第44話 辛抱の末に



「へぇ。やっぱりそいつがお前の彼氏になったのかよ」


 そんなふうに盛り上がっていると、横から言葉が挟まれた。


 見ると酒場の奥から、こちらにやってくる男がいた。

 後ろにはさらに二人の男がいて、ニヤニヤしている。


 見たことのある3人だった。


「ゆ、ユース……」


 カノーラさんがびくっとする。


「……そいつがお前の新しい彼氏なんだよな?」


 ユースが拳を鳴らしながら、再三同じことを確認している。


「絡まないで。もうあなたには関係ないでしょ」


 カノーラさんが僕の前に割り込んで、通せんぼするように両手を広げた。

 ユースはちょっとニヤけながら、カノーラさんの肩越しに僕を見ていた。


「関係ないわけねーだろ。別れるだの、『エンゼルスカート』も脱退するだの、こいつのせいでメチャクチャだ」


 僕は目が点になる。


 ……え、『エンゼルスカート』を、脱退?

 しかも、ユースと別れて?


「どけ」


 ユースがそんなカノーラさんを突き飛ばすように横に押しのける。


「きゃっ」


 カノーラさんが床に倒れ込んだ。


「おい」


 僕はユースを睨む。

 さすがにこれにはイラッと来た。


「へっ、やる気になったか? ちょうどいい。チノミ、俺と決闘しろや」


 ユースが僕の襟首を掴んで凄んだ。


「………」


 僕は睨み続ける。


 酒臭い息にまみれながら、なんとなくわかってきた。

 カノーラさん、こいつと縁を切ったんだ。


 納得していない様子から、一方的な終わり方だったのだろう。

 ならこいつは、ただ怒りのやり場を僕に向けているだけか。


「放せ。お前の相手なんかするわけないだろ」


 頭にきていたが、手は出さない。


 馬鹿の相手をしてバカを見るのは自分だ。

 こんなんで護衛隊入りがおじゃんになったら、目も当てられない。


「――お前ムカつくんだよ!」


 直後、バキッ、という音とともに、世界が揺れた。

 ふわりと宙に浮いている感じがした後、後頭部に衝撃が走って、目の前が真っ白になった。





 ◇◆◇◆◇◆◇





 殴られたテルルは吹き飛び、依頼の貼られた壁に激突すると、そのままずり落ちて床でぐったりとした。


「――きゃっ!? テルルくん!?」


 カノーラが真っ青になりながら、テルルに駆け寄る。


「ユース! あんた何考えてるのよ!? 本気でやるとか、除名になるわよ!」


 カノーラがテルルを抱え上げながら、罵声を浴びせた。


「はぁ?」


 ユースは大げさに肩をすくめてみせた。


「ただの喧嘩で騒ぐんじゃねぇよ。一発殴ったくらいでよ」


「あんたのレベル考えなさいよ! そんな力いっぱいやったら死んじゃうでしょ!」


「――お前が俺と別れるとか言うから悪いんだろが!」


 そこで、ふいにテルルが目を覚ました。

 ぱちぱちと瞬きをする。


「テルルくん!」


 カノーラが気づいて、その頬に手を当てる。


「……大丈夫?」


「………」


 テルルはそれには応じず、ただ、ニヤリとする。


「……テルルくん?」


 今度はカノーラが目をぱちくりさせた。


 テルルは何事もなかったように起き上がり、肩と首をコキコキと慣らす。

 そしてユースに向き合うと、言ったのだった。


「感謝するぞ、ユース」


「……はぁ?」


「本当にいいタイミングでやってくれた。これで己が王宮に行ける」


 間に合えばいいが……と言いながら、テルルはもうユースを見ていなかった。


「……テルルくん?」


 カノーラとユースは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 テルルの思考が全く理解できない。


 言うまでもない。

 殴られたことでテルルの意識が飛び、辛抱強く待機していた魔王がその隙に出現することができたのである。


「ではな」


「ふざけんな待てよ」


 立ち去ろうとしたテルルの右肩を、ユースが左手でぐいと掴んで振り返らせた。


「――まだ終わりだなんて言ってねぇだろ!」


 振り向かせるやいなや、ユースが再び右の拳を突き出した。

 効いてないと見て、さっきよりも力を込めた一撃である。


「――きゃっ、やめて!」


 カノーラが慌てて駆け寄ろうとするが、間に合わない。


 パァァン、という乾いた音。

 突き出されたユースの拳は、やすやすとテルルの手のひらで止められていた。


「……なっ」


 ユースが目を白黒させる。


「て、テルルくん……!」


 カノーラが目を輝かせる。


「――感謝している間にやめておけ」


 真顔になったテルルが、ユースをギロリ、と睨む。

 それはさっきの睨みとはまるで違う、ずしりと『圧』のある睨み。


「う……わ……」


 ユースはぞっとして、息ができなくなる。

 拳をぐい、と返されると、ユースはそのまま尻餅をついた。


「これ以上は己が黙っていても、リリスやフリアエが黙っておらぬ。本当に死ぬぞ」


 ユースがびくりとする。

 その言葉を示すように、ユースの頬を冷たい『なにか』が撫でていったのである。


「………」


 ユースはあまりの恐怖に真っ青になった。

 死が、唐突に現実味を帯びていた。


「聞こえたな?」


「あ、あひ」 


 ユースはこくこくと、慌てて頷く。

 返事を確認したテルルはくるりと背を向けると、一転して軽やかな足取りで立ち去っていった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「♫いつかは~るるる~♫」


 いつもの宿に戻り、ツナとニンニクと大根おろしのパスタランチ(大盛)を完食した魔王は、王宮への道をほがらかに歌いながら進んでいた。


 聖女がハンカチを拾った男を探している。

 テルルがまとっていた魔王の空気に気づいたのかもしれない。


 張り出しからすでに一週間以上が過ぎているのが少々心配だが……。

 諦めずにまだ探してくれていると良いが。


「それにしても」


 魔王は空を見上げ、ニヤリとする。


 テルルに仮面舞踏会に出向かれた時は、全て終わってしまったと三下のやられ役のように膝を叩いたものだが、未来というものは本当にわからない。


 どうやって王宮に忍び込んで接触するか、ひたすら頭を悩ませていたが、まさかあちらから探してくれようとは。


「簡単過ぎる……!」


 これで終わるのだ。

 己の不始末が世に広がることを懸念する必要など、まるでなかった。


「アハハハハ――!」


「………??」


 高笑いしている己を、馬に乗った兵士たちが奇異の視線を向けながら、ポカポカとゆっくり追い抜いていく。


「そうだ、次の手を考えねば」


 己は真顔に戻り、腕を組む。

 もう終わりは近いが、事が長引いた時のことも考えておかねば。


 そう。万が一、次にテルルに戻ってしまった際のことである。


『己彼魔王』を『おつかれ魔王』と読まれた日には、さすがに絶叫した。

 誰がねぎらってほしくて毎日それを書く。


 手に書いた時点で『己』が『乙』に見えてしまったことも敗因だ。

 もっと確実で、わかり易いものでなければ……。


「ふむ……これでいくか」


 今回は真摯に訴えるものにしてみた。



 この身を借りるもう一人こそ、魔王なり。

 世を滅ぼしに来たのにあらず。小用を済ませて発つべし。

 願わくば、しばしこの身を己に預け給う。



「よし。万全だ……」


 これなら確実に伝わる。

 己の思慮深さに脱帽してしまう。


 後でこれを紙に書いて置いておこう。

 朝にすぐに手を伸ばすであろう水の瓶のそばに置いておけば、確実に目に入ること請け合いである。

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