挿話 種明かし


 目の前でバタン、とドアが閉まる。

 再会の約束を終え、魔王が去ったのだ。


 ……コン、コン。


 まもなくして、後ろの扉がノックされる。


「失礼いたします。入ってもよろしいですか」


「はい。どうぞ」


 リノファの返事を待ってから淑やかに入室してきたのは、言うまでもなくドリーンである。


 彼女は王女ひとりしかいないことを知らないかのように客人向けの礼をすると、頭を下げたまま言った。


「リノファ様。お客様。晩餐の用意ができております」


 それを聞いたリノファが小さくため息をついた。


「ドリーン。それが……お誘いしたのですが、お帰りになってしまいました」


「あら。大変残念でございますわ」


 ドリーンも上げた顔をわかりやすく歪め、リノファに同意の念を示す。


「ところで姫様。本当に今の方が魔王様で?」


「はい、それは間違いありませんでした」


 リノファは両手を胸に当てて目を閉じると、かつてないほどの満たされた表情を浮かべた。


 リノファは幸せでいっぱいだった。

 愛しの魔王に逢えたというだけではない。


 リノファを苦しめていた心の中の【勇者の呪い】はすっかり萎縮し、今は影も形もないからである。

 心はこんなにも軽いものだったのだ、とリノファは初めて知った。


「それはそれは。でも記憶の方は大丈夫そうですわね」


「はい、うまくいきました♡」


「よかったですわね」


 二人はニッコリと笑い、部屋に飾られていたフレスコ画に目を向けた。

 そこには、麦わら帽子を被った少女が右手を口元に当てて微笑む姿が描かれている。


 絵の下方には、上位古代語の筆記体で小さくその名が書かれている。

【左利きの女】と。


 部屋に飾られた数ある絵画の中で、この絵だけが魔法の品であった。

 通常ならば何の効果も発揮しないが、鏡に映すことで本来の力を発揮する。


 今も鏡の中で、絵の少女は実物と違い、左手を口に手を当ててくすくすと本当に笑っていた。


 そう、この鏡の中の魔女がいると、ありとあらゆる魔法を全て自分に引き込み、一定量まで吸収してしまうのである。


 そこへ、リノファがこの日のために日夜練習してきた秘技、『とろん』である。


 自分のためといえど、リノファは人の目を欺くことに慣れていない。

 実際、見破ることも容易かった下手な芝居であった。


 しかし、魔王はそれ以上に純朴であった。

 結果、いとも簡単に騙されていた。


「でも次以降、同じ手でいけるかどうか……」


 ドリーンが腕を組んで難しい顔をする。


 いや、魔王なのにこんな小細工が何度も通じてしまっていいワケもない。

 真面目に考えなくては。


「その心配は無用です。魔王様は私の記憶の方は諦めになったようで」


「あら、そうですの?」


 ドリーンがきょとんとする。


「はい」


 結局、魔王は交換条件だったはずの約束だけをして、自分が訊きたかった『魔法が効かなかった理由』を訊かずに去っていった。


「それより、私と話している間になにか、急に嬉しそうなお顔になって」


「……嬉しそうな?」


 ドリーンが眉をひそめる。


「はい。私がお願いした護衛隊参加に、急に前向きになってくださったんです」


「なんと」


 ドリーンもさすがに驚く。


 魔王自身が魔王討伐に加わるなど前代未聞、いや、もはや意味不明ですらある。


「カミュ様も参加頂けるとは……」


 ドリーンがまた、腕を組んで思案する。


「……ど、ドリーン?」


 ぽつり、と呟いたドリーンの言葉に、リノファが目をまんまるにした。


「聞こえていたのですか」


「何がですか」


 ドリーンは真顔でとぼけた。


「……もう。聞こえていたんですね」


「そうなんですよ」


 ドリーンは悪びれもせずに言った。

 そう、壁に耳を当てずとも、魔王の声は隣の部屋までダダ漏れだった。


「でも要所要所で聞きとれなかったので、訊いていたんです」


「わかりました」


 リノファはひとまず、ドリーンに一通り説明する。


 魔王の手を握ると握り返してくれたことまで、つい嬉しくて話してしまう。


「……まさかの相思相愛ですの?」


「うふふ、ふふふ」


 リノファは嬉しくて笑ってばかりであった。


「ともかく、話はわかりました。それならお名前は知らぬふりを致します」


「そうですね」


 こうなると、リノファはドリーンが聞いていてくれたことに感謝してもしきれなかった。


 ドリーンと話す時には、あの名前で呼ぶことができるからである。


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