第50話 気遣い魔王 船出する


 晴天の日。


「知ってるんだろ。これがあたいの船さ」


 イチカが指し示す先には、見事な帆船があった。

 ダブルヘッドシャークを倒した時に乗り込んだ船だとわかっていたが、違う船に見えるほど磨き上げられている。


 全長は約15メートルほど。

 艦体はダークマホガニー色で光沢があり、海の表面で太陽の光を反射している。

 艦首は美しく流麗なラインが描かれていて、船体からそびえ立つ一本の力強いマストには、象牙色の帆が2枚かかっている。


「立派な船ですね」


「だろ。父さんが残してくれたお金も使ったのさ」


 イチカが立派な胸を張ってみせる。


(そういえば、船旅というものは久しぶりだな……)


 基本的に乗り物は好きな方である。

 だから正直に言うと、人間の船に乗るというだけで、ウキウキが抑えられない。


「さ、乗った乗った」


「はい」


 かけられたロープ製のはしごを渡り、イチカと己は船上の人となる。


「準備するから、テルルは適当にしてておくれよ」


 イチカは最初から己を呼び捨てにするところが、カノーラと違うところだ。

 良い悪いの話ではなく、どっちも性格が出ていて、呼び捨てはイチカらしいと感じる。


「手伝いますよ」


「そう? じゃあ帆を張るのを手伝ってくれるかい。そこを引っ張るのさ」


 帆は2枚、メインセールとジブセールというものがある。

 それぞれの張り方で、受ける風をうまく調節して進路を繊細にコントロールする芸術がある。


「ありがとう。じゃあ行くよ」


 イチカは錨を引き上げると、船を動かし始める。

 プロポーションの良い彼女が操舵席に立つと、本当に絵になるな。


 それはともかく、船の中央に船長の操舵席があり、ここから船全体を見渡すことができるようになっている。


「さ、船出だ」


 ギィィ……という重い音を残して、船が静かに岸から離れる瞬間は、たったそれだけで、なにかワクワクする。


「テルル、ちょっと舵を押さえててくれよ」


「はい」


 代わりに舵を握ると、イチカは2つの帆を調整しに行く。

 ロープを引くと、メインセールがマストの頂点に達し、風を受けて帆が優雅に膨らんだ。


 胸を張った船に勢いがつき、波を割りながら力強く進み始める。

 水しぶきが空中に舞い上がり、塩辛い香りとともに、キラキラしたものが視界を流れていく。


「とりあえず、三ツ子島でいいんだね」


「はい」


「じゃあ信じて向かうからね。あたいのこと、ちゃんと守っておくれよ」


「もちろんですよ」


 己は横に並んでイチカの舵取りを手伝いながら、先を目指した。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 雲間からそっと射す陽の光がキラキラと波打つ水面を照らしていた。

 海の街から西北西に航海を続けると、一時間半ほどで3つが段々になった、串団子のような島が見えてくる。


 三ツ子島と呼ばれる島である。

 その近辺はタイダルゴーレムの棲み処で知られており、船乗りたちが避けている場所でもある。


 レベル70程度といえど、いきなり数体に囲まれてはイチカが怯えるので、最初はやや離れた位置からゆっくり近づき、出現を待つことにした。


「あ、あそこ、渦巻いた」


 海を見つめていたイチカが、海面を指差す。


「居ますね」


【職業持ち】ではないことが信じられないほど、イチカは勘が良い。

 いや、船乗りになるとこれくらいが当たり前なのかもしれないが。


「そろそろ船を止めましょう」


「うん」


 イチカと己は急いで帆をたたむ。

 それでもゆっくりと船は三ツ子島へと近づくが、タイミングはちょうどよかった。


 しばらく待つと、さきほどから巻いていた渦がだんだん海面から持ち上がり、荒削りな人の形を成していく。

 タイダルゴーレムである。


「うわ……」


 イチカが怯えて後ずさったのが視界の隅に見えた。


「物陰に居てください。それほど好戦的な魔物ではないので大丈夫です」


 基本的には船を見ても襲ってこないが、船が近づきすぎると自身の防衛のためにこのように実体化し、攻撃を仕掛けてくる。


「Με αυτό το σώμα, είναι καλό να γνωρίζουμε την οργή του διαβόλου……」


 己は狂気の牛マッド・ホーンの剣を取り出し、魔法を詠唱する。

 テルルがやるように、人間たちが操る上位古代語での詠唱でも魔法は形を成すが、悪魔言語で唱えた方が魔法本来の秘めた力を引き出すことができる。


「〈落雷ラムザ〉」


 ドォォン、という轟音とまばゆい光。

 雲のない空から、いかずちの槍が降った。


「きゃっ!?」


 そのつんざく音に、イチカが悲鳴を上げる。


 タイダルゴーレムは何もする暇もなく蒸散し、抜け殻のような白い亡骸とドロップを海に残す。

 海での討伐後のドロップは網に入った状態で浮かんでおり、それを回収する形になる。


「へ、へぇぇ……今の一発で終わりなのかい」


 強がったようなことを言っているが、イチカは尻餅をついていた。

 彼女は例によってタイトミニスカートなので、日焼け肌から白い肌に変わる先に白いものが見えていて、己は海に視線を戻した。


「あんたすごいね……高レベルの魔物がこんな簡単に倒せるなんてさ」


「だから弱点なんですよ。他の攻撃ではこうはいかないです。……あー、カードはないですね」


 己は大物用の釣り竿でドロップを手繰り寄せて、船の上に回収し、取得できたものを確認する。


「うへぇ……冒険者って随分儲かるんだねぇ。たった一発でこんなに」


 イチカは屈み込んでドロップを覗くと、中身の良さに感嘆する。


 魔物と戦った際、ドロップでお金を取得した場合はイチカに半分を渡すということになっている。

 なので、さっそく¥1800がイチカの懐に入る形である。


「もう少し狩りますね」


「アハ、あたいは大歓迎だよ。どんどんやっておくれよ」


 さっきまでは不安もあったのだろう。

 実際に倒すところを見て、イチカも安心したようだ。


 よい経験点稼ぎにもなりそうので、ドライアドのナッコも呼んで待機させておくことにした。

 彼女の〈植物の戒めドライアドルーツ〉や〈石つぶての嵐ストーン・ブラスト〉は海では使えないので、目下応援に励んでくれている。


「なにこの子! かわいいじゃないか」


「ナッコって言うんですよ。召喚できるんです」


 まだ幼さを残すナッコがストライクだったらしく、イチカがすっかり虜になっていた。


 ナッコは頭を撫でられても、ただ人懐こい笑みを浮かべてニコニコするのみだ。

 ちなみにナッコは大人びた姿になってきているのにビキニアーマーだったため、ピンクのワンピース型ローブを買って着せてある。


「え~、あたいもこの子欲しい」


 イチカがナッコを抱きしめて離さない。


 そんなに気に入りましたか。

 まあ、妹みたいな感じなのか。


 そうやってひとしきりナッコと戯れた後は、肝心の狩りを始める。


「あ、あそこにもいますね」


 ここはタイダルゴーレムのたまり場なので、簡単に見つけられるのがいい。

 ラムザの射程範囲は30メートルあるので、先手で狩ることができる。


 タイダルゴーレムの他に、レベル60の『ポイズンオクトパス』という大ダコや、三ツ子島に生息するレベル45の『キラーフライ』という牙のある羽虫のようなのも現れたが、倒し方は魔法一本である。


 MPばかりが減っていくが、『ツインヘッドシャークのカード』で底上げされているし、それでも足りなくなったらフリアエに頼んで〈死体吸収ユークリッド〉を入れてもらうだけのこと。


 タイダルゴーレムたちのレベルは今までの敵よりも高いので、ここにきて己のレベルも上がるようになった。

 昼まででタイダルゴーレムだけで25体を狩り、この数時間でレベルは2つ上がって33になった。


 ナッコに追いついたかに見えたが、ナッコ自身は戦闘終了後、ほぼ毎度レベルアップし、33から56まで上がっていた。

 なお、容姿はこれ以上は大人っぽくならないようである。


 昼食はイチカが釣って用意してくれていた白身魚の刺し身を醤油で『漬け』にし、ごまを振って茶漬けのようにして食べた。

 

 これがまたうまい。

 海鮮に合うなぁ。


 油や脂を使えば大抵の料理はうまくなるが、『醤油』というものはそれなしで猛烈に味を高めてくれる。


 料理の芸術品だな。

 土産のためにもっと買っておこう。


 午後もひたすら狩り続け、日が暮れ始めたころに倒したタイダルゴーレム53体目。


「お、出た」


「カードかい」


「いえ、指輪が先に出ました。僕は要らないのであげますよ」


 己は手のひらに載せて、イチカにそれを見せる。

 小さな蒼い石が埋め込まれた、落ち着いた感じの指輪だ。


「……へぇぇ、きれいだね。どんな効果があるんだい」


 渡されたイチカが指輪を右手の薬指に嵌め、眺めながら訊ねてくる。


「これも一緒ですよ。【水中呼吸】で連続15分まで可能にするものです」


「えっ!?」


 イチカは目を見開き、これ以上ないほどに驚く。


「【職業持ち】じゃなくても効果がありますよ」


「……う、嘘だろ、水の中で息ができるってのかい」


「はい。『剣岩地帯ソード・リーフ』に行くのであった方がいいかと」


「待ってよ、簡単に言うけどさ! そんなの、とんでもなさすぎるだろ……!」


 イチカは動揺を隠せない。


 驚くのも無理はなかろう。

 15分も水の中に居られるとか、人間としての前提が崩れている。

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