第42話 ハンカチが伝えるもの
祝いの会は中盤にさしかかっている。
リノファは聖女であるが、その美しさゆえに第一王女よりも名の知れた王女でもある。
座ってゆっくり紅茶を飲むことはできなかった。
こういった会では暗黙のルールとして、1時間を過ぎると、地位に関係なく挨拶に回ることが許される。
それゆえミュンヘン王国内の王国議会の議員、貴族では特に地区を治める辺境伯たち、そして商業ギルドの幹部などが、次々と印象を良くしようとやってきたのである。
「リノファ様と踊れるのを楽しみに来たんですよ。そう言わずに一曲だけどうです?」
中には始まってしまったダンスの誘いに、着飾った小国の第一王子までもがやってきていた。
「申し訳ありません。私は聖女となってしまいましたから」
さすがに手を取り合うダンスは丁重に断った。
婚約することになるであろう勇者に気を遣う、という建前とさせてもらったが、もちろん本当のところは違う。
自分が望んで触れたい方は、世界にただひとり。
心はすでに、その方に奪い去られてしまっている。
「はぁぁ、やっぱ勇者様ですか。そりゃ敵わない」
「ふふふ」
心の中では、初めて勇者の存在が役立ったと、なかなか失礼なことを考えていた。
そうやってあまたの相手と話をすること、しばし。
「それではまた来月の会議で」
「はい。わざわざありがとうございました」
そんなリノファも、商業ギルドの幹部を最後に、やっとひとりになることができた。
壁際まで逃れてよりかかり、ふぅ、と小さく息を吐く。
ドリーンはすでに席を外し、遠くのテーブルで現宮廷魔術師のマッハとともに、他国の同業者となにやら熱心に話し込んでいる。
男相手ではないのが残念である。
「………」
そうやって一般人に紛れて舞踏会を見ると、あらためてその華やかさに気づく。
集まった人たちからすれば、豪華なシャンデリアの下で男女がダンスを踊る様は、まさに吟遊詩人が唄う世界なのだろう。
その中の一組、楽しそうにダンスらしからぬものを踊っている様子が目に留まった。
先ほど注目を浴びたユキナと、その相手らしき男だった。
さっきのが衝撃的すぎて、名前がどこかに吹き飛んでしまった。
なにか涼し気な名前だったのは覚えているのだが……。
カノーラが舞踏会会場から立ち去っても、ユキナはしばらく男の手を掴んだままであったのを、リノファはしっかりと見ていた。
(仲がいいお二人ですね……)
当初から現場を目撃していた者の証言によると、どうやらユキナとあの男性は幼なじみらしかった。
【四紋】となって王都にやってきたユキナを追って、あの男は辺境から単身出てきたらしい。
そうして愛し合い、ああやって手を取ってダンスを踊っている。
それを聞いたリノファは、なんて素敵なのだろう、と羨ましく感じていた。
リノファは自分の気持ちで相手を選ぶことは許されない。
幼馴染と愛し合えるとは、自分にしたら夢のまた夢である。
あの二人の恋はぜひ実るものであってほしい、と願わずにはいられない。
「おや、雲隠れ中でございますかな」
そんなことを考えていた折、横から野太い声がかかった。
見ると白髪、白眉の紳士が穏やかな笑みを浮かべながら、そばで片膝をついている。
リノファは昔から知っている顔で、先ほど祝いの会が始まる前に軽く挨拶程度は済ませている。
「アラン、ご無沙汰でしたね」
そう、やってきたのは『白眉の達人剣』アラン・ブルームであった。
齢60を軽く過ぎるであろうこの男は、かつてミュンヘン王国軍の第一剣師範代の地位にあり、リノファが剣を習った師でもある。
「当代の聖女はやはり、リノファ様でございましたか。この老いぼれの目もまだ節穴になってはおらんようです」
容姿といい、ガハハハ、と豪快に笑う様といい、アランは何も変わっていなかった。
以前に会ったのはもう5年以上も前なのに、この男は老いるということを知らないようである。
だからこそ、神はこの男を【四紋】に選んだのかもしれない。
「アランが居てくれるのなら、心強いですよ」
「この老いた身になにも未練はございません。率先して骨となりましょうぞ」
「ふふ、大丈夫ですよ。アランのことも、メモルさんが守ってくれます」
リノファは明るく言った。
メモルとは、当代の『四紋』に選ばれたドワーフの少女である。
その存在の噂は、数年前から異国のこの地にまでも及んでいた。
物理、魔法のあらゆる攻撃を無効化し、火龍の息吹にすら耐えてみせる【神盾】のドワーフがいる、というものである。
彼女が世に現れたことで、勇者たちの存在が明らかになる数年前から、当代の魔王討伐が近いのでは、と噂されるほどであった。
「か弱そうに見えるあの少女に守られるのは、実は少々癪ではあります」
「アランったら」
そう言って二人でひとしきり、笑い合う。
「頼りにしていますよ、アラン。……さて、私とばかり話していると怒られそうです」
リノファが示すように、周りに視線を向ける。
二人の周りに、いつのまにか人が集まってきていた。
彼らは一様にアランに目を向けている。
当然と言えよう。
『白眉の達人剣』は、童話になるほどの存在である。
このような場に列席することも異例中の異例。
赤の他人であったなら、自分とて会って話したいと思うことだろう。
「……アラン・ブルームさんですよね?」
「ぜひ握手を!」
「いやいや、人違いというやつで」
この期に及んでとぼけるアランに軽く吹き出しながら、リノファはその押し寄せた人混みから出ていく。
◇◆◇◆◇◆◇
テラスにやってくると、周りにはすでに出来上がったカップルが2つほど、篝火のそばで恋を語らっている。
アランのおかげで少しは気持ちが楽になっていたものの、リノファはもう笑顔でいるのがつらくなって、ひとりで夜風に当たりたくなっていた。
「はぁ……」
テラスの柵に手をかけ、ひとり星空を眺める。
黒髪が風にもてあそばれて、後ろにふわりと流れる。
恐れていた通りの事態になっていた。
一人になると、はっきりとわかる。
実際に会ってしまったことで、【勇者の呪い】は力を得て、以前にもましてリノファの心の中にあぐらをかくようになってしまったのである。
今や抑え込むことも到底できない。
四六時中、目を合わせているような状況になっている。
(………)
先ほどのユキナと男のやり取りを思い出すと、涙が出そうになる。
どうして自分は好きにもなれない相手を強制的に想わねばならないのだろう。
どうして……。
「だめ、しっかりしないと」
リノファは自分に活を入れる。
まだ【祝いの会】は終わっていない。
くよくよするなら、全て終わってから。
自分は世界を背負う聖女になったのだ。
情けない姿は、誰にも見せられない。
◇◆◇◆◇◆◇
人酔いした感じがして、テルルは会場の後ろ側に見えているテラスへと向かっていた。
こんなに大勢が集まる一室で過ごしたのは、テルルにとって生まれて初めてのことであった。
「でもよかった……会えて」
テルルは仮面の下で自然と笑顔になって歩く。
あれからしばらくユキナと過ごし、テルルは満足だった。
不格好ながらも舞踏会らしく手を取り合ってダンスも踊れて、ユキナの元気になった姿も見れて。
あと、最初は疑問に思ったものの、仮面もあってよかった。
下手な踊りを見られても、全く恥ずかしくないもんな。
仮面舞踏会って、そう言う理由で参加しやすくしてあるんだな。
「カノーラさんに礼をしなきゃな」
こうしてユキナと一緒にいられたのは、ひとえにカノーラのおかげだ。
当初のユキナは、やってきたテルルを突き放すつもりでいたのは明らかであった。
そうと決めたらきかないユキナのことである。
あのままでは、ダンスどころか、二度と手も握らせなかったに違いなかった。
それが、カノーラが大勢の前も厭わず一芝居打ってくれたからこそ、ユキナは素直になった。
わざと煽る言い方をしていたものの、あれは間違いなく、ユキナへのカノーラの思いやりだった。
本当にカノーラがテルルを狙っているならば、あそこで黙っていればよかっただけなのだから。
(やはりカノーラさんは、みんなに好かれるだけのことはある)
彼女がギルドの受付をやっている時とか、混み方から違うもんな。
残念ながら、テルルが探した時にはカノーラは会場を立ち去っていた。
受付に聞くと、仮面を外してしまったからという理由で、途中退席したらしい。
帰ったらきちんと礼をしなくては。
「今日は我々のために集まってくれて……」
背後からは、勇者の挨拶が聞こえてくる。
勇者パーティの6人が壇上に再度集まり、最後の締めくくりの挨拶が行われている。
振り返ると、ユキナもそこに立っているのが小さく見えた。
見ていてあげた方がいいかな……いや、やめとこう。
倒れたりしたら、せっかくの会が変な騒ぎになってしまう。
(申し訳ないけど、ちょっと風に当たってこよう)
テルルは戻ることはせず、そのままテラスへと出た。
このような、一見なんてことのないこの判断が、二人の運命を引き寄せる分かれ目となっていた。
「ふぅ」
焚かれた篝火の横を抜けながら、ぐーん、と伸びをして大きく息を吸う。
星空が綺麗だったので、篝火から離れて、柵に両手を載せた。
「よーし……」
ユキナと約束したからな。
絶対に護衛隊にならなきゃ。
そのためには、もっともっと強くならなきゃ。
まずはユキナも言っていた『タイラント』のカードを手に入れよう。
前衛職業の自分を大きく強化してくれるらしいからな。
「頑張るぞ〜……ん?」
そこで、テルルは足元に白いものが落ちていることに気づいた。
拾ってみると、それはハンカチだった。
女性のものである。
汚れてもおらず、きっと今しがた、ここに来た誰かが落としたものだと推測がついた。
「………」
手に持っただけで、良い香りがテルルの鼻をくすぐった。
いい香りだ、と心が喜ぶ感じがする。
「あ、これ……聖女様のだ」
テルルは無意識につぶやく。
なんでこんなところに落ちてるんだろ……。
「……って、え?」
全身に鳥肌が立っていた。
自分の反応に。
「ど、どうして……!?」
話したこともない相手の名が、口をついていたのである。
「……どういうこと……?」
テルルはハンカチを食い入るように見つめる。
気分の悪さなど、一瞬で吹き飛んでいた。
なぜ……?
なぜ僕は、この香りが聖女のものだと知っている?
◇◆◇◆◇◆◇
「不思議だ……」
いや、ただの僕の思い込みなのかもしれない。
夢を見て、いつからか勝手にそう思い込んでいるのかも。
でももし本当だったら……。
「行ってみよう」
テルルはハンカチを懐にしまい、踵を返した。
今なら、確かめることはできる。
テルルは広間を出た時とは打って変わった表情で、会場に戻る。
勇者たちの挨拶が終わり、舞踏会はお開きになったところであった。
テルルの予想通り、勇者たちは出口のところで参加者を一人ひとり見送っている。
そこに、目的の人も立っている。
ユキナたち【四紋】の四人の後に、勇者、最後にその人。
テルルは仮面を直すと、出ていく人の列に並んだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「頑張れよー」
「この度はありがとうございました」
「魔王は俺が倒してみせる」
リノファたちは一列に並び、一人ひとり去っていく参加者に参加の礼をする。
勇者クリードと聖女リノファは列の末尾で、最後に丁寧にお送りする役目である。
「あ、りがとうございました……」
しかしこうして勇者の隣に立っていると、【勇者の呪い】は到底看過できない。
抗おうとすると胸が悪くなり、笑顔を浮かべることすら大変な苦行になる。
だがもう少し耐えれば、ひとまず終わる。
終われば、勇者から離れられる。
自分は聖女。
耐えなくては。
「ありがとう、ございました……」
単調な応対になりつつも、一分一秒を必死に耐え抜こうとする。
もう少し。
もう少しで、終わるから。
そう言い聞かせて、ひたすらに耐える。
「……これ、違いますか」
だから、挨拶ではない言葉をかけられても、リノファはすぐに反応することができなかった。
「……はい?」
リノファはまばたきをする。
目の前には差し出された、見覚えのあるハンカチ。
顔をあげると、仮面をつけたひとりの男性が立っていた。
「聖女様のものではありませんか」
「あ……」
そこでやっと気づく。
懐をさぐり、それを持っていないことにも。
どこかで落としたのだ。
「すみません、私のものです」
会が始まってからは確かに、落としたことにも気づかないくらいの精神状態だった。
「……本当にそうでしたか」
不思議と男性は驚いたような様子を見せていた。
しかし、重たい呪いのせいで、今のリノファは他人のことを気にする余裕がなかった。
「どうぞ。テラスにありました」
「ありがとうございます」
リノファは差し出されたそれを両手で受け取る。
「………」
その瞬間だった。
リノファは、硬直した。
「……えっ……?」
頭が真っ白になっていた。
作り笑いなど、どこかに消え去る。
「えっ……えっ!?」
受け取った一瞬の、変化。
だが苦悶していたリノファが、それを見逃すはずがなかった。
そう、消えていたのである。
【勇者の呪い】が。
かすかに指と指が触れただけで。
「うそ……」
そんな。
これは、まさか――。
「……あ、あのっ!」
リノファが突然、大きな声を上げた。
隣りにいた勇者や、【四紋】の者たちが、ぎょっとする。
しかし、呆然としたリノファがことの重大さを理解し、声を発するまでに時間があった。
帰る者たちの列はすでに流れ、リノファの前には、全く違う肥満体の老人が立っていた。
「はて?」
老人が首をひねり、不思議そうにリノファを見る。
「――騒ぐな。時と場所を考えろ!」
重ねて、隣に立っていた勇者が怒鳴る。
そのせいで、小事がすっかり大事に変わっていた。
「………」
列が止まり、唖然とした様子で皆がリノファを見ている。
「し、失礼しました……」
リノファは取り乱してしまったことを知り、頭を下げた。
今は私事を優先していい場ではなかった。
「ありがとうございました」
リノファは体面上、先程と変わりなく応対を続ける。
しかし頭の中は晴れ渡り、急回転していた。
強烈な力であった。
たった一瞬触れただけだったにもかかわらず、まだ【勇者の呪い】は怯えたように萎縮し、その力を失っているのだ。
――そう。まるであの方に触れた時のように。
(まさか、あの方が……?)
考え始めると、リノファはそうとしか思えなかった。
触れた時の変化が、全く一緒だったのである。
こうなると、後悔の念が胸を占拠する。
……どんな人だった?
顔をちゃんと見ていなかった。
相手は仮面もつけていただけに、なんの手がかりも掴めていないかに思えた。
(――いえ、ゼロではない)
リノファの目に、力が宿る。
手がかりは残されている。
そう。あの人は、ハンカチを拾ってくれた男性なのだ。
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