第53話 気遣い魔王 真珠の孤島へゆく



 甲板に倒れ込んだ己たちを見て、セイレーンは諦めがついたらしく、飛び去っていった。


「……イチカさん、もう大丈夫そうですね」


「………」


 イチカはまだ己の上に覆いかぶさるように重なっていた。

 その頬や耳は、真っ赤になっている。


「イチカさん?」


「……あ……な、なに?」


「そろそろ離れてもいいかもですよ」


 己の言葉に、イチカがはっとして顔を持ち上げる。


「い、行ったのかい」


「はい。もう大丈夫です」


 イチカが見上げた空には、もう何も居なかった。


「よ、よかった……」


 イチカが大きく息を吐いて脱力する。


「あ」


 そこでイチカはまだ抱き合ったままだったことに気づき、慌てて離れる。


「ごめんテルル。あたい怖くて……」


 イチカが身なりを直しながら立ち上がる。


「大丈夫です。あれが最善だったと僕も思います」


 イチカが怯えるのは、至極当たり前だ。


 彼女は【職業持ち】ではない。

 その命は脆く、はかないもの。


 なのに、己の夢のためにこういった危険な世界に付き合ってくれている。

 なにがあろうといたわるのは、当然のことである。


「……テルル、本当は恋人とかいるんだろ」


 イチカは小声で訊ねてくる。


「気にしなくていいですよ」


 いないと言うと嘘になろう。

 己はテルルが想っている相手を知っている。


「今のは仕方のないことですから」


「そ、そうだよね……」


「はい」


「まぁこんなことしなくても」


 言いながら、イチカが髪を後ろに払い、背を向けて舵を取り始める。


「テルルならセイレーンくらい、なんともなかったかな」


「いえ、あれが最善でしたよ。セイレーンは倒さない方がいいんです」


「やっぱりそうなのかい」


 己は大きく頷いた。


 セイレーンが日々歌う歌には、魔物の凶暴性を抑える作用があり、セイレーンがいる海域では、その歌ありきで魔物や動植物同士の共生バランスが保たれている。


 それゆえ無思慮に討伐すると、予想もしない魔物に襲われやすくなったりと、取り返しのつかないことに発展してしまうこともあるのだ。


「……でもいいね。テルルは好きな人が居て」


 イチカは背を向けたまま、独り言のようにつぶやいた。


「イチカさんはいないんですか」


「いたら、こんな船乗りなんかやってやしないさ」


 イチカは顔を横に向け、頬だけを見せるようにしながら、肩をすくめる。


「いろんな男が言い寄ってそうでしたけど」


 イチカに言い寄る男の気持ちは己にもわかる。

 彼女は美貌だけではなく、その魅惑的なプロポーションで男を惹くのだ。


「好かれはするみたいだけどね。あたいは心無い女だから」


「……心無い?」


 気になる言葉だった。


「あたいは他人を好きにならないのさ」


 イチカは相変わらず、己に背中を見せながら言った。

 ブロンドの髪が風に遊ばれ、美しくなびいている。


「どうしてなのか、訊いていいですか」


「アハ。そういう女だから、としか答えようがないね」


「今まで、一度も?」


「……強いて言えば、父さんが好きだった」


「お父様、ですか」


 イチカは大きく息を吐いた。


「やめよう。せっかく大儲けのいい日が台無しになっちまうよ」


 イチカはそう言って、帰路の舵取りに専念し始めた。

 どうやら、少々聞き過ぎてしまったようだ。


「思い出させてしまいましたね」


「いいのさ。優しさから訊いてくれたんだろ」


 イチカはそれからしばらく、なにも言わなかった。



 テルル レベル38→39

 ナッコ レベル68→71



 ――――――――――――


 <本日の収穫> 



 潮流のかけら 27個

 塩塊 194個

 毒粘液 8個

 タコの触手 11個

 海虫の羽根 16個 

 トパーズ(宝石) 2個


 ¥84670 (半分はイチカへ渡す)


 タイダルゴーレムのアビリティカード(Rare) 2枚(1枚はイチカに渡す)

 キラーフライのアビリティカード(Common)(金) 1枚



 ――――――――――――




 ◇◆◇◆◇◆◇




 翌朝。


「テルル、サブセットをもう少し東向きに張っておくれよ」


「はい」


 夜明けとともに出港し、己たちはいよいよ剣岩地帯ソードリーフへと向かうべく、航海を始めた。


 空には雲は少なく、天気は好ましいものになりそうだ。

 風向きさえ良ければ、明るいうちに剣岩地帯ソードリーフに到達でき、今日中に戦いを終えることもできるだろう、とイチカが言う。


 しかし昼食をとる頃から風見鶏の向きが変わり、思うように船が流れなくなった。

 船の推進力が下がったのは明らかで、船乗りではない己にも感じられるほどであった。


「このままいくと、日没ぎりぎりに到達になるね……」


 イチカが甲板上で風に指を立てながら、地図を見ている。


「遅れそうなんですね」


「そうだね……このままなら、夜闇の中で『剣岩地帯ソード・リーフ』に、ってことになりかねない」


「わかりました」


 さすがにそれは、愚か者のすることである。


「おまけに雨風も来そうだ」


 イチカが東の空を指差す。

 そこでは灰色の雲も広がり始めていた。


「なるほど」


 一般論であるが、風向きが変わり、この色の雲が広がり始めると雨が降ることが多い。


「今日は孤島で一泊しておくよ」


「はい」


 悪天候となれば、波も荒れよう。

 一晩命がけとなる船の上より、島に落ち着く方が絶対に良い。


「そこはずっと前だけど停泊させたことがあってね。真珠貝が多かったから大丈夫かと思うよ」


 真珠貝の輝きは特別な魔力を秘めてはいないものの、その妖しさが魔物たちに恐怖をもたらす。

 例外がないわけではないが、この貝が多い島には、魔物が寄り付かないことが多い。


「わかりました」


「じゃあ切り返すよ」


 早い段階で決断し、イチカは帆を張り直すと、航路を北北東へと変えて進んだ。


「済まないね。依頼の戦いは明日にさせてもらうよ」


「いえ、むしろありがとうございます」


 まだ昼なのに、この潔い決断力は素人の己からすれば頼もしさしか感じられない。

 魔界の海も彼女に任せたい気分である。


 そして午後の日差しが緩んできた頃に、船は目標となっていた孤島へと到達できた。

 無人島のため港は当然ないが、船に適した深さの岸壁がえぐれて残っており、そこで錨を下ろして船を固定し、小舟なしで上陸することができた。


 イチカは悪天候に備えて帆船を保護・固定しておく作業があるそうなので、それを手伝って一緒に済ませた後、孤島に降り立ち、夜営の準備を始める。


「悪くない島だ」


 あたりを見渡す。

 この島は広々と砂浜が広がり、その絨毯のような細かい砂粒が日差しを受けて金色に輝いている。


 進路を変えて逃げたせいか、まだ雨には降られず、晴天なのも幸いである。

 おかげで歩く足元の砂は、日光をためて靴の上からでも暖かく感じられた。


「この辺にしますか」


「うん。構わないよ」


 船以外で夜営する可能性についても事前に言われていたので、己の方でイチカの分も準備済みである。

 二人で余裕で過ごせる大きさの野営結界を展開し、そこに毛皮を敷いて毛布を重ねて置く。


 ちなみに結界内は雨や夜露をしのぐことができる。


 食糧は持参したものがあるが、船旅が長引く可能性も考えねばならない。

 島にホーンラビットがいたので、【三眼の弓】で狩って夕食の足しとすることにした。


 焚き木となる枯れ枝もたくさん入手できたので、火を起こし、こんがりと焼けるまでウサギ肉を炙る。


 今日はその塩焼きと、イチカが獲ってくれた栄養満点の貝を使った唐辛子とトマトのスープ、それにパンを足しての夕食だ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 静かな月夜に、繰り返すさざ波が調和する音を立てている。

 夕凪を過ぎた頃から、わずかに風が出てきた。


 目の前では焚き木がパチパチと弾ける音を立て、静かに燃える火があたりの闇を一掃している。


「ごちそうさま。テルルって料理が上手なんだね。案外に美味しかったよ」


「よかったです。でも『案外に』は要らないですよ」


「あはは」


 横に座っているイチカが、屈託なく笑う。

 焚き火の暖色に染まったイチカは、絵の中の人のように美しい。


「あー、おなかいっぱい。砂浜もきれい。空もいい。言うことなしだね」


 イチカは砂浜の上でタイトミニも構わずに両脚を投げ出すようにして座る。

 広がる砂浜は月光を反射して銀色に光り輝いていた。


 結局、灰色の雲はどこかに消え、素晴らしい星空が広がっていた。


「こんなに星が見えるんですね」


「そうだね。じっくり見るのは、あたいも久しぶりだよ」


 二人で横並びになって、手を後ろについて夜空を見上げる。


 無人島の星空がここまで美しいとは思わなかった。

 己とイチカは言葉を発することなく、ただそんな世界を味わい続ける。


「……テルル」


 ふいに、ぽつりとイチカが己の名を呼んだ。


「あんただから言うんだけどさ」


「はい」


「あたいはきっと……大切な人をまた失くすのが怖いみたいだよ」


 イチカはまだ、空を見上げたままだった。


「なるほど」


「だからあたいはね、好きな人を『作らない』んじゃなくて、『作れない』のさ」


 己は頷いた。


「話を聞いて、なんとなくそうなのかなとは思っていました」


「へぇぇ」


 イチカがこちらを見る。


「あれだけでわかったのかい」


「確信していたわけではないですよ」


「見かけによらず、鋭いんだね」


「だから前置きが余計ですよ」


「アハハ」


 その後、しばらくさざ波の音だけが二人の間に響く。

 やがて、イチカは女の子座りになる。


 しかし視線は合わせず、海を見つめたまま、己にブロンドの髪がかかる左頬を見せている。


「……父さんはあの日、三叉槍の大蠍スコルピオトライデントに戦いに行ったんだ」


「亡くなった日のこと、ですね」


「そう」


 イチカにもその理由はわからないという。


剣岩地帯ソード・リーフ』の中にある島は、難破してなんとなく流れつけるような場所ではない。


 イチカの父は意図してそこに趣いたのだ。

 そして、死んだ。


「……急に何を血迷ったんだろうね……」


「………」


 なぜイチカの父がそんな行動を取ったのか、己はなんとなく理由がわかっていた。


 が、今はイチカの話を聞く。

 こういう時は思うように話してもらい、聞き手は余計な口は挟まぬに限る。


「父さんを亡くして、随分と長い間、立ち直れなかった。母さんも物心ついてから亡くしたけど、父さんの方が……つらかった」


「それはつらいですよ」


 残された片親までも失うというのは、体験したものにしかわからない。


「祖母の家で2年くらい経って、やっと立ち直れたかな、と自分では思っていた」


 イチカが星空を見上げる。


「でも実際は、悲しさを無理やり抑え込んだだけだったんだ。亡くしてもう10年になるけど、あたいは今でもきっと……立ち直ってないのさ」


 イチカは思い出したかのように、大きく息を吐いた。


「それからのあたいは、男の人に対して感情が湧かないんだ」


「好きという気持ちが出てこなくなったんですね」


「そう。心が拒否するのさ。誰かに強い感情を持つことを」


 イチカは空を見つめ続けながら言った。

 支えにしていた父が居なくなれば、心は閉ざされもするであろう。


「同じ年の友達が、異性を見てきゃーきゃー言っているのを見ても、あたいはその意味がわからなかった」


 男たちと連れ立って出かける話になっても、イチカは付き合いでしぶしぶ行くだけだったという。


「そのうち、言い寄られるのも苦手になった」


 己は相槌だけを返す。


 相当な数の男から声をかけられただろうと察する。

 それでも、彼女の心は微塵も揺れなかったらしい。


 言い寄ってきた男たちは一様に、イチカを『ファザコン』と侮蔑して去っていったという。


「父さんを亡くした衝撃が強すぎて、あたいの心は壊れてしまってるのさ」


「イチカさん……」


 心底悲しいことをなんでもないことのように話すイチカに、胸が痛くなる。


「父さんはあたいの子を腕に抱えるのをすっごく楽しみにしてた。だから……本当は見せてやりたいんだけど……」


 イチカは目に溜まったそれがこぼれぬよう、空を見上げる。

 最後は濡れた声になっていた。


「でもいいのさ。あたいは恋なんかできなくても……」


 仕方ないんだ、と、イチカは目元を拭った。


「イチカさん……」


「……大切な人を亡くすなんて、あたいはもうたくさんなんだよ……」


 イチカは膝を抱えて、顔を埋めた。

 そして、ブロンドの髪を揺らしながら、大声で泣き始めた。

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