

「これはアナタだから、お願いしているのよ」

「周りを不幸にするアナタだから、適任の仕事なのよ」

そう言い終わると主任は目隠しを取って、俺の目をじっと見た。


水晶のような目に俺の姿がはっきりと映っている。

そう感じた直後、俺の視界は歪んだ。

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