第31話 怖い魔法


「カノーラさん、カードか何かで自身のヘイトを上げていますね?」


「………」


 テルルの問いかけに、カノーラが黙り込む。


「カノーラさん」


「……だって、敵がテルルくんに向いたら危ないもの」


 カノーラは小声で独り言のように言った。


『ヘイト』とは敵からの憎しみの度合いを表しており、戦闘中に常に変化する。


 これが高い状況では、その敵からの攻撃を受けやすくなる。


 攻撃を受けるたびにヘイト値は下がり、0になると狙われ方は他と変わりなくなるが、躱し続けているとヘイトは下がらないため、ずっと狙われ続けることになる。


「グルァァ――!」


 キュノケファルスが、大棍棒を唐竹割りに振り下ろす。

 テルルとカノーラは互いに左右に転がるようにして、それを躱した。


「―――!」

  

 しかしその直後、カノーラの右足に激痛が走る。

 棍棒が振り下ろされた拍子に、地にあった拳ほどの石が撥ね、カノーラの足に当たったのである。


「……くっ……」


 激痛で視界が揺れ、呼吸が乱れる。


(……こんなの、たいしたことない)


 カノーラは顔を歪めながらも、自分に言い聞かせ、起き上がる。


 ちら、と負傷した脚を見る。


 血が滲んでるだけ。

 立てるから、折れてはいない。


 しかし、少しでも力を入れると激痛が再来する。


 ……走るのは無理かも。


 この状況で走れないって、そういうことだよね。

 なんであたし、こんなに運が悪いんだろ。


「……テルルくん」


 カノーラが、三歩ほど離れた位置で魔物を睨んでいる男に声をかける。


「キミが強いのは十分わかったわ。でももう逃げて」


 カノーラは痛みに唇を震わせながらも、気づかせまいと堂々と剣を構える。


「カノーラさん」


「レベルは100かもしれないけど、自己治癒オートヒールできるヤツは無理よ。あたしが引き止めているうちに早く」


 そう言われても、テルルはカノーラの前までやってきて、わざわざ巻き込まれる範囲に立つ。


「テルルくん、約束したでしょ!」


 カノーラが後ろから大声を張り上げる。

 それでもテルルは聞こえないかのように、カノーラをかばって立ったまま、剣を構える。


「逃げてってば!」


「嫌です」


「あたし、もうAPがないのよ! 無駄死にす――」


「――グルォォォ!」


 キュノケファルスが棍棒を横薙ぎにしてくる。


 カノーラは転がって後退しようとする。


(あぅっ)


 が、予想以上の激痛に回避動作が遅れた。


(まずい――)


 この遅れが意味するところに、心臓が凍りつく。

 ブォォ、という風切り音とともに、それが近づいてくる。


 反射的に、やってくる衝撃に備えて、体を固くする。


 ――キィィン。


 しかし、衝撃の代わりに甲高い金属音が響いた。


「……えっ?」


 カノーラが、はっとして見る。


 今、カノーラの目に映っているのは、鮮やかに剣を取り回すテルルの背中。

 そう、テルルがその片手半剣バスタードソード一本で、弾いてみせたのである。


「……うそ」


 カノーラがまばたきを忘れ、テルルを見る。


「グルォォォ!」


 弾かれたことに怒り、キュノケファルスがまた力任せに棍棒を振るう。

 それが、二度、三度、四度と続く。


 いずれもカノーラを狙ったものであったが、テルルはやはり、その全てをやすやすと弾き返してみせる。


 四度目はなんと跳ね返しの勢いに負けて、キュノケファルスが大きく仰け反っていた。


「な、何、その熟練度……」


 カノーラは目の前の出来事が信じられない。


 重量に勝る大武器を嘘のように跳ね返す。

 このような常識外な武器の扱い方ができる理由は、ひとつしかない。


 高い武器熟練度である。

 

 武器熟練度が相手より大きく勝ると、想像を超えた技が可能になるとされる。


 ――突き出した槍の先で、飛来してくる矢を受ける。

 ――鋭利な剣の刃を手刀で粉砕する。

 ――たった一本の矢で、巨槌を止める。


 これらはすべて【達人】と呼ばれる類の人間たちが過去に成してみせたと言われる、文献上の逸話である。


 これらが作り話ではないことくらいは、カノーラにもわかる。


 実際、【生ける伝説】と呼ばれる『白眉の達人剣』アラン・ブルームは、その剣で3つの斧を同時に受けてみせるという。


 だが、これは相手との武器熟練度の差のほかに、レベル差によるステータスの圧倒的な差があるからこそできる離れ業なのだと、カノーラは理解していた。


 たしかにレベル1が相手なら、カノーラでも斧であろうと巨鎚であろうと、その剣で受けられよう。


 しかし同レベル帯が相手となると、到底、同じ芸当はできる気がしないのである。


 だからこそ、目の前のテルルが信じられなかった。

 今はテルルより、魔物の方が明らかにレベルが上なのである。


 そんな相手の大武器を弾き返すことなど、『白眉の達人剣』でもまず不可能。


「テ……」


 カノーラの声が震えた。


 このテルルという男、まさか80、いや100を超えるような武器熟練度を持っているのではないだろうか。


 そう、カノーラを大きく上回る、はるか高みの剣を。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「グルル……」


 やがて、傷ばかりが増えることに業を煮やしたのか、キュノケファルスは数歩下がって棍棒を眼前に構え、何かを詠唱し始めた。


「ま、魔法……!?」


 カノーラが目を見開いた。

 心臓を鷲掴みにされたような圧迫感で息ができなくなる。


(だめ、しっかりしなきゃ)


 カノーラは歯を食いしばる。

 魔法というだけで慄いていてはだめ。


 今はもう苦手とか、そんなことを言ってられる状況じゃない。


「――テルルくん下がって、魔法が来るわ!」


 カノーラが意を決してテルルの前に立つ。

 いくら武器熟練度が高くとも、レベルの低いテルルが魔法を受ければ、即死しかねない。


 しかし、後ろのテルルに退く気配はない。


「早く! 下がってそのまま逃げなさい!」


 思いやりのない言い方だと思う。

 女からこんな元も子もない言い方をされたら、男はひとつも頼られていないことを知って怒るだろう。


 だがカノーラも気持ちの余裕がなかった。

 その間も、キュノケファルスの口から恐怖の詠唱が紡ぎ出されていたからである。


「くっ……」


 詠唱を止めに今すぐ飛び込むか、それとも抵抗に専念するか。

 だが脚がずきんと痛み、一撃を浴びせに行くのは無理だと悟る。


 受けるしかない。

 この身に。


(怖い……)


 いつもなら、魔法を受ける確率は6分の1。

 しかし、ここにいるのは『エンゼルスカート』の面々ではない。


 今は自分が受けるしかない。

 どんなのかすらわからない魔法を。


 下手をすれば、自分とて一発であの世行き。


 でも、それでも今だけはしっかりしなければ。


「……テルルくん、ほんとに逃げていいんだよ。後で行くからさ」


 カノーラは落ち着きを装うと、今度はできるかぎり丁寧な言い方で告げる。


「………」


 後ろから反応がない。

 気配も感じられない。


 ほっとする。

 テルルは逃げてくれたのだ。


 だがひとりになったと知ると、とたんに張り詰めていた気持ちが緩んだ。


「……怖い……」


 魔物と目が合っただけで、カノーラの膝はどうしようもなく震え始めた。

 恐怖に顔が引き攣ってくる。


「むり……」


 あたし、やっぱり無理……!


 歯が小さく鳴り始め、息が詰まってくる。


「ゲェッゲェッ……!」


 キュノケファルスが、カノーラに向けて棍棒を突き出す。

 赤熱した何かが、棍棒の前に宿る。


 魔法が来る。


「た……たす…………!」


 もう限界だった。

 その目から、涙が溢れる。


「――ユース、助けて! こわいよっ!」


 カノーラが、必死に叫んだ。

 カノーラにとって、すがるものはいつもそれしかなかったのである。


 直後、キュノケファルスの棍棒から、大岩ほどもある炎の塊が放たれる。


「こわいよぉぉぉ――!」


 カノーラの頬を涙が伝う。

その手から剣が落ちる。


 ――ゴゥゥッ!


 勢いよく飛来する、炎の球。

 迫る熱気。


「ユ――!」


 カノーラが恐怖に目を閉じかけたその時、視界に黒いものがよぎった。


 はっとして見る。


 テルルだった。

 自分に背を向け、かばうように壁となる。


「テ――!?」


 カノーラは我が目を疑う。


「――もう泣くな」


「えっ」


 直後、猛烈な熱気にさらされ、カノーラは目を開けていられなかった。


 ――ドォォォン!


 カノーラは両腕で自分の顔をかばい、屈み込む。

 目を閉じ、恐怖の瞬間を耐えるべく、歯を食いしばった。


「………」


 もうもうと上がる白煙。


 そのままの姿勢で、一秒、また一秒と過ぎる。


 カノーラがまばたきをする。

 熱気だけが通り過ぎ、衝撃はやってこなかった。


 そこで気づく。

 自分はひとつも傷ついていない。


 魔法を受けていないのである。


「テ……!」


 カノーラが青ざめながら、白煙の中でその人の方に目を向けた。


「テルルくん……!」


 テルルはそこに立っていた。

 なにひとつ負傷せずに。


「すごい! テル――!」


 歓喜しかけたカノーラの耳に、異色の旋律が届いたのはその時だった。


「Κόκκινη μανία, Μεταμορφωθείτε σε μια μπάλα φλόγας φυλακής και ……」


「えっ……?」


 どうしてか、女の声だった。

 笛の音のような、高く澄んだ声。


 知識のないカノーラは、それが魔法の詠唱を為していることすら、わからなかった。


 直後。


 ――ドォォォン!


 凄まじいまでの轟音が、大地を揺らした。


「……きゃっ!?」


 わけがわからずにいたところへ、再び熱風がやってきてカノーラは尻餅をついた。


「………」


 何が起きたのか飲み込めず、カノーラは座り込んだまま、ただ瞬きだけを繰り返していた。


「……オノレェェェ!」


 そこで、キュノケファルスの怒声が響き渡る。


 見ると、予想もしなかった事態が起きていた。

 炎の魔法を放ったはずのキュノケファルスが、逆にその身を焼かれて煙を上げていたのである。

 その左腕は焼かれて、失くなっていた。


「――コロズェァァ――!」


 怒り狂ったキュノケファルスが、絶叫するように吼えた。


「アァァァ――!」


 キュノケファルスが棍棒を振りかぶり、襲いかかってきた。

 

「きゃっ」


 直後、座り込んでいたカノーラは身体を横に揺らされた。

 棍棒を受けたと直感し、目をきつく閉じる。

 

「グルォォォ――!」


「きゃっ」


 再び横に揺らされる。


「………」


 だが、痛みはいっさいない。

 むしろその身を包むのは、温かく、心地よい感触。


「………」


 恐怖をこらえ、そっと目を開けて、カノーラは現実を知る。

 そう、自分は腰のところでテルルの左腕に抱えられ、棍棒を一緒に躱しているのだった。


「て、テルルくん……」


 とたんにカノーラが赤面する。


 テルルは息のかかるような距離で、その凛々しい横顔を見せている。

 また窮地を救われた、という驚きと、いきなりのこの距離感。


「……だ、だめよ、あたし、彼氏いるのに」


 そんなことを言っている場合ではないとわかっているのに、口をついて出ていた。


「――いいから掴まっていろ」


 テルルは有無を言わさぬ調子で言うと、腰を抱える左手に一層力を込める。


「あっ、ダメ」


「グルォォォ――!」


 キュノケファルスが、再び棍棒を振り下ろした。


「きゃっ!?」


 棍棒がドォォン、と音を立てて、大地を打つ。

 その音に驚き、カノーラはテルルの首にしがみつく。


 テルルはそんなカノーラを抱いたまま棍棒を躱し続け、通り過ぎざまに右手の片手半剣バスタードソードでキュノケファルスを斬りつける。


「グルォォォ――!」


 右脚への的確な一撃に、キュノケファルスがまた怒り、乱雑に棍棒を振り回し始める。


「――む、無理よ! こんな」 


 テルルがこんなことをしてくれている理由はわかっている。


 自分のせいなのだ。

 上げたヘイトのせいで、自分が狙われ続けているからなのである。


「テルルくん、捨てて逃げて」


 カノーラが叫ぶ。

 ただでさえ強敵なのに、自分を抱えながら戦うなんて。


「――カノーラ。覚えておけ」


 テルルはこの状況でも落ち着いた口調で語りかける。


「……えっ」


「『守る』とはこういうことだ」


 カノーラが、はっとする。

 胸が、とくん、と跳ねた。


「ちゃんと掴まっていろ」


 テルルはカノーラを一層抱き寄せた。


「ぁんっ」


 ゴゥッ、という音を立てて振り回される大棍棒を、二人はそのまま軽やかに躱し続ける。


「……て、テルルくん、待って! こんなこといけないわ」


 カノーラはその顔を真赤にしていた。

 胸がとくとくと、早鐘のように打っている。


 こんなの、だめ。


 だって。

 だって彼氏がいるのに。


 こんなことされたら、あたし…………。


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