第45話 気遣い魔王 聖女に会いに


 明け渡る晴天の午後。

 空にはほんの少しの雲が浮かんでいるだけで、今日は青が海の底のように深い。


「あちらへどうぞ。行けばわかります」


「うむ」


 許可をもらって王宮入口を抜け、楓の並木道を歩き進む。


 木々の間から差し込む日差しは、色とりどりの楓の葉を一層鮮やかに照らしている。

 香ばしい木の香りは、さながら自然の香水のようだ。


 そうやって気分良く歩いていた己は、前に見えてきた光景にぎょっとする。


「なんだこれは……」


 掲示で指示された『楓の宮』と呼ばれる王宮の前には、くねくね曲がった長蛇の列ができていた。


 すべて男でできている。


 近づいてみると、どうやらこの列をなしている男たちは皆、聖女のハンカチを拾った者らしい。


 聖女、どんだけ落としたよ。


「これ……もしかして今日は無理か」


 並んでみて気づく。


 列は少しずつ前に進む時間もあったが、全く動かない時間もある。

 

 それはそうであろう。

 聖女は第二とはいえ王女である。

 朝から晩までずっと暇を持て余して、蛇の相手ができるわけでもない。


「うーむ」


 舞踏会の日にテルルではなく己がこの身体に宿っていれば、話は早かったのだが……。

 そんな事を言っていても始まらぬな。


 そうやって、聖女に会えないまま夜になり、行列はあえなく解散させられる。

 整理券が配られ、明日の朝また順番に並ぶことになった。





 ◇◆◇◆◇◆◇





 そうやって聖女に会うために並ぶこと、3日。

 このまま会えずにテルルに入れ替わったらかなりやりきれん……と思っていたが、なんとか自我があるうちに会うことができそうである。


 並んでいてわかったのは、リノファ王女がハンカチを落としたのは、ただの一度だということ。


 仮面舞踏会で、テラスで涼んでいる時に落としたものだという噂である。


 それを拾ってくれた男を探しているのだが、なにせ相手が仮面をつけていたことが世間にバレており、偽物の男が次々と押し寄せているのだという。


(やはり向こうが探しているのは己か)


 それならゆったり構えていても、心配はいらぬだろう。

 己以外に当てはまる男はいないのだから。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「次の方」


 夕暮れ時になって、己の前の男が呼ばれた。

 王女へと通される前に、侍女らしきものが面接することになっているらしい。


「ハンカチはいつ、どこで拾いましたか」


「仮面舞踏会で、テラスの手すりのそばで拾いました」


「ハンカチは何色でしたか」


「白です」


「王女に返したのはいつですか」


「送別のところでお返ししました」


 男はまるで本当に拾ったかのようにスラスラと答える。

 定型文らしい。


「ではこちらへ」


 男は2つ用意された部屋の右側へと通される。

 さっきから左右交互に通されるので、一段階上のチェックをその二部屋でやっているようだ。


 間もなくして男はポケットに手を突っ込み、舌打ちしながら出てきた。

 偽物がバレたようである。


「では次の方」


 己が呼ばれた。


「ハンカチはいつ、どこで拾いましたか」


 侍女が無感情に問いかけてくる。

 いつ戻るかわからぬから、テルルに倣った話し方をしておくか。


「あの日は月がきれいな夜でした。仮面舞踏会の終盤、勇者の締めくくりの挨拶の際に人酔いがつらくなってテラスに出ました。篝火から離れたテラスの先端、少し右寄りの、椿の木の前に立っていて、その足元で拾ったものです。ハンカチは落としたばかりのものらしく、優しい花の香りがしました」


「………!」


 侍女が目を見開いている。


「これ以上の質問は不要でしょう。お探しの人間は私です」


 己は堂々と答えた。

 後ろに並んでいた男たちから、どよめきが聞こえてくる。


「………」


 相当動揺したのか、侍女は何も言わずに奥へと駆け込んだ。


 そのまましばし、時間が流れる。


「お、おまたせしました」


 やがて、先程の侍女が戻ってきて「こちらへどうぞ」と左の部屋へと案内する。


「失礼します」


 室内は涼しかった。

 広いものの、調度品を見る限り個人用の部屋になっているようだった。


「ようこそ来てくださいました」


 中に居たのは、ローブを着た女。

 仮面舞踏会で、テルルが見たことがある人物だった。


「私は王国第二宮廷魔術師のドリーンといいます。あなたが嘘をついていないか魔法で確認しますわ。じっとしていてくださいませ」


「はい」


 ドリーンという女がそばまでやってくると、小声で詠唱をし、己の額のところに手をかざす。


 古代語魔法に、〈嘘看破センス・ライ〉という魔法がある。

 魔術師ならば誰でも使えるほどの、初級の魔法である。


「……嘘はありませんね。ではこちらへ」


 そう言って、さらに奥に繋がった広間へと通される。

 中に置かれた、黒革のソファーに座るよう言われ、己は言われたとおりに腰を下ろす。


「人探しを始めて、もう10日になりますけど」


 去り際、ドリーンが長い髪をかき上げながら、己を振り返った。


「この部屋に通したのは、あなたが初めてですわ」


「そうでしたか」


「では、このまま待っていてくださいまし」


 そう言い残すと、ドリーンは優雅な礼をしていなくなる。


 そのまま、しばし待たされる。

 何度も言うが相手は王女だから、すぐ飛んでくるというわけにはいかないのだろう。


「ふむ」


 己は待つ間に、部屋の内装や調度品を眺める。


 足元は細工が施された大理石の床が広がっており、左手の壁沿いに真紅の絨毯が敷かれている。


 壁には巧緻なフレスコ画や肖像画が飾られており、部屋の一角には彫刻が施された暖炉もある。


 その上には鏡が壁を埋めるように貼られていて、その鏡の反射で部屋はさらに広く感じられ、またそれが照明の明るさを増幅させている。


「参考になるな」


 こういった部屋も魔王の間にはよいかもな……。


 そこで、コン、コンと部屋の扉がノックされ、5人ほどが入ってきた。

 武装した兵士が三人、女が二人だが、兵士は扉に背をつけるようにして立ったのみで、実際に己の傍に来たのは女二人である。


 女の一人はさきほどのドリーン。

 そしてもうひとりが聖女だ。


(ふむ)


 そういう目で見ると、前世の面影が残っている。


「お呼びだてしてすみません。この国の第二王女リノファです。先日、ハンカチを拾っていただいた方ですね」


 聖女が優雅な礼をすると、微笑を浮かべて訊ねてくる。


「そうです」


 一応、己も立ち上がって礼をする。


「重ねてお礼を」


「お気になさらず」


 聖女相手なら普通に喋りたいところだが、人目もあるので、言葉遣いから一般の人間らしく振る舞っておく。


「大変失礼ですが、仮面のせいでお顔を覚えていないのです。私から最後の確認をさせていただいても?」


「大丈夫ですよ」


「では、お手を借りてもよろしいですか」


 聖女がテーブルを挟んで向かいに立つ。


 なるほど。

 自身の中にある呪いの変化で見分けるというわけか。


 やはり聖女はハンカチを渡した男が魔王か、それに類した者であろうところまでは気づいている。


(それなら構わぬ)


 むしろそうと気づかせた方が、話は早い。

 どうせ知られたところで、この記憶も消せる。


「どうぞ」


 己は手のひらを上に向け、右手を前に差し出す。


「………」


 聖女は差し出された手を見つめ、小さく息を吐くと、そっと両手で己の右手を包んだ。


「………!」


 その目が見開かれる。

 すぐにじわり、とその目が潤む。


(やれやれ)


 己は見ていられず、視線を逸らす。

 泣かれると、やりづらくてかなわぬ。


 だが理解はできる。

【勇者の呪い】とやらが、よほどつらかったのだろう。


「……この方と二人にしてください」


 聖女がわからぬほどの小声で言った。


「リノファ様?」


「ドリーン、皆さん、心配は無用です。お願いします」


「……承知しました」


 ドリーンが兵士たちを連れて部屋を出ていく。

 バタン、と扉が閉められると、室内は聖女と己の二人だけになった。

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