第54話 気遣い魔王 約束する
翌朝。
イチカが昨日までと様子が違うのは、すぐにわかった。
顔色が異様に悪いのだ。
眠れなかったのかもしれない。
「イチカさん、大丈夫ですか」
「あたいはなんともないよ。でも、やっぱり『
だから、イチカがそんなことを言い出しても特に驚かなかった。
「どうかしたんですか」
「………」
イチカがわずかに口ごもる。
しかし思い直したのか、直ぐに口を開いた。
「テルルはそこで死ぬんだ」
その言葉で、やっと納得がいった。
「未来が見えたんですね」
「うん」
【未来予知】で、イチカは離れた場所から『
その中で己は背を向けて砂浜に倒れていたという。
「近くまで来てせっかくだけどさ、このまま帰ろう。なんなら前金とかも全部返すからさ」
「そんなことは気にしないで大丈夫ですよ」
あんなに喜んでいたものをイチカが返すというくらいだ。
よほど心配してくれているのだろう。
「なあに、ここでバカンスみたいな夜が過ごせてよかったじゃないか。相手が心無いあたいで悪かったけどさ」
イチカはあえて明るく言って、己の背中をぽんぽんと叩いた。
「ちなみにその【未来予知】では、イチカさんは大丈夫そうでしたか」
イチカは頷いた。
「あたいは遠くからテルルを眺めていただけさ。これはあたいは死なないパターンだ」
聞けば、イチカが命に関わる事態になる時は、必ず自分の倒れた様子を上から俯瞰するような光景になるらしい。
最悪の事態になっても、イチカは帰還アイテムを使う時間があるのかもしれない。
「それより、今回は父さんが死んだ時の予知とすごく似てるんだ」
イチカは真顔で言った。
「お父様の時と、ですか」
「そう。テルルはきっと、あそこで父さんと同じ目に遭って死ぬんだよ」
つまり、あの大サソリの尾に刺されて死ぬ、ということである。
「ふむふむ」
己は腕を組んで思案する。
己が死ぬ可能性がわずかでもあるのが、なにか逆に好奇心をそそった。
「……なんだか他人事だね」
イチカは眉をひそめながら己を見ている。
「死ぬって言ってるのに、全然怯えない人は初めて見たよ」
「あ、いえいえそんなことは」
適当にごまかす。
己が宿っている以上、テルルもそう簡単には死なない。
「それより、イチカさんの命が大丈夫なら、行ってみてもいいですか」
「はぁ?」
イチカが眉をひそめる。
「……テルル、あたいの言葉が聞こえなかったのかい」
「どうしても行きたい場所なんです」
魔王が倒されるために、あれはなくてはならない存在なのだ。
そして昨日、もうひとつ行かねばならない理由ができた。
「長年の夢だったのは聞いたさ。でも死ぬんだからダメに決まってるだろ。あたいの【未来予知】は絶対に外れないんだ」
イチカは険しい表情で己を見ている。
「外れることもあるんですよ。僕は死なないので」
【未来予知】の能力はよく知っている。
確かに高確率で事象の出現を予測できる能力であるが、大きな欠点がひとつある。
この能力によって描かれるビジョンは『持ち主の見てきたものによって左右される』というものだ。
たとえば、イチカは父のことは普段からともに暮らしていただろうし、冒険者としての実力もその目で見て知っていただろう。
この場合の【未来予知】は99.9%正確に予知されていると言ってよい。
しかし、己の場合となると、かなり事情が異なる。
イチカはテルルが使う魔法しか見ていない。
フリアエが常時護っていることにも気づいていない。
それゆえ【未来予知】されたものは、テルルが魔法のみで行動した時のものになっている可能性が高い。
フリアエならまだしも、テルルの魔法のみで戦うとなれば、それは厳しかろう。
「あたいの予知は外れない。だめだよ」
しかし、イチカは取り合ってくれなかった。
「だめですか……」
「だめだよ」
「どうしてもですか」
「もう。しつこいね。死ぬとわかってて行かせられるわけないだろ」
繰り返される問答に、イチカがため息をつく。
「テルル。あんたそもそも
「イチカさんも知ってるんですね」
そりゃもちろんさ、とイチカが言う。
「父さんが何度も話してくれた。あいつは砂の中に尾を隠して、振りかざしてくるから危険なんだって」
「ふむふむ」
なるほど。
それくらいは人間たちにも知られているのか。
それゆえ、己の知る限り地上には3体しかいないはずである。
「わかってよ……あんたのこと死なせたくないんだよ」
イチカは己から視線を逸らせると、小声で言った。
イチカの顔には、小さな戸惑いが浮かんでいるのが見て取れる。
「気遣いは心にきちんと届いていますよ」
「……よかった。わかってくれたかい」
イチカが笑顔になって己を見た。
己は頷く。
「はい。あとは一人で行ってきます」
「……え?」
イチカが、目を丸くする。
「イチカさんはこのまま船で……なんなら帰還水晶で帰って大丈夫です。あとはひとりで泳いで『
「な」
イチカが慌てた。
「……なにを言ってるんだい。ここからでも軽く15kmはあるよ」
「それくらいなら泳ぎきれると思います」
泳ぎ自体はそれほど得意ではないが、泳げずに溺れ死ぬというほどでもない。
20km程度なら半日も泳ぎ続ければ辿り着けよう。
「下からシャークに襲われるよ」
「なんとかします」
「もし渡れたとしても、疲れ切って戦うどころじゃない」
「なんとかなりますよ」
「その後は絶対に死ぬんだよ」
「いえ、僕は死なないですから」
「あーもう!」
イチカが大声を上げる。
「死ぬってわかってて、捨てていけるわけないだろ!」
イチカは髪を振り乱しながら、己を険しい顔で見る。
「ホントに死にませんから大丈夫です」
「これだけ言ってるのに!」
「すみません」
己は笑ってみせるが、イチカは変わらず鬼の形相である。
「……どうしても行くって言うのかい」
「行かなきゃならないんです」
「………」
己の決意のほどがわかったのだろう。
イチカは諦めたように、大きく息を吐いた。
「全く! テルルは誰かみたいに頑固な人だよ」
「あ、もしかして来てくれるんですか?」
己は目を輝かせてイチカを見る。
イチカはふん、と鼻を鳴らして己から視線を逸らした。
「来てくれるんですか」
「うるさいっ」
イチカがギロッと己を見た。
「………」
黙っているが、なにか言いたげである。
「なんでしょう」
「……そこまで言うなら」
「はい」
「あたいのこと、必ず生きて連れて帰ってよ」
「それはもちろんです」
己は深く頭を下げる。
やはりイチカに船を動かしてもらえるのは、なにかとありがたい。
「テルルも死なずに、だよ? あたい一人じゃやだよ」
「わかっています」
「……じゃあちゃんと約束して」
イチカが軽く口をとがらせたまま、左手の小指を差し出してくる。
「『指切り』ですね」
「うん」
三度目ともなると、さすがの己もすんなり応じることが出来た。
小指を絡め、一緒に針千本のーます、と口ずさむ。
「……絶対だからね」
言いながら、イチカは絡めていた小指の方の手を恋人握りにした。
そのままそっと一歩近づくと、己をすぐそばからまっすぐに見る。
あの時のように。
「はい、約束です」
己は視線を合わせたまま、頷いてみせた。
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