第二部

第33話 気遣い魔王 宿に戻る


 宿の扉を開けると、カランコロン、と鈴が鳴った。

 とたんに馴染んだ喧騒とアルコールの香りに包まれて、なにか安堵させられるものがある。


「おやおや、やっと帰ってきたかい」


 女将が声をかけてくる。


「夕飯まだ間に合いますか」


「残り物で良ければつくってやるけど」


「ありがとうございます」


 昨日、己は『ウェアウルフの討伐証』を手に入れるため、カノーラの案内でミュンヘン王国の王都からやや離れた村に出向いた。


 遭遇まで数日を覚悟して依頼のあった家で寝泊まりし始めたが、幸い翌日の朝にウェアウルフを倒すことができた。


 キュノケファルスと化したせいで、いろいろあったが。


 ともかく、村で事後処理を済ませ、日が暮れた先ほど、討伐した証を手にこの王都に戻ってきた。


 世話になったカノーラとは、ついさっき別れたばかりだ。


「あんちゃんも呑むか」


「いえ、お腹がペコペコなので」


 宿屋の一階では、すでに酒の回った者たちが昔話で盛り上がっている。

 彼らの大半は冒険者ではなく、王城の堀の掃除をするために雇われた、季節労働者たちだ。


 己もここに泊まり続けてそれなりの日数が経っているので、たいていの者が顔なじみになっている。


「ガハハ、食べ終わったら一緒に呑もうぜ」


「ありがとうございます」


 楽しそうな彼らにひとまず水の入ったグラスを掲げて、乾杯の合図をする。


 魔界の者たちと比べると、人間たちは素直に笑う。

 酒場の底なしの明るさは、己にとっては新鮮で好ましいものだった。


「ほれ、できたよ」


 女将が作ってくれたのは、アサリとニンニクの塩味スープパスタである。

 己が大食いなのを知っており、言わなくても山盛りで出てくるのがありがたい。


「ん~うまい」


 この宿が常に人でごった返す理由がわかる美味しさだ。

 これだけ繁盛しているのだから、この宿はそのうち増築してもっと大きなものになるであろうな。


 そんなことを考えながらパスタを食べていると、突然酒場が静かになった。

 チラと見ると、入り口の扉のところに二人組の男がやってきていた。


 来客なだけでこうも静かになるものか、と思っていると、どうやら別に理由があるらしい。

 二人組の男はニヤつきながらカウンターまで行くと、座るわけでもなく女将に絡み始めた。


「女将さん、流行ってるじゃねぇか」


「俺たちのおかげだよなぁ。よかったなぁ」


 女将は聞こえないふりをして、注文伝票をまとめている。


「おーい、店じまいだ、お前ら出ていけ!」


 そう言って二人組の一人がカウンターの椅子を蹴飛ばした。

 椅子は派手に壊れて、辺りに散乱する。


「………」


 食べていた己の手が、ぴたりと止まる。


「――出て行けっつってんだろ!」


 もう一人の男が、凄みながら懐から剣を抜いた。


 剣は一辺だけが鋭く磨かれた曲線型の刃で、弧を描くように湾曲している。

 ファルシオンである。


 さすがに武器を抜かれると、騒いでいた男たちも無言で宿から出ていく。

 一分と経たないうちに、奥のテーブルでパスタをすすっている己以外は、客は居なくなった。


 だが、己ひとりくらいはどうでも良かったらしい。

 ふたりはカウンターの方を向いた。


「おい女将、早く出せ」


 椅子を蹴飛ばした方の男が、カウンターに土足のまま足を載せ、手を差し出す。


 女将は無言のまま、わかっていたかのように懐から布袋を出し、カウンターごしに男に渡す。

 遠目に見ても、大金が入っているのがわかる厚い袋だ。


 男が中身を改め、ニヤリとした。


「わかってるじゃねぇか」


「こうして素直に払えばなにもしない」


 嬉々とする男たちに反して、女将はこちらに背を向けながら目元を拭った。


「また来週な」


 男たちは満足そうに宿から出ていった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「なぁ女館に行こうぜ」


「へっへっへ。朝まで遊べる額だ。貯め込みやがって」


 宿から出た二人組の男が、満悦そうにしながら歓楽区の方へと歩き始める。


「――悪徳冒険者か」


 そんな彼らの後ろから、ため息混じりの声がした。


「あぁん?」


 二人が振り返ると、そこにはまだ若い男が立っていた。

 黒髪でとりわけ背が高いわけでもなく、隆々としているわけでもない男。


 宿の店の奥で、一部始終を見ていた男であった。


「なんだお前は」


「おおかた『魔物から街を守っている』などとうそぶいて、このあたりの店から巻き上げているんだろう?」


「……てめぇ」


 男二人の顔色が変わる。


「誰か知らねぇが、その辺にしとかねぇと、怪我することになるぜ?」


「金を女将に返せ」


 黒髪の若い男は脅しが聞こえなかったかのように、言葉を返す。


「よっぽど死にたいらしいな」


「てめぇ、こっち来いや」


 二人組のひとりが無防備に近づくと、若い男の胸元を掴んで狭い路地へと連れ込もうとする。


 しかし、できなかった。


「ぐぇっ!?」


 男は手をひねられ、宙を一回転していた。

 そのまま背中をしたたかに打ち、あえぐ。


「――てめぇ!」


 二人組のもうひとりが剣を抜いた。

 例のファルシオンである。


 通りを歩いていた他の者達がそれを目にするや、ひぃ、と悲鳴を上げて離れていく。


 だが相対していた若い男はまるで意に介した様子もなく、むしろファルシオンの男の方へと近づいていく。


「やはり己は良い人間ばかりを見てきたようだ。この世界も探せば腐ったクズが混じっている」


「冒険者様に向かって、なんだその口のきき方は!」


 男がファルシオンを横薙ぎに振るう。

 曲がりなりにも、冒険者の名を持つレベルの一撃。


 しかし次の瞬間。

 バキ、と音を立ててファルシオンが半ばから折れた。


「うえぇ!?」


 振るった男は、なにがどうなって折れたのか、わからない。


「ろくに鍛えてもおらぬな」


 若い男はファルシオンの男の手を掴むと、ひねってまた宙を踊らせた。


「はぐっ」


 ファルシオンの男が、つるんでいたもう一人の男の上に重なり落ちる。下で潰された男はぐぇっ、と呻いて白目をむいた。


「まだ足りぬような顔だな」


 若い男が、上の男の胸ぐらをつかみ、起こす。


「――と、とんでもございません!」


「一般人に向かって剣を抜くとは」


「ぶぇぁあああ!?」


 男は捻りあげられた右腕を押さえながら、呻く。


「やりたければ今後もそういった悪さを続けるがよい。だが次会えば、己が地獄に連れてやろう」


 若い男の言い方は、まるで自分の手で本当に引っ張って行くかのような現実味があった。


「あひ、あひっ」


 捻りあげられた男は涙目になり、しきりに頷いた。

 あと数ミリでも捻り上げられたら、肩ごと折れる。


「さっき女将から巻き上げた金と椅子の代金を出せ」


「あひっ、ず、ずぐに!」


 男は反対の手で懐を探ると、慌てて先程の布袋と金を足元に落とした。


 それを確認し、男が悪徳男の頬を張る。

 とたんに白目を剥いた。


「やれやれ。こんな虫がついていようとは。もっと早く気づいてやれれば……」


 若い男はそう呟きながら金を拾うと、出てきた宿へと戻っていった。







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