第41話 劇以上のもの



「あら、あそこにいるのはユキナさんですか」


 リノファの隣りに座っていたドリーンがテーブルに両手をつき、軽く前のめりになって目を凝らす。


 彼女たちは来賓への挨拶を終えた後、待ちかねていた個別の応対も終え、決められたテーブルに落ち着いていた。


 冷紅茶を口にしながら、ほっと一息の時間を過ごしているところで、ドリーンがそう言って立ち上がったのである。


「どこですか」


「リノファ様、あの人垣の中央ですわ」


 ドリーンがいつのまにか出来上がっている人垣を指さす。

 リノファたちに用意された席は階段で5段ほど高い位置にあり、ちょうど人垣の上から様子を見ることができた。


 リノファはドリーンの指さす方向に目を向ける。


「……確かにユキナさんですね。他に2人いますね」


 女、男、女の3人が多くの参加者に囲まれるようにして、立っている。


 しかし、彼らのまとう雰囲気は、ただ談笑しているというには程遠いものだった。

 むしろ……。


「……ねぇドリーン。あれってもしかして、『修羅場』だったりしますか」


 リノファの目には、ユキナともう一人の女が、男を引っ張り合っているように見えていた。


「……そうですわね。わたくしもそんな気がしてきましたわ」


 普段は冗談を言う余裕のあるドリーンも、今は驚いているようであった。


「ユキナさんのお相手の女、仮面を外しちゃってるように見えるのですが」


 リノファの問いかけに、ドリーンが頷く。


「かなりエキサイトしていると見ていいですわね」


 女と女の本気の修羅場が人前で開催されることなど、めったにない。

 それは人垣もできるわけである。


「ん? あれは……」


 ドリーンがなにかに気づいて、目を細めた。


「どうかしたのですか?」


「ユキナさんのやりあっているお相手……『ユリフィス・カノーラ』ではないでしょうか」


 ドリーンが目を細めながら、人垣の中をじっくりと観察している。


「……『エンゼルスカート』のですか?」


「ええ。噂の通り容姿端麗ですし、あのピンクがかった銀髪はなかなか居ません。そうだと思いますわ」


『エンゼルスカート』は国内でも名高い冒険者パーティである。


 王国軍が介入しづらい数々の難題を単体パーティで解決してきた実績があり、各地で人気が高い。

 メンバーには希少なAランクを持つ者もおり、その中から数名を護衛隊に引っ張るのでは、という噂もあるくらいである。


「そんな美女二人にひっぱりだこにされるとか……よほど素敵な男性なんですわね」


 ドリーンがにんまりしながら、渦中の男に目を向けている。


「勇者様を取り合っているのかと思いましたけど……別人みたいです」


「リノファ様。あの御方ではそもそも無理ですわ」


 ドリーンが小さく吹き出す。

 さすがにさっきのあれだけで人間すべてを否定するつもりはないが、勇者の第一印象は災害レベルと言ってよかった。


 あの勇者に寄りつく女がいるとしたら、それは別の意図がある者だけであろう。

 いずれにせよ、本気で取り合うはずがないのである。


「でも相当盛り上がっているのですわね。仮面を外してやり合うなんて」


「ホントですね」


 仮面舞踏会の会場ではどんな理由があっても、仮面を外してはならない。

 顔が見えてしまうと、舞踏会で作り上げている神秘性が損なわれてしまうからである。


 しかしながら、外したから退席させられるとか、そういった処罰ルールはない。


「……リノファ様、せっかくですから私達も行ってみません?」


「やめておきます」


 リノファは即答し、伏し目になって淡々と紅茶を口にする。


「せっかくですよ?」


「せっかくの意味がわかりません」


 異性に興味が無いのではない。

 自分にはすでに、心に決めた方がいるからである。


「きゃっ」


 しかしカップを置いた瞬間を見計らって、その手を引っ張られて立たされた。


「王宮に閉じ込められている生活では、素敵な男性に会える機会などそうそうありませんわ。さ、参りましょう」


「ちょ、ドリーン!」


「実はわたくしも見てみたくて」


 ドリーンはくすくすと笑って、リノファを引っ張っていく。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「ふーん。じゃあそう思っていればいいわ。あたしの方がテルルくんのことを知ってるってことだから」


 二人が人垣に近づいていくと、女の声が聞こえた。

 先程挨拶をしてユキナの声は知っていたので、これはカノーラのものだとリノファは理解する。


(テルル……)


 そこで、一躍人気の男性の名がテルルであることも知る。

 良い響きの名前だ、と思った。


「リノファ様、ここ」


 この隙間に入りましょう、とドリーンが小声でささやきながら、引っ張る。

 そこはちょうど王宮関係の者たちが集まっており、顔が利いてこっちこっち、と中に入る手引きをしようとしてくれている。


「もう、ドリーンたら」


 ドリーンは一度言ったらきかないところがある。

 おまけに自分と違って、異性への関心がなかなかに高い。


 護衛隊として魔王討伐に向かう前に、心の支えとなるような男性を見つけておきたいと常日頃から言っていた。


(はぁ……)


 まあ仕方ない。

 これも世間勉強だと思って……。


 リノファは下ろしていた髪を左耳の下で簡素に縛ると、意を決してそちらに向かう。


 ぎゅうぎゅう押されながら、なんとか前に進んでいく。


 人同士が集まっておしりで押し合う『おしくらまんじゅう』という劇を前に見たが、実際はこんな感じなのだろうか。


(ふぅ……やっと)


 そんな戦いも一分弱。

 やっと視界がひらける。


 リノファがひょい、と人垣の隙間から顔を出したちょうどその時、ちゅっ、という音があたりに響いた。


(………!)


 リノファはその光景を目の当たりにしてしまう。

 自分で、顔が真っ赤になっていくのがわかる。


 カノーラらしき女性が男性の首に腕を回し、大勢が見ている場であることもいとわず、頬にキスをしていたのである。


「――て、テルルに触るな!」


 直後、ユキナが二人の間を引き裂くように割り込んだ。


(えぇぇ……)


 リノファは口元を手で押さえながら、目を離せなくなっていた。


 本物だ。

 これ、本物の女の修羅場です。


 カノーラにしてやられたのであろう。

 あの淑やかそうだったユキナが鼻息を荒くして、カノーラを睨んでいる。


 しかも、渡さぬとばかりに男を抱えて。


「あと、もしあたしに負けたら、テルルくんのことは金輪際諦めてね」


「まだ言うか――」


「それじゃあね、ユキナさん」


 感情をあらわにするユキナを笑顔で受け流すと、カノーラが仮面をつけ直し、人の輪から出ていく。


 そこで、どこからともなく拍手が始まる。


「……なんでリノファ様まで拍手しているのですか」


「え?」


 笑いをこらえながら、ドリーンが隣で自分を見ている。

 リノファはわけがわからないまま、反射的に拍手していた。


 確かに、どこかの演劇などよりは、衝撃的であった。


「面白かったですわね。でも残念なことに、男の方はそれほど魅力的には見えませんでしたわ」


 ドリーンはため息をつくと、その顔に失望の色をありありと浮かべながら言った。

 相当に期待していたのであろう。


「ドリーン。なんなら割り込む気でした?」


「もちろんですわ」


 ドリーンは結い上げたベージュ色の髪を撫でながら、大きい胸を張ってみせた。


 良い男が見つかりさえすれば、何も恐れずに突貫する猛獣がここにいる。


「でも、仮面をされているのに、魅力とかわかるのですか?」


 リノファが不思議そうに言うと、ドリーンは憐れむようにリノファを見る。


「リノファ様。かっこいい男性というのは、顔を隠していようとそれなりの空気を身にまとうものなのですよ」


「空気……?」


「そうですわ。残念ながらあの男性には、それがありませんでしたの」


 ドリーンがため息をついた。


「カノーラまでもが取り合いに参加するくらいだからと期待しましたけど、わたくしの理想とは違うようでした」


 今日は不作に終わりそうですわ、とドリーンはどこまでもソコを気にする女だった。



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