第34話 祝いの会を控えて(リノファ編)


 窓から木漏れ日が差し込む、穏やかな午後のひととき。


「ねぇあそこ。見てください、ドリーン」


「あら、姫様と同じ色のが来ていますね」


 さらりとした黒髪の女が窓の外をそっと指差すと、ベージュ色の髪を束ねた別の女が、窓に近づいて微笑む。


 ここはミュンヘン王国の東王宮の一室。

 窓の外の梢には、珍しく黒いとさかのある小鳥が現れ、その小さな胸を張るようにして元気な鳴き声を披露していた。


「今日はなにか良いことがありそうです」


「姫様お慕いの魔王様に逢えるとか、ですか」


「ふふ。ドリーンたら」


 嬉しそうにクスクスと笑うこの黒髪の少女こそ、生まれながらの美しさで知られるミュンヘン王国の第二王女、そして当代の聖女リノファ・ロッシェル・イルショコラである。


 雪のように白い肌と、そこにもたらされた天性の美貌。

 それが調和した彼女は、17歳にしてすでに他の追随を許さぬほどであった。


 なお、リノファの話し相手になっているドリーンという女は、同王国の第二宮廷魔術師の地位にある。


 リノファより2歳年上だが、母が宮廷の高官だったこともあり、二人は小さい頃から色々なことを一緒に乗り越えた幼なじみでもあった。


「ところでリノファ様。『祝いの会』でお召しになる服はお決まりになりまして?」


 ドリーンは手元にあった桜茶を皿に載せたまま手に取る。


「……はい」


 ついさっきまで明るい表情だったリノファは、ドリーンの言葉を聞いて、あからさまにその色を失う。


「姫様。ほら、せっかくお美しいんですから。当日は絶対にそんな顔をなさってはいけませんよ」


 ドリーンが苦笑いすると、リノファは無言のまま力なく頷き、同じように桜茶の皿を持った。


『祝いの会』とは、魔王討伐に向かう勇者パーティ6人が世に舞い降りたことを祝うものである。


 言うまでもなく、この会にはその6人、つまり他国に現れた別の『四紋』、そして勇者も招待される。


『祝いの会』というものが、リノファの中で大変な重荷になっているのはそこである。

 リノファはその会で、勇者となった者と会わねばならないのだ。


 まだ直接会ったことはないものの、リノファはその男の容姿を知っている。


 六歳になったその日から、リノファの脳裏に勇者が居座り、寝ても覚めても常にリノファのことを見つめているからである。


 これこそが聖女にもたらされる『勇者の呪い』と呼ばれるものであった。


 本来なら、六歳になって凛々しき男の姿が現れたならば、女は涙を流して聖女となったことを喜ぶ、と古き書物に記されている。


 偉大にして最強の男に、海よりも深き寵愛を賜る約束を得たも同然だからである。


 しかし、リノファは違った。


 呪いで現れた勇者は、顔の左側だけを持ち上げるようにして笑う。

 それはまさに、前世の勇者の癖だったのである。


 前世の勇者は、世界よりも自分の愉しみを優先する生き方をした。

 勇者であることを良いことに毎日毎日、水の代わりに酒を呑み、女という女を片っ端から手にかけて遊び歩き、肝心の自身の強化は後回し。


 結局、魔王と対峙した際、一番レベルが低かったのは勇者であった。

 パーティの一番のお荷物も、勇者であった。


 それでいて『自分がこのパーティを牽引している』という自負を持っていたあたり、救いようがなかった。


 その軟弱な男を守るために、前世の護衛隊の命が次々と散った。

 その中には、今のドリーンのような、リノファの幼なじみの友も含まれていた。


 いくら定めと言われても、そんな勇者を前世のリノファが愛すはずがなかった。


 内心は、魔王に負けて早く死んでしまいたいと望んでいた。

 もし魔王に勝利して生き残ってしまうと、聖女である自分は勇者の子をもうけ、一生を共にしなければならないからである。


 今回も聖女として生まれた彼女は、前世と同じ相手とともに、同じ道を歩むことを約束されている。


 それでもリノファの心は闇ばかりではない。


 明るくユーモアに富んだ友人のドリーンがいる。

 そして、常日頃から心の支えにしている『お方』も。


「今度の私は……大丈夫です……」


 リノファは桜茶を音を立てないようにテーブルに戻し、首から下げているネックレスに手を持っていく。


 そこにはキズの付いた銀色のボタンが貴金属の鎖に通されて掛かっていた。

 それを握ると、リノファの心はいつも安堵を取り戻すのだった。


「姫様、まさかそのネックレスも当日されていくおつもりで?」


 いつもの仕草を見て、ドリーンが訊ねてくる。


「当然です」


 リノファは何を今さら、という顔をする。


 リノファはこれが何か、覚えている。


 前世を終えねばならなくなった瞬間、そばに居た方の胸にあったものを思わず引っ掴んできたものである。


 そう、魔王が身につけていた衣のボタンなのである。


 聖女なのにはしたないことを、と自分で思いながらも、その手を止められなかった。


 聞けば、リノファの母や産婆たちはひどく驚いたという。

 リノファが母体から出てきた時、産声を上げながらこれをしっかと握っていたというのだから。


「お外しになった方が良いですよ。見る人が見るとわかります」


 すべてを理解しているドリーンは、リノファの今後を気遣って言った。

 古代語魔法には、悪しきものを鑑別する〈邪悪診断センス・イーヴィル〉という魔法があるのである。


「私のお守りです」


「よく承知していますよ。でも……」


 ドリーンは困ったように言った。

 この世にあってはならぬほどの品を、よりにもよって聖女が肌身離さずつけていると知れたら、おおごとである。


「これがあると、勇者がうるさくないのです」


「リノファ様」


「……わかりました」


 リノファは不承不承ながらも、ドリーンに従うことにする。

 まぁ、その日1日をしのげぱよいのであるから。


「いつもの魔王のお話も、現地では絶対禁止ですよ」


「どうしてですか?」


「まさか聖女が『魔王善人説』をあそこで唱えるおつもりですか」


「その『まさか』です」


 リノファがニッコリと笑う。


「その『まさか』だけはいけません」


「どうしてですか」


「どうしてもクソもありません」


「………」


 あられもない言い方に、リノファは小さく口を尖らせた。

 それを見たドリーンが軽く吹き出す。


「本当にやる気ですか」


「もちろん。私、皆を説き伏せられる自信があります」


 リノファは胸の前で、小さな拳を作ってみせた。


「リノファ様、絶対にいけません。事件になります」


「だってホントのことなのです」


「だから、だってもクソもありません」


「………」


 また口を尖らせるリノファに、ドリーンは堪えきれずに笑い出す。


「リノファ様、わかってるくせに言ってますね」


「ふふふ」


 リノファも笑い出す。


「頭の固い来賓も大勢招待されますからね」


「わかっていますよ。ドリーン」


 ドリーンが言う頭の固い連中とは、『光の神ラーズ』を信仰する者たちを指している。

 彼らの教義の中では、魔物はすべからく悪だとされているためである。


「勇者パーティの面々を見てみて、言いやすそうな人からにしようかと」


「護衛隊を志す方も来てくれるでしょうしね」


 リノファは笑顔になり、頷いた。


 この『祝いの会』には人数制限があるものの、冒険者たちも参加することが許されている。

 そのほとんどが護衛隊を志しており、6人からの印象を良くして自身を選んでもらえるようにとやってくるのである。


「はい。人を見てから少しずつ味方を増やします。ドリーンも手伝ってくれるのでしょう?」


「その手伝いから逃れられるとは思っていません」


「ふふふ。期待しています」


 二人は笑い合いながら、桜の花びらが浮いた茶を口に運ぶのであった。



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