第52話 重なるもの


「大漁だね」


「全部狩り尽くしますよ」


 翌日も朝から三ツ子島に行き、タイダルゴーレムと戦い続けた。


 今日はドロップ運がよく、夕方まででタイダルゴーレムのアビリティカードが2枚ドロップ、合計3枚となった。


「今日もお疲れ様でした。これ、イチカさんの取り分です」


 カードは一枚だけ己の予備として持っておきたいので、残りの一枚をイチカに渡す。


「えっ……れ、【Rare】?」


 イチカが慌てる。


「こんなの貰えないよ! いくらになると思ってるんだい」


 確かにこいつのカードは高く売れるに違いない。

 希少な固有アビリティはもちろん、スロットが3つある【Rare】なので、最低でも¥100万は超える。


「ドロップは等分する約束ですよ。僕はもう持ってますから」


 そういってもなかなか頭を縦に振らないイチカに、前回のような問答をしばし続け、やっと手に取ってもらった。

 

「……あーもう。こんなに儲かる仕事は初めてだよ」


 イチカは嬉しいような、困ったような顔をしながら、ちらちらと己の顔を覗き見している。


「………」


 そのうち言葉がなくなるが、ちらちら己を見る様子だけは止まらない。


「どうかしました?」


「……なんでもない」


 イチカは言いつつ、視線を逸らせる。


 ふむ。何でもないならよいか、などと考えていると、イチカが口を開いてくれた。


「……あのね」


 イチカが甲板の柵に両手を掛け、海に目を向ける。

 ブロンドの髪がサラサラと後ろになびいた。


「はい」


「……テルルに声をかけてよかったなって思ってるんだよ」


「それはなによりです」


 なにか、かっこよく決めるべき場面と思ったが、そこで己の腹がぐー、と鳴る。

 イチカがくすっと笑った。


「ふふ、じゃあそろそろ帰ろうか」


 イチカが日焼けした脚を小さく開いて、舵を握った。

 夕日で茜色に染まるその姿は、目に焼き付けておきたくなるほど絵になっていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇



「~♪」


 帰路へと舵をとりながら、イチカは終始ご機嫌だった。

 この数日でタイダルゴーレム150体以上を討伐したはずなので、お金のドロップだけでも相当なのに、そこへ【Rare】のカードである。


「一気に父さんの船を引く資金が貯まった~♡」


 イチカはまた、嬉しそうに鼻歌を歌っている。

 このあたりは己とやることが似ていて、つい笑ってしまう。


「その話ですけど、よかったら僕が手伝いますよ」


「え!? テルルが?」


 舵を握っていたイチカがこちらを見て、目を丸くする。


「はい。もちろん無料タダで」


「うそ! い、いいのかい!?」


「危険な戦いに付き合ってもらうんですから、それくらい当然です」


「――嬉しい! テルルなら安心だから!」


 イチカが舵を放して、己の手を両手で握ってくる。


「あたいの客はいつもハズレばかりだったから、見かねた神様が引き合わせてくれたのかもしれないね!」


「それはそれは」


 意気揚々と話すイチカに、話を合わせて笑っておく。

 もしそうだとしても、悪魔の王と会わせる神とか、ろくな奴ではない。


「ともかく、【水中呼吸】も手に入ったので、明日から剣岩地帯ソードリーフに向かってみていいですか」


「テルルのことだから、三叉槍の大蠍スコルピオトライデントが相手でも、今みたいに勝算はしっかりあるんだろ?」


「もちろんです」


 己は頷く。


「じゃあいいよ。テルルが十分強いのはわかったしね」


 イチカは嬉々としながら、舵を握っていた。

 そんな時だった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「じゃあいいよ。テルルが十分強いのはわかったしね」


 イチカが嬉々としながら舵を握っていた、その時だった。


「む」


 テルルが険しい表情になり、頭上を見上げる。

 直後、ヒュルルル……という笛のような音色があたりに響く。


 曲が描かれ始め、その旋律に合わせて、海面がおだやかに揺れ始める。

 それは優しく、しかし力強く、聴く者の心を揺さぶるような音色であった。


「――上!」


 イチカが頭上を見上げて、叫ぶ。


 そこには、三体の魔物が飛来していた。

 青い翼を四枚生やし、上半身は女の姿をしている。


 体長は人と同じくらい。

 いずれも膝から下が茶色の羽毛に覆われ、鋭い鉤爪を持った足になっている。


 セイレーンである。

 通常種は翼が二枚であるため、飛来したものは変種だとテルルは気づく。

 レベルは75前後か。


 セイレーンは男を魅了し、交わろうとしてくる魔物である。

 そのため人間の女よりは男を先に狙い、魅了したまま持ち帰ろうとする習性がある。


「……どうしてこんなところに」


 イチカは信じられないといった様子で、頭上を見上げていた。


 理由がわからなかった。


 セイレーンは孤島を縄張りとし、普段はそこから動かず、近くを通る船に飛来するのみである。

 周囲に何もない海上に、突如飛来するはずがない。


「【渡り】にぶつかってしまったかもしれませんね」


 テルルが頭上を睨みながら言う。


 その通り、生涯ずっと同じ孤島には棲み着かず、【渡り】をする魔物としても知られており、今回、数年に一度のそれに当たってしまっていたのだった。


 なお、ドライアドのナッコはすでに出現を終えており、船の上にはテルルとイチカの二人しかいない。


「ピュルルル……」


 セイレーンたちはいずれも空の高い位置で舞いながら笛を奏でており、すぐに船へ襲いかかることはしなかった。

 彼女たちは船に備えられている【聖石】を嫌悪しているのである。


「テルル、耳を!」


 イチカが舵を固定しながら、真っ青な顔でテルルを見た。

 セイレーンの笛には、人間の男を魅了する効果があることをイチカは知っていた。


「あ、僕は大丈夫ですよ」


 しかしテルルはあっけらかんと答えた。

 頭上で響く3つの笛の音はこれでもかとばかりに高鳴っているものの、テルルは顔色一つ変えない。


 魔王にセイレーンごときの【魅了】が効くはずがないのである。


「ほ、本当に?」


「それよりイチカさん、こっちへ」


 テルルがイチカを手招きした。


「わ、わかった」


 イチカがテルルの元へと駆け寄ると、二人は今までにないほどに寄り添った。

 恋人のふりをし始めたのである。


 セイレーンは強い愛情の持ち主であることで有名であり、とりわけ人間の恋愛感情に理解を示す。

 愛し合っている男女であることを見せると、共感して手を出さずに去っていくのである。


 テルルたちは、帆船を傷つけられる可能性がある戦闘をせず、追い返す方を選んだ。


「テルル、ごめんよ」


 そう言うと、イチカがテルルの正面から抱きついた。

 テルルは女性の柔らかさと温かさに覆われる。


「いえいえ、そのままこうしていてください」


 テルルもイチカの背中に手を回し、セイレーンから見えるように、ぎゅっと抱きしめてみせる。


 ブロンドの髪が、テルルの頬を撫でていた。

 イチカの優しい柑橘の香りに、テルルも包まれている。


「魅了されないで……」


 抱きしめた腕の中で、イチカは小刻みに震えていた。


 セイレーンは人間の女に対しては対抗意識が強い魔物である。

【魅了】によって男が人間の女を見限れば、女はその場で容赦なく食い殺されるのだ。


「いや、全く心配ないですよ。僕効かないんで」


 テルルはイチカの背中をそっと撫でながら言った。


「そ、そんなわけないだろ。男なんだから」


「いえ、そんなわけあるんですよ」


「………」


 抱き合っていたイチカが、不思議そうにテルルの顔を覗き込んだ。


「……ホントのホントに効いてないのかい」


 イチカが目をしばたたかせる。


「はい。なんともないです。でも」


 テルルは言いながら、頭上を見上げた。


「なかなか帰ってくれないですね……」


 セイレーンは獲物を諦めきれないのか、二人の頭上で笛を鳴らし続けている。


「もっとちゃんと恋人っぽくしなきゃダメなんだよ」


「わかりました」


 そう言って、イチカは頬を重ねるようにテルルに抱きついた。


 テルルは思った以上のイチカの勢いに押し倒されるように尻餅をつくが、座ったまま、相思相愛を示すようにイチカを抱き寄せてみせる。


 セイレーンがとたんに唸り声を上げた。


「はぁ……」


 イチカの息遣いがテルルの耳元に重なっている。


 抱き合い始めた直後はイチカの呼吸は浅く早かった。

 が、今はテルルが【魅了】されないとわかったこともあり、ゆっくりと落ち着いてきていた。


 一方のセイレーンは時折、苛立ちを示すように甲高い唸り声を上げ、まだ彼らの頭上をしつこく飛び回り続けている。


「……なんかさ」


「はい」


「不思議だね……こうしてると気持ちが落ち着くよ」


 イチカがテルルの頬に甘い息をかける。


「それはよかったですよ」


「こんな状況なのに、怖くなくなってきたし」


 イチカは言葉通り、笑ってみせられるほどになっていた。


「人間ってそういうものなのかもですね」


「うん。なんか、父さんに抱かれていた頃を思い出してるのさ」


「僕は役得を満喫していますよ」


「ハハ。馬鹿。意識しちゃうじゃないか」


 イチカが明るく笑いながら、抱きつき直した。

 胸の柔らかいものが、テルルの胸にいっそう押し付けられる。


 そのまましばし時間が過ぎるが、セイレーンはまだ去らずに二人の上をぐるぐると回っていた。


「……テルルってすごいね」


 ふいにイチカが、ぽつりと言った。


「はい?」


「だって約束通り、ちゃんとあたいのこと守ってくれてるじゃないか」


「だって約束しましたから」


 イチカが耳元でくすくす笑う。


「……きっとテルルが強いってのもあるんだよ。そんな人のそばにいるから、あたいは安心なんだ」


 イチカは言いながら、それとなく脚同士も絡め始めた。

 それがわかったのか、またセイレーンがキィィ、と吼えた。


「わかってもらえて光栄ですよ」


「光栄なのは、あたいさ」


「………」


「………」


 抱き合ったまま、互いに無言になる。

 

 イチカは座っているテルルに身体を完全に預けるようにしながら、重なり続けていた。

 もう、目を閉じて。


「それにしても、居なくならないですね……」


 テルルは恋人同士らしく、イチカの頭を撫でながら呟く。

 セイレーンたちはテルルを随分と気に入って、諦めずに回り続けていた。


「随分経つのにね」


「はい」


 テルルは言いながら、周囲に意識を向ける。

 舵は一応固定されているが、船はだんだん流されて進路が狂ってしまう乗り物である。


 まあよいか。気にせずとも最悪――。


「……テルル、ごめん」


 そんなことをテルルが考えていると、ふいにイチカがテルルの顔をすぐそばから見つめてきた。


「はい?」


「テルル……」


 イチカの顔が、上から覗き込むように近づく。

 ブロンドのさらりとした髪がテルルの頬に被さり、夕日を遮った。


「じっとしてて……」


 そう話すイチカの唇が、すぐそばにあった。

 甘い息がかかる。


 そう、イチカはキスをする真似をしていた。


 テルルはその意図を知り、なるほど、と頷いた。


 これならちょうどセイレーンたちから見れば、キスをしているようにも見える。


 わかりました、と、テルルが言おうとした刹那。


「――きゃっ」


 船の、ちょっとした揺れだったに違いなかった。

 しかし、不安定な姿勢でいたイチカがバランスを崩すのには十分だった。


「……んっ……」


 イチカが、小さくあえいだ。


「………」


「………」


 イチカは、そのまま目を閉じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る